〔お知らせ〕当施設につきまして、耐震上の理由等により当面閉鎖となっているそうです。ご確認ください。(2015年12月11日追記)
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埼玉県桶川市にある、旧陸軍桶川飛行学校を訪問してきました。
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旧陸軍桶川飛行学校は、昭和12年6月に開校した陸軍の飛行兵養成所です。
桶川飛行学校は熊谷陸軍飛行学校の分教場として、他の兵科から航空兵を志願してきた召集下士官、少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官など1500~1600人くらいに航空基礎教育を行いました。
しかし、悪化する戦況に伴い、終戦の年の昭和20年2月、本校は閉校となり、その後、学校は神風特別攻撃隊の基地になりました。
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現在地は桶川駅西口から出ている東武バスの柏原バス停です。
バスで桶川飛行学校に行く場合ここが最寄りのバス停で、この柏原バス停から徒歩5分くらいです。
車が走行している橋を渡らず、右の側道を入っていきます。
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バスで行く場合の注意点として、桶川飛行学校は公開日が現在は土日祝日限定なのですが、土日祝日はバスも一時間に一本あるかないかということです。
桶川駅がある高崎線と東武バスの接続が悪いとかなり待たされます。
ちなみに桶川飛行学校は桶川駅から歩いてでもいけますが、かなり距離がありました(約5km)。
歩いた場合、私は赤ちゃんを背負いながらでしたが約50分かかりました。
なんとか歩いて行けなくもありませんがオススメしません。
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上の看板から50m先にあるこの交差点を右に曲がっていきます。
この場所にはかつて桶川飛行学校の正門があったそうで、塀の隅っこに当時の写真が貼られています。
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正門跡から桶川飛行学校までは直線の道になっています。
道の両端には、一定の間隔を保って陸軍の境界杭が建っています。
かつてはこの杭と杭の間が陸軍用地の正門通りだったのでしょう。
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畑や茂みの中に残された境界杭の石。
帝都ではもうほとんど見られない陸軍境界石ですが、ここにはたくさん遺っていますね。
境界石マニアには垂涎ものでしょう。
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境界杭の間を通っていくと、やがて桶川飛行学校の建造物が見えてきました。
軍の施設というよりは、廃校になった昔の学校に来たような雰囲気です。
手前左の建物が守衛所、手前右が車庫、奥の長屋が下士官棟および宿舎。
宿舎は桶川飛行学校についての展示室になっているとのことです。
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これは桶川飛行学校の見取り図です。
中央に営庭があり、それを囲むように守衛所、事務所、講堂、下士官棟、宿舎、風呂棟、食堂、車庫など10棟以上の建物が昔はあったそうです。
現在は黒い太線に囲まれた宿舎、下士官棟、守衛所、車庫、便所のみが遺っています。
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桶川飛行学校の敷地に入って最初に見えるのがこの守衛所です。
門番等学校警備の軍人が詰めていた場所と思われます。
かなりのぼろさで、守衛所というよりは町を歩いているとたまに見かける廃屋みたいな感じです。
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守衛所の傍らには、弾薬庫も残っています。
軍隊とはいえあくまでも学校であるためか、小さな弾薬庫です。
天井がないのは、もし引火した時に爆風を上に逃すためでしょうか。
防犯上はいかがなものかとも思いますが。
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守衛所の斜め向かいに建っているのが車庫です。
こちらも大きな地震や降雪があれば倒壊しそうなくらいぼろぼろの建物ですが、そこは軍の施設、意外と頑丈なのかもしれません。
こちらは所々の戸が開いており、中を見学できます。
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しかし屋内は外観にもまして崩壊が激しく、一部危険な箇所もあります。
この車庫は、本年に公開予定の特攻隊を扱った映画「空人」のロケを行った場所だそうです。
内装はロケを行った際にセットされたものらしいが、廃墟マニアが喜びそうなくらいの崩壊っぷりです。
爆撃された痕でも再現したんでしょうか。
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守衛所と車庫を通り過ぎた先には、道を塞ぐように長屋のような建物が建っています。
ここは桶川飛行学校の下士官棟と宿舎が一体になった建物で、下士官棟には入室することはできませんが、宿舎は桶川飛行学校の歴史や写真を集めた展示場になっています。
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宿舎と下士官棟の間の内廊下にて展示室見学の受付を行っています。
受付簿に名前と住所を書いて中に入ります。
なお内廊下の左側が宿舎で右側が下士官棟(助教室・医務室)です。
下士官棟は現在、スタッフの待機場所として使用されているようです。
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受付を通り抜けると、左手には宿舎の長い廊下があって、廊下の左に並ぶ部屋が一号~五号展示室になっています。
一号展示室から順次見学していくのですが、こちらの見学は時間がかかりそうなので、とりあえずその前に他の施設を見学したいと思います。
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宿舎と下士官棟の間の内廊下の先は、このように屋根のついた渡り廊下が続いています。
この渡り廊下の突き当りには、かつては講堂があったそうです。
70年以上も前、未来の陸の荒鷲がこの道を教官の講義を聞きに走っていったのでしょうか。
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講堂はもうありませんが、渡り廊下の先には物置と、なぜか鏡がありました。
「服装点検」の貼り紙が鏡の傍らにあります。
かつてはこの場所に被服倉庫があったそうです。その名残でしょうか。
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被服倉庫の隣には、当時のままのトイレ「厠」があります。
中を見学できますが、使用することはできません。
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「の」が抜けるだけで、ちょっと面白い説明書きになっていますね。
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中に入ると、確かに古いですが、現在の公衆トイレとそんなに違うものではありません。
構造は一緒ですね。
今はもう使っていないはずですが、かすかにし尿の臭いが漂っていました。
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個室を開けると和式便器でした。
この形も今あるものと特に変わりません。
しかしまあ当然というべきか、汲み取り式、俗にいうボットン便所です。
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外に便槽らしきものがあります。
バキュームカーもない当時、汲み取りは手作業だったのでしょうか。
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ざっと歩いてみたところ、桶川飛行学校は古く、少しの衝撃で崩壊しそうな建物ばかりですが、昔の古い分校跡だと言われてもさして違和感のない学校でした。
ここで軍人、将来の航空機乗りが軍事教育を受けていたと言われても、あまり実感が湧かないくらい、田舎に普通にありそうな古い学校です。
当時は、普通の少年が軍人になり、やがて航空機に乗ってドッグファイトをしたり空爆を行うのが普通の時代でした。
旧日本軍人と言えば、まったく別の世界の人間のような印象がある現代ですが、その実態は私たちと同じ心と価値観を持った人間だったのです。

次回は、宿舎の展示室を見学、紹介していきます。
(訪問月2015年4月)