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以前に訪問した北区十条台の東京第一陸軍造兵廠十条工場跡地。
その十条から石神井川を挟んだ南側、滝野川地区にもかつて日本陸軍の火薬製造廠がありました。
その場所は東京第一陸軍造兵廠滝野川工場、別名滝野川雷汞(らいこう)所です。
その遺構はあまり残っていないとのことでしたが、散歩がてら北区滝野川を訪問してきました。
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現在地は都営三田線の西巣鴨駅の出口。
明治通りと中山道が交わるこの場所から、明治通りを飛鳥山方向に歩いていきます。
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途中の明治通り上に、滝乃川学園跡の案内板がありました。
滝乃川学園は、日本で最初の知的障害者の教育施設として、かつてこの場所にあったとのことです。
案内板の右下には滝乃川学園があった当時の地図が書かれています。
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その地図の中央上部。
大きく空けた一画があり、そこには『雷汞所』と記載がされています。
雷汞(らいこう)とは、水銀を硝酸で溶解しエチルアルコールを加えて反応させたものであり、わずかな加熱や衝撃で激しく爆発する起爆薬です。
雷汞を詰めたのが雷管であり、ここは砲弾等の雷管を製造する場所だったようです。
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その滝乃川学園跡の案内板からさらに進んでいくと、滝野川二丁目の交差点に出ます。
この交差点を左折します。
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滝野川二丁目交差点を左折し少し歩くと、左手に王子総合高校が見えてきます。
地図によればこの王子総合高校がある区域こそ、かつて雷汞所があった場所です。
軍の施設があった場所に、後に学校が建つのは珍しくありません。
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王子総合高校前を左に曲がって進み、東京外国語大学の宿舎前を右に曲がると、団地の塀に沿った細い路地にでます。
右側の塀の上には、東京国税局滝野川第二寮の団地があります。
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その塀の足下に、撤去され忘れたのかなんなのか陸軍の境界石がありました。
ややかすれていますが『陸軍用』と読めます。
『地』は埋まってしまったのでしょうか。
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その境界石からさらに進むと、今度はもう少し大きな境界石があります。
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こちらは割と大きめで、陸軍用地の文字がはっきり見えます。
この場所がかつて日本陸軍管理にかかる雷汞製造所だったことを示す、案内板もない物言わぬ史跡です。
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その境界石から、さらに北に向けて歩いていくと、大きな団地の手前に雑木林がありました。
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この雑木林は、四本木(よもとぎ)稲荷神社の境内になっています。
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四本木稲荷神社は、もともと東京第一陸軍造兵廠十条工場の守り神として明治~大正期に十条地区に建立された神社ですが、戦後の工場解散に伴いこの場所に移されたそうです。
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境内には忠魂碑があります。
忠魂碑とは戦没者等を弔う慰霊碑のようなもの。
火薬を扱う東京陸軍造兵廠の各工場では、爆発事故による犠牲者が多かったとのことです。
第二次世界大戦に敗北すると、日本各地にあったかなりの数の忠魂碑がGHQの指示によって撤去されたそうです。
いくら勝者といっても、死者の慰霊碑まで撤去するというのはいただけませんね。
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四本木稲荷神社の北側には、都営滝野川三丁目アパートの団地群があります。
その道を挟んだ左側は紅葉小学校。
本当に軍の用地は、都営住宅や学校が建てられていることが多いですね。
広い敷地が一気に確保できたからでしょう。
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都営滝野川三丁目アパートの敷地内に、何か当時の遺構がないか立ち寄ってみます。
が、それらしいものは特に発見できず、あるのは『仄暗い水の底から』を連想させるような大きな団地のみ。
屋上の貯水槽とか、まだまだ現役のようです。
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都営滝野川三丁目アパートの東隣には滝野川病院という大きな病院があり、その北側に滝野川馬場商店会という地域密着型の商店街があります。
この商店街通りを、滝野川病院に沿うようにして歩いていきます。
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関東大震災後すぐぐらいに建てられたと思われる、年季の入った滝野川馬場商店会の商店。
滝野川雷汞所が解体されたのは太平洋戦争の敗戦後のことだから、時系列的にこちらの商店街は滝野川雷汞所の用地ではないと推測されます。
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なんでもいいですけど「ジミーの店」って、なんの店ですかね?
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商店街を通り、滝野川病院の敷地の東端までやってきました。
地域用掲示板の足元に、半分埋もれた軍事境界石を発見。
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風化していて「陸」の文字は読めなくなっているものの、「軍」の文字ははっきり読み取れ、陸軍用地を示す境界石であることは間違いありません。
ここ滝野川病院が、かつての滝野川雷汞所の東端であったようです。
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再び紅葉小学校前にもどってきました。
小学校前の交差点を左に曲がります。
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その先には石神井川を渡す橋、滝野川橋があります。
なお石神井川の別称が滝野川であり、石神井川=滝野川です。
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石神井川の清流は、当時工場の工業用水として利用されていたそうです。
故に石神井川流域には、軍の工場が集まっていました。
今はゴミが浮かぶ石神井川ですが、当時はまだまだきれいな川だったのでしょうか。
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滝野川橋を渡ると、右手の民家の軒先にコンクリートが剥き出しの、入口が封鎖された謎の小屋があります。
ここは『憲兵小屋』と呼ばれており、かつて憲兵が詰め所として使っていたそうです。
この場所が(地図によれば)雷汞所の北の入り口に当たる場所だったからでしょうか。
若しくはここより北側が、東京第一陸軍造兵廠十条工場の敷地なので、その警戒のためのものかもしれません。
いずれにしても、なぜこの小屋だけが残されているのでしょうか。
謎です。場所も明らかに人の敷地内だし。
(訪問月2015年1月)