今回は埼玉県川口市赤山にある、「赤山城址」を歩いてきました。
やっとお食い初めをすませた、娘のあやちゃん。
そろそろ外を歩いてもいいだろうということで、史跡散策に初挑戦です。
赤山城址は、1629年に関東郡代三代の伊奈忠治が構えた陣屋の跡地です。
赤山城址へ車で行く場合は、埼玉県道161号越谷川口線から、赤山日枝神社近くにあるこの狭い道へ左折もしくは右折で入っていく必要があります。
乗用車が一台やっと通れるくらいの狭い道ですが、この先にしか専用駐車場がありません。
一応この道の入り口には赤山城跡の石柱が建っていますが、非常に見つけにくい。
この狭い路地を入っていくと右手に赤山日枝神社があります。
伊奈氏が創建したものであると考えられるこの神社は、江戸城鎮護の日枝神社(永田町)から分社したもので、陣屋の守護として祀られたものであるとのことです。
日枝神社の先には赤山城址専用駐車場があります。
専用駐車場と言ってもただの広いスペースですが。
この周辺は雑木林になっていて、蚊に注意です。
あやちゃんも顎に蚊に止まられてしまい、あわや血を吸われてしまうところでした。
あぶないあぶない。
駐車場から徒歩で西に進んでいくと赤山城址に出ました。
赤山城址は城跡と言っても、建物や石垣があるわけではなく、わずかに堀や土塁が残されているくらいの、ちょっとひろい公園、もしくは地元住民の散歩道といった感じの場所です。
訪問時も訪問客はジョギングしている人と犬を散歩させに来ている地元住民しかいませんでした。
そのまま西に歩いていくと赤山城址の石柱が建っている場所に出ます。
案内板を読むと、どうやらこのあたりが赤山城の本丸の表門辺りのようです。
赤山城(赤山陣屋)は江戸時代初期、関八州の貢租の徴収並びに司法、利根川・荒川の改修、新田開発など土木治水を行う中心的な役所であったとのことです。
石柱から西の方向に延びている道の左側には、赤山城の堀跡が遺されています。
これは赤山城の南側の堀で、植木によって堀の形が保護されています。
堀に沿って、本丸から西の方向にある二ノ丸方向へ歩いていきます。
堀の反対側、いわゆる城内側は畑や植木に埋め尽くされています。
この植木はアヒルを模しているんでしょうか。
赤山城は1792年、伊奈氏の改易によって陣屋は取り壊され、土地は民間に払い下げられることになります。
そして現在では、陣屋跡はこのような植栽や畑に利用されているようです。
さすがあいうえおの街、川口らしい。
『う』は植木の『う』ね。
こちらは本丸と二ノ丸の間にある西堀。
南堀に比べて深く掘られているとのことですが、違いがよくわかりません。
いや、確かに言われてみると若干深いかな?
今度は西堀に沿って北に歩いていきます。
西堀に沿って北上していくと、途中に現れた竹林の中に祠を見つけました。
どうもこれは「水神の祠」というものらしく、伊奈氏の姫と龍にまつわる伝説が残されているとのことです。
どんな伝説なんでしょうか。
水神の祠から外環沿いの道を通って二ノ丸に行くと、二ノ丸には大きな土塁がありました。
外敵の侵入を防ぐためのものでしょうか。
今はこの土塁の向こうには大きな畑が広がっています。
赤山城址はかなり広く、その中には城の遺構と植栽、そして個人の畑が混在しています。
散歩コースをちょっと外れると突然個人の畑に出くわすのでちょっとびっくりする。
境界がどこにあるのかよくわかりません。
あまりにも散歩コースに近いせいか、野菜泥棒がいるようです。
泥棒は入ってはいけません。
カタカナであるところに野菜泥棒への強い怒りを感じます。
犬も入ってはダメですよ。
ほんの十数年前まで、私の実家のある地域にもこのような畑と雑木林が混在する場所があって、子供の頃友達と探検ごっこをやりました。
その雑木林は薄気味悪い等という近隣住民の苦情もあって破壊され更地になってしまいましたが、子供の頃そこで遊んだことはとてもいい思い出です。
ぜひあやちゃんにもそんな経験をさせてあげたい。
ここは史跡にもなっているし、破壊されることはなさそうなのでちょっと安心。
もっとも赤山城址も外環自動車道と国道298号の敷設の際に一部が破壊されており、今後も必ず保存されるとは断言できませんが。
赤山城址からの帰り道、あやちゃんが疲れてしまったので、赤山城址の近くにある「花と緑の振興センター」に立ち寄りました。
館内に入ります。
館内にはキイロスズメバチの巣なんかが置かれています。
こんなのにあやちゃんが襲われたらと思うとぞっとする。
花と緑の振興センターには赤ちゃんの駅というのがあります。
授乳やおむつ替えができるスペースになっています。
「ふう、こんなところがあると助かるわい」
ありがとうコバトン。
(訪問月2014年11月)
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