DSCF8831
以前に訪問した赤羽緑道公園の近くに、太平洋戦争のころの防空壕が残っていると聞いたので訪問してきました。
DSCF8826
昨年の大晦日の日に、JR赤羽駅の北にある赤羽八幡神社にやってきました。
高台にあるのでここまで登って来るのが大変です。
この神社の御利益はよく知りませんが、とりあえず娘が元気に成長しますように!と、お参りしてきました。
DSCF8824
赤羽八幡神社の脇には、師団坂通りと呼ばれる急な坂があります。
師団坂通りは、かつて赤羽に旧日本軍の施設が集中していたころ、この先にあった帝国陸軍第一師団工兵第一大隊と近衛師団工兵大隊に向かうために作られた坂です。
DSCF8827
師団坂通りを上がった右手に、ミッション系学校の星美学園の校舎が見えます。
この星美学園の敷地には帝国陸軍第一師団工兵第一大隊の兵営があったと言われています。
そういえば新宿区の陸軍戸山学校跡にもキリスト教会がありましたが、軍の用地にキリスト教系の施設が建つのはよくあることなんですかね。
DSCF8828
師団坂通りの突き当たりには、東京北社会保険病院があります。
こちらの敷地には、かつて国立王子病院が建っていましたが、戦前は近衛師団工兵大隊の施設があったそうです。
手前のハコ乗りみたいにして建物から道路に身を乗り出しているうさぎもどきが若干気になりますが、今は気にしないことにします。
DSCF8830
その東京北社会保険病院がある高台の下には、赤羽台さくら並木公園という公園があります。
長細い公園ですが、それもそのはずで、ここはかつて軍の射撃場であったそうです。
この赤羽台さくら並木公園の真ん中辺りに防空壕があるという話ですが……
DSCF8831
おおっ、ありました。防空壕跡です。
場所は公園の真ん中あたりで、病院がある高台の崖のすぐ真下になります。
私は一度、病院側からなだらかな坂になっている公園を一番下まで降りてしまったので見逃してしまいました。
公園の遊具に紛れるように、ひっそりと口を空けています。
ちなみに、柵があって中には侵入できないようになっています。
DSCF8833
壕の入り口は狭く、真っ暗です。
しかも入り口の半分近くが埋もれているため柵からではほとんど何も見えません。
うーん、これじゃ防空壕というよりただの横穴ですね。
ですが、このような戦争遺跡を埋めるのではなく、ちゃんと保存しているのは、さすが東京北区といえると思います。

1937年の防空法の施行に伴い、日本各地には防空壕が掘られました。
この防空法が悪法で、空襲があった際に国民に逃げることを許さず、バケツリレー等で火を消すことを強制する法律でした。
しかし一発で30m四方を焼き尽くす焼夷弾が何万発も投下される状況では焼け石に水で、この法律は国民に多大な犠牲を出す結果となります。
DSCF8836
写真は私と一緒に防空壕を見学した娘のあやちゃんです。
ちなみに赤ちゃんは防空壕にいると、その泣き声が敵機に聞かれて攻撃対象にされると同じ避難民から怒られ、壕を追い出されることがあったという。
どんだけB-29は集音性能がいいんだよとツッコミたくなりますが、当時はみんな生き残るのに必死だったし、そして社会が全体のためなら個が犠牲になることを厭わない社会でした。
そのような状況において、社会的弱者であった赤ちゃんは邪魔者扱いされてしまったのです。
DSCF8834
しかし防空壕にうまく逃げ込んだ人も、すべて助かったわけではありません。
B-29戦略爆撃機が投下したM69焼夷弾による火勢は凄まじく、運良く防空壕に逃げ込めた人も酸欠や蒸し焼きになって死亡する人が続出したといいます。
DSCF8829
防空法が国民に危険な場所に留まって消火活動に当たることを強制し、それがために作られた防空壕ですが、結果として多大な犠牲を出すことになってしまいました。
このような教訓は、忘れずに後世に遺していきたいですね。
大きな災害があったら、その場にとどまらずに避難しましょう。
(訪問月2014年12月)