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北区の飛鳥山公園内にある歴史的建造物、青淵文庫と晩香廬を見学してきました。
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1879年(明治12年)以来、飛鳥山には渋沢栄一の広大な別荘がありました。
飛鳥山邸と呼ばれたこの別荘は8470坪に及ぶ広大な敷地を有し、その中に本館の日本館・西洋館、茶室「無心庵」、月見台、東屋などの建物がありました。
しかし、1945年(昭和20年)4月13日の城北大空襲によって焼失し、現在残っているのは晩香盧と青淵文庫だけです。
写真は渋沢史料館前にある、飛鳥山邸を作った渋沢栄一の像です。
せめて胸ぐらいまで作ってあげればよかったのに、首だけだとちょっとおかしい。
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渋沢栄一は歴史の教科書にも出てくる明治・大正時代の官僚・実業家で、第一国立銀行や東京証券取引所など数多くの企業の設立、経営に携わった日本史上を代表する経済人です。
その多くの功績から、日本資本主義の父ともいわれています。
私がこれまで訪問した歴史的建造物でも、富岡製糸場や理化学研究所など、その設立過程で渋沢栄一の名を聞くことがたびたびありました。
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晩香盧と青淵文庫は、渋沢史料館前にある渋沢庭園の中にあります。
渋沢庭園の入園は自由ですが、両施設内に入るのには渋沢史料館の入館券が必要になります。
入館料は渋沢史料館とセットで300円ですが、渋沢史料館が17:00までにもかかわらずこちらは15:45までなので注意が必要です。
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まずは青淵文庫に入ります。
青淵文庫は渋沢栄一の80歳と子爵に昇爵した祝いに、門下生の団体「竜門社」より寄贈された建築物です。
建築は1925(大正14)年で、渋沢栄一の収集した「論語」関係の書籍の収蔵、閲覧を目的として建造されました。
「青淵文庫」の名は、渋沢栄一の雅号である「青淵」からとられています。
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青淵文庫の閲覧室です。
3つの照明と、窓上方のステンドグラスが豪華な雰囲気を演出する広間です。
本を読むには広すぎる空間で、かえって落ち着かないのではないかとも思わせます。
ステンドグラスには、柏の葉とどんぐりがあしらわれた渋沢家の家紋が描かれています。
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窓の横の壁にも、渋沢家の家紋をモチーフにした装飾タイルが貼られています。
このタイルを作成する工程は、すべて手作業であったという。
タイルの数は総計で2700枚、作成にはかなりの時間がかかったでしょう。
華やかであった大正時代が垣間見える部屋ですね。
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また閲覧室の腰板部分には大理石で囲まれた謎の物体があります。
これは電気ストーブであるという。
中にはヒーターと蒸発皿があり、ただ温かくなるだけでなくスチームの効果もあったらしい。
これも大正時代からあったものなのでしょうか。
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いつもは青淵文庫の2階は公開されていないのですが、本日は公開されているとのこと。
上がってみましょう。
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優雅な曲線を描く青淵文庫の階段。
階段まで贅沢な作りになっていますね。
2階は本の所蔵庫です。
渋沢栄一の収集した「論語」関係の書籍収蔵のために作られました。
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しかし青淵文庫の完成前に発生した関東大震災によって、ここに収蔵する予定だった書籍は焼失してしまいました。
青淵文庫自体は震災での被害を逃れていたため、渋沢栄一には「もう少し青淵文庫が早く完成していれば」という複雑な想いがあったようです。
収蔵すべき書籍がなくなってしまったため、震災後は主に接客の場として活用されていた青淵文庫。
渋沢史料館では、青淵文庫の前で中華民国の蒋介石を迎える渋沢栄一の姿が見れます。
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こちらはもうひとつの歴史的建造物、晩香盧。
渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って1917(大正6)年に現在の清水建設によって贈られました。
渋沢栄一はここに国内、海外の賓客を招き、多くの交流をしたという。
晩香盧の中は写真撮影禁止のため、写真はありませんが、内部の談話室にはテーブルと暖炉など、当時の家具調度品が残されています。
青淵文庫と合わせ、飛鳥山にお越しの際は訪問されてはいかがでしょうか。
(訪問月2015年3月)