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かつて豊島区東池袋にあった監獄「スガモプリズン」。
太平洋戦争のA級戦犯らが収容されていた施設として、歴史の教科書などにも出てくる日本史上重要な場所です。
スガモプリズンは現存していませんが、その遺構を探しに、スガモプリズン跡地を訪問してきました。
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子供のころ、サンシャイン60と言えば東京を象徴するような建物だった。
車で埼玉から東京に向かい、荒川を渡す橋の上から高層ビル群が見えてくると、一際大きなサンシャイン60はすぐにわかったものだ。
またサンシャインシティ国際水族館にはウーパールーパーやエリマキトカゲなど珍しい動物がいたこともあり、サンシャインシティに行くことは子供のころの私にとって憧れだった。
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しかし行きたい場所にはなかなか行けないもの。
結局サンシャインに行ったのは、大人になってからのことだった。
それも用事は日用雑貨の買い出しで、憧れとは程遠い。
現在までもサンシャイン60の展望台やサンシャインシティ国際水族館には足を運んだことはありません。
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そんな、私にとっては近くて遠い場所、サンシャインシティ。
サンシャインシティは、東京拘置所跡地を再開発して昭和53年に誕生した日本初の複合都市施設です。
現在は小菅にある東京拘置所ですが、1971年までは東京拘置所は豊島区東池袋のこの場所にありました。
そして旧東京拘置所は、太平洋戦争の敗戦後GHQによって接収され、戦後の一時期「スガモプリズン」と呼ばれていました。
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ちなみになぜ池袋なのに巣鴨という名前なのかというと、1962年に住居表示制度が実施され地名整理がされる以前は、この地域の地名が西巣鴨だったからです。
西巣鴨にある監獄なので「スガモプリズン」なのでした。
上の写真はたまたま南大塚二丁目で見つけた古い地番表示です。
かつては現南大塚が旧巣鴨であり、現東池袋は旧西巣鴨であったのです。
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今回のサンシャインシティ訪問でも、やはり展望台や水族館には行きません。
今回の訪問先はサンシャインシティに隣接する東池袋中央公園です。
東池袋中央公園はサンシャインシティ前にある公園であるためか、滞在する人が多い公園です。
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この公園、人間に負けず劣らず猫も多いです。
この公園で暮らしていると思われるホームレスの人が餌をあげているのでしょうか、やたら人なれしています。
この猫はどうみても日本在来の猫には見えないので、この公園に捨てられて繁殖した猫っぽい。
飼い猫を公園に捨てる人たちとその捨て猫に餌をあげるホームレス、どちらがより人間的なんでしょうか。
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東池袋中央公園の一角には、巨大な石碑が建てられています。
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この石碑は、スガモプリズンで亡くなった人たちへの慰霊碑「平和の碑」です。
終戦後スガモプリズンでは、東條英機らA級戦犯7人とBC級戦犯54人が主に絞首刑によって処刑されており、この東池袋中央公園はスガモプリズンの絞首台があった場所とされています。
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石碑の裏にはこんな碑文があります。
『第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。
戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。
昭和五十五年六月』
微妙に言葉を省略していて、何が言いたいのかいまいちわからない碑文ですね。
戦争の悲劇と漠然と言っていますが、どの悲劇を指しているのでしょうか。
戦争指導者がここで殺されたことが悲劇なのか、戦争指導者の方針によって国民に多くの犠牲が出たのが悲劇なのか、侵略によって多くの他国民を殺害したことが悲劇なのか、はっきりしていません。
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極東国際軍事裁判はたいした根拠もなく戦犯を断罪した、いわば裁判の名を借りた勝者による私刑であり、そんな偽善的なものの遺跡がどうして戦争の悲劇を繰り返さないことに繋がるのかもいまいちわかりません。
東條英機らが負うべきだったのは戦争犯罪などという後付けの曖昧なものではなく、国力を考えず無謀な戦争に突き進み敗戦によって多大な犠牲を出した失策の責任であるべきだったと思います。
戦犯のケジメの付け方が曖昧なものであったが故に、今の日本人の多くは、太平洋戦争が過ちだったと認め切れないのかもしれません。


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サンシャインシティは戦争の暗い歴史を覆い隠すように、スガモプリズンの痕跡を完全に潰してしまいその遺構を何も残していません。
しかしながら、南大塚の東福寺において、わずかながらであるがその残り香を嗅ぐことができました。
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こちらは東福寺の山門前にある、朽ちかけた一本の石柱です。
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そこには巣鴨監獄道の文字が刻まれています。
明治時代にできた巣鴨監獄は刑務所から東京拘置所に、終戦後はスガモプリズンへと名を変え帝都の負の歴史を見てきました。
戦前は多くの犯罪者を収容し、戦後は大日本帝国の指導者たちを収容・処刑した帝国終焉の地、スガモプリズン。
かつての戦争に目をつぶるかのように、その遺構はもうこのくらいしか残っていません。
しかしよくよく考えてみると、サンシャインという名前自体が大日本帝国の軍旗であった旭日旗を連想させるものです。
これは偶然の一致でしょうか。
(訪問月2015年3月)


【以下は2018年2月10日追記】
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いただいたコメントの中にあった、スガモプリズンの排水溝跡を見てきました。
旧造幣局東京支局跡地南端の石垣の足元に、石組みの排水口が残っています。
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中を覗いてみるとこのようになっていました。
かつての巣鴨監獄、戦後のスガモプリズンの排水をここから水窪川に流していたようです。
情報ありがとうございました。