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赤羽駅で、鳩ヶ谷公団住宅行きという国際興業のバスを見つけました。
鳩ヶ谷公団住宅とはなんだろうと調べてみると、どうも川口市の旧鳩ヶ谷市域の最北、桜町という地域にある団地らしい。
鳩ヶ谷公団住宅とはいったいどんな場所だろうと思い訪問してみました。
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というわけでやってきました鳩ヶ谷公団住宅のバス停付近。
左に見える団地が鳩ヶ谷公団住宅で、右に見える三階建ての建物の隣に国際興業バス、鳩ヶ谷公団住宅バス停および操車場があります。
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そしてこちらが鳩ヶ谷公団住宅。
まだ新しいといってよい、立派なマンションです。
それもそのはずで、鳩ヶ谷公団住宅は2005年にUR賃貸住宅コンフォール東鳩ヶ谷として、建て直されたからです。
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UR賃貸は都市再生機構によって運営され、その性質は公団住宅と同じ。
かつての都市再生機構は日本住宅公団という名前であり、そこが運営する住宅なので公団住宅という名前でしたが、現在はUR賃貸住宅または都市再生機構住宅と名前を変えています。
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そのコンフォール東鳩ヶ谷の入り口近くに、変わったベンチがあります。
真ん中の石に「住塚」と書かれています。
これは世界的に有名な彫刻家、「サムライアーチスト」流雅之の製作であるらしい。
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その下の階段の入り口近くにも「住塚」の石碑。
流雅之は1958年鳩ヶ谷公団住宅創建の際にもテーブルスツール等団地内広場にパブリックアートを造っていますが、建て替えにあたり、新たに「住塚」が加えられたとのことです。
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団地内広場で遊ぶ子供の声が響き、主婦が井戸端会議をしていたコンフォール東鳩ヶ谷。
交通の利便性さえ除けば、高台の上にあるいい団地だと思います。
最寄り駅が運賃の高い埼玉高速鉄道であること、車やバスで都心に出るには万年渋滞の国道122号を使う必要があるのがちょっと大変。
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さて住宅も見学したし帰ろうかなと鳩ヶ谷公団住宅バス停にやってくると、操車場の隣、通りに面する家から数えて三軒目の家の軒先で理容店のサインポールがくるくると回っているのが目にとまりました。
はて、なんであんなところにサインポールが?
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気になってそちらに行ってみると、このようになっていました。
これは素晴らしい!
住宅同士が屋根によって連結され、まるで高架下アーケードのようになっています。
ただしほとんどの店はシャッターが降りていますが。
昭和の時代に公団住宅の住民を当て込んで作られた急造商店街でしょうか。
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今、この商店街でやっているのは、「昼めし居酒屋ほたる」「山之内豆腐店」そしてその隣の理容店の三軒だけのようです。
もっとも山之内豆腐店も開いていなかったので営業しているのか定かでない。
昼めし居酒屋ほたるからは豪快な笑い声が響いてきたので、元気に営業中のようです。
理容店では、ドアの向こうでおばあちゃんがぼーっとしていました。
昔ながらの光景に、いつのまにか昭和の世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚えました。
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コンフォール東鳩ヶ谷の前の通りの街灯には、「東公団通り商店会」という看板がかかっています。
この道が東公団通りという名前で、そこの商店会の看板のようですが、見渡しても通りのほとんどの店はシャッターが降りていました。
平日とはいえ真っ昼間なのに人通りもなく、とても寂しい雰囲気です。
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その中の一軒、レディースファッション「タンポポ」。
今は定休日でない日の昼間ですが、シャッターは降りたままです。
かつて、まだ車が一般的でなく、埼玉高速鉄道もなかったころは、この通りも賑わっていたのでしょうか。
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こちらは営業しているのかな?と思われる洋装品店。
しかし店の名前がテーラー阿部なのかアバンドアベなのか迷うところ。
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東公団通りから一歩横道に入っても、おしなべてシャッターの降りた商店ばかり。
なにやらサイハテに来てしまったような寂寥感が漂っています。
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東公団通り、浄水場前バス停付近の歩道。
これより先ただでは通さんとばかりに歩行者を妨害する街路樹がありました。
頭上注意というより顔面注意な位置取りです。
しかし町の住民や市が邪魔だからと言って安易に切断したりしないことは、良いことだと思います。
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しかしこの椅子はいただけない。
この椅子に座ってバスを待てというのだろうか。
雨ざらしの状態なので、うっかり座ると何かが尻につくかもと心配になります。
しかも微妙にバス停から離れていて、ここに座っていてもバスにスルーされるんじゃないだろうか。
川口市のバス停ってこういうどっかから持ってきたような椅子が結構置かれているような気がします。
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この先は県道105号線、いわゆる日光御成街道です。
日光御成街道に近づくにつれまだまだ元気そうな商店が増えてきました。 
失われゆく昭和の風景といった切ない感じは、徐々に薄まっていきます。

埼玉高速鉄道ができるまで、陸の孤島であった鳩ヶ谷。
鉄道の開通とともに、再開発の波が押し寄せてきました。
しかし鉄道ができても、再開発される場所とそうでない場所があるようです。
(訪問月2015年2月)