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板橋区赤塚にある、赤塚城址を歩いてきました。
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赤塚城址には都営三田線に乗って、新高島平の駅から行きます。
私たちは新高島平駅で降りましたが、西高島平で降りても充分近いと思います。
高島平~新高島平~西高島平の間は乗降者数が多いのか、駅と駅の区間がやたら短かく一駅区間が400メートルくらいしかないです。
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それほど狭い区間に駅が多い理由は、やはり高島平団地の影響でしょう。
駅前の狭い区間に高島平団地の中・高層団地が林立しています。
この高島平団地の西端と、高島第三中学校の間にある道をまっすぐ行けば赤塚城址等がある区画に到着します。 
そういえばこの辺りには小・中学校がやたら多く、これも団地の影響と思われますが、少子高齢化の波でやがては少なからぬ数の学校が廃校になっていくんじゃないでしょうか。
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首都高5号線と新大宮バイパスが通っている大きな通りを二つ越えると、住宅街にはそぐわない赤塚城址の大きな森林が見えてきます。
この坂を下っていくとコンビニと美術館入り口交差点があって、その北側に赤塚城址と板橋区立郷土資料館、板橋区立美術館があり、南側に東京大仏のある乗蓮寺、不動の滝等があります。
新高島平駅から徒歩で約15分ほどですが、道が上がったり下がったりの坂になっているのでけっこう遠く感じました。 
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美術館入り口交差点からまずは南に行き、乗蓮寺を目指しました。
50メートルも歩けば左側に見えてくるのがこの不動の滝。
雑木林の中にぽっかり口を開けていて、昼間でも薄暗い。
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中に入ってみると、やる気のない小便小僧の小便みたいな水がちょろちょろ流れていました。
この不動の滝、かつてはみそぎの場として使われるほど水が湧いていたそうですが、宅地開発に伴い水量は減少してしまったそうです。
不動の滝は雑木林に囲まれ薄暗い場所のせいか、心霊スポットなどとも言われていますが、なんの霊が出るのかもわからないし、私としては雑木林+水による蚊の大発生の方が怖かったです。
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不動の滝の隅っこに無造作に置かれている石仏たち。
このような文化財をこんなところに置いていて、盗まれたりしないのだろうか。
昨今は仏像の盗難事件が多発していると言いますが。
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不動の滝からさらに南へ坂道を50メ-トル程登り、右に曲がると乗蓮寺があります。
乗蓮寺はもともとは別の場所にありましたが、首都高の建設と国道17号の拡幅工事のため、この赤塚城址(二ノ丸)に移転してきました。
乗蓮寺は東京大仏がある寺として知られており、東京に住んでいるとあまり来ることはないと思われる場所ですが、外国人にとっては興味のある場所であるのか私たちが訪問した時はアジア系の外国人観光客が結構いました。 
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乗蓮寺の山門をくぐると、右手に巨大な七福神の布袋様が鎮座していました。
よく見ると左足の親指に数珠がかかっています。 
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布袋様に誘われるように山門から右の道を歩いていくと、お馴染みの七福神の石像が並んでいました。
左から寿老人、福禄寿、弁財天、毘沙門天、布袋、大黒天、恵比寿。 
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乗蓮寺境内には大きな史跡や石像などが多いです。
やたら大きな供養塔があるなと思ったら、天保四年(1833年)に起きた天保の大飢饉の供養塔でした。
天保の大飢饉は天保四年から同七年にかけて全国的な天候不良による凶作、疫病の流行によって多数の餓死者、行き倒れを出したという大飢饉。
この供養塔は、当時板橋宿の中宿にあった乗蓮寺の住職が、宿内の死者を寺内に埋葬しその菩提を弔うために建立したものだという。
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行者の元祖、役の小角の石像。
目黒不動尊でお会いしましたね。
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こちらは三途の川の奪衣婆。
三途の川の渡し賃である六文銭をもたずにやってきた死者の服を奪い取ります。
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役の小角や奪衣婆の石像を見ながら、回り込むようにして東京大仏の前にやってきました。 
東京大仏の前では、東アジアからの観光客と思しき中年男性が跪いて拝礼していました。 
なかなか日本人ではこのように大仏の前で跪いて拝礼する人はいません。 
同じ仏教徒でも文化の違いを見せていただきました。
東京大仏は昭和52年、関東大震災や東京大空襲など悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込め建立されました。
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その後乗蓮寺を出て、先程やってきた道を美術館入り口交差点まで戻ります。
美術館入り口交差点の北側には、赤塚城本丸跡の高台にできた赤塚城址公園があります。
交差点近くの雑木林の中に階段があるので登っていきます。
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階段を登りきった先には梅林が広がっていました。
行ったのが夏場だったためにさすがに花は咲いていません。
梅の咲く季節に行けばさぞ綺麗だろうなと思います。
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梅林を抜けると、大きな広場に出ました。
聞こえるのはセミの鳴き声くらいの、とても静かな場所です。
東京の板橋区にこんな場所が残っていたとは。
広場の中央には、取り残されような石碑がポツンとひとつ建っていました。
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ここが赤塚城本丸跡であったことを示す石碑です。
赤塚城は1456年、千葉自胤によって築城されたと言われています。
1590年豊臣秀吉の小田原征伐によって後北条氏が滅亡した際、千葉氏も所領を没収され赤塚城は廃城になりました。
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広場から下りの階段を降りていきます。
城址広場の北側には、釣りのできる溜め池や郷土資料館があるとのことなので行ってみます。
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途中に他の都立公園での暴行事件発生を知らせる貼り紙がありました。
ホームレスに対する襲撃事件のこととかでしょうか?
暴行事件はよく知りませんが最近では2014年4月に、この近くの光が丘公園で便器が84個破壊される事件が起きています。
便器を壊して逮捕、起訴、裁判、便器壊しの前科もちとか嫌だな。
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階段を降りきった先には大きな溜め池があり、池を囲むように多くの人が釣りをしていました。
釣り人は子供から爺様まで年齢問わずでしたが、やはり年の功というべきか、爺様が魚をぽんぽんと釣り上げていました。
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溜め池のほとりで寝そべる雄猫。
かなり人間慣れしているようで、人間が近付いても逃げることも甘えることもない。
うっせーな、相手してほしかったら魚釣って持ってこいよと言わんばかりです。
頻繁に餌を貰っているのだろう、でっぷりしていて毛並みもきれいです。
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溜め池の隣には板橋区立郷土資料館があります。
資料館の中にも入ってきたので、次回は郷土資料館について紹介します。
(訪問月2014年7月)