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目黒区大橋と世田谷区池尻にまたがる駅、東急田園都市線池尻大橋駅。
渋谷と三軒茶屋に挟まれ快速にとばされるこの駅の周辺に、軍事遺跡が残っていると聞いたので訪問してきました。
今でこそ目黒天空庭園などがある賑やかな池尻大橋駅界隈ですが、戦前までは駒沢練兵場を中心に軍の兵営が集中していた地域だったのです。
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池尻大橋駅周辺は、狭い路地にこじんまりした商店が立ち並ぶ昭和な雰囲気の町ですが、同時にそれとは正反対の巨大な公務員住宅の団地群や東山公園などの大きな公園、そして大きな敷地のある学校が数多く存在する町でもあります。
そうした広大な敷地を必要とする施設をたくさん作ることができたのは、敗戦によって軍の施設が無用のものとなり、その敷地を丸々転用することができたからでした。
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こちらは目黒区大橋にある、東京都立駒場高等学校の運動場の上にある天覧台碑です。
この記念碑は、かつてこの場所に陸軍騎兵学校があったころ、明治・大正天皇が学生の卒業馬術をごらんになったことを記念して建立されたものです。
碑に残る黒い筋は、終戦後に題字を削り取った痕だという。
終戦後進駐してきたGHQは日本の非軍事化政策を進め、軍国的なものの存在を許さなかったため、その際に削り取られたものだそうです。
今の題字は昭和56年に復元されたものだと、傍らの由来記に記されていました。
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その天覧台碑の向かいにある巨大な公務員住宅の敷地に沿って西に歩いていくと、警視庁第三方面本部庁舎などの警察施設が集中している区画の近くに、蔦が絡まりフェンスで囲われた古い廃墟みたいな建物があります。
第三機動隊、第三方面交通機動隊などの警視庁の整備された建物群の中に、突然この異様な建物が出てくると、別世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えます。
この辺りには明治25年から太平洋戦争の終戦に至るまで近衛輜重兵大隊の兵営があり、この建物は大隊の屋内射撃場であったとされています。
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輜重兵とは言わば軍の兵站を担当する兵で、早い話が食糧の輸送担当です。
しかし大日本帝国陸軍は兵站を軽視していた軍隊であり、補給を担当する輜重兵の立場は軍の中でもとても低いものだったといわれています。
「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々トンボも鳥のうち 焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て 電信柱に花が咲く」
という言葉があったほどで、軍隊内でも兵隊扱いされていなかったとか。
結局陸軍はその兵站軽視のツケを、ガダルカナル島の戦いやニューギニアの戦い、そして悪名高いインパールの戦いを始めとする太平洋戦争全戦域で支払うことになりました。
太平洋戦争の日本軍の死者数は約230万人とされており、そのうちの約60%にあたる140万人は餓死だったと言われています。
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近衛輜重兵大隊の屋内射撃場は屋根が平坦でなく凸凹していて、かなり不格好な建物です。
まるでスーパーマリオを代表とする昔の横スクロールアクションゲームのような屋根です。
しかしこの屋根の凸凹した形は、屋内で発する様々な騒音を消す役割を果たしていたとのことです。
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戦後はその消音機能を活かして屋内スタジオとして利用されていたという屋内射撃場。
しかしかつてスタジオの入り口だったと思しき場所のボロさを見ても、かなり前から営業はしていないようです。
今はもう完全な廃墟なのでしょうか。
屋内射撃場の細長い建物は工事用のフェンスで囲われ、今にも解体されそうな雰囲気でした。
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近衛輜重兵大隊の屋内射撃場に沿って西にまっすぐ歩いていくと、駒場住宅という公務員住宅の団地群があります。
近衛輜重兵大隊の他、この地域には騎兵第一連隊が駐屯していました。
今は人が住んでいなさそうな駒場住宅ですが、この住宅も軍の用地跡に建てられたものでしょう。
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駒場住宅前の道の突き当たりの擁壁の上に、細長い石碑があります。
こちらは「馬神碑」という慰霊碑で、戦没軍馬のために建立されたものです。
馬とともに生きた騎兵隊では、訓練や戦争で愛馬を亡くすことは半身を引き裂かれるような思いだっただろう。
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馬神碑から南の玉川通り方向へ歩いていくと、池尻交差点近く、玉川通りの向こうに池尻稲荷神社があります。
玉川通りから南の池尻、及び目黒区の東山地区には陸軍の広大な練兵場、駒沢練兵場がありました。
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この池尻稲荷神社境内には、コンクリートで蓋をされた駒沢練兵場の排水溝跡が残されています。
駒沢練兵場のあった地域はもともと水はけが悪く(それゆえ農地に適さず、広大な軍用地を確保できた)、駒沢練兵場に降った雨を排水するためにこのような排水溝が作られました。
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池尻稲荷神社の東側を通る狭い坂道を登っていくと、途中に小さな墓地があります。
この墓地の入り口には、まるで小さな門柱のような境界石が残されています。
注意していないと見逃してしまうくらい、見事に周りの風景に溶け込んだ境界石です。
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そこに刻まれた文字は、「陸軍用地」。
はっきり言って見にくいです。
駒沢練兵場の入り口たる陸軍用地境界石のようですが、時代の流れの中でこの場所に移されたものかもしれません。
しかしこの辺りが駒沢練兵場の北端であったことは間違いないようです。
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その境界石からさらに南東に進むと、水色の大きな倉庫が見えてきます。
一般的な造りであまり軍事施設には見えませんが、これは駒沢練兵場の遺構であり、かつては陸軍糧秣廠の馬糧倉庫として活用されていたものでした。
糧秣廠とは兵隊や軍馬の食糧を管理する部門で、この倉庫では馬の餌が保管されていました。
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馬糧倉庫は二棟ありますが、現在は一棟が生協の倉庫、もう一棟がヤマト運輸池尻集積所として補修を重ねながらも当時の姿のまま利用されています。
また隣にある東京栄養食糧専門学校は、もともとは本郷にあったが糧秣廠の縁によってこの場所に移転してきたとされています。
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これより南は駒沢練兵場の跡地ですが、現在は公務員住宅の団地群と東山公園、陸上自衛隊三宿駐屯地などがあります。
写真は東山公園近くの誰も住んでいない公務員住宅の廃墟。
おそらく戦後すぐ建てられたのでしょう、ボロい幽霊団地みたいな廃墟が通りを挟んで向かい合っており、不気味な廃墟ストリートになっています。
駒込練兵場跡に作られ戦後の復興期を生きた団地もまた、時代の流れに従ってその役目を終え、次の時代に移行しようとしていました。
(訪問月2015年3月)