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茨城県笠間市にある、筑波海軍航空隊の地下戦闘指揮所を訪問してきました。
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筑波海軍航空隊地下戦闘指揮所は、晴れの日の土、日、祝日限定で公開されている筑波海軍航空隊の地下壕跡で、記念館から徒歩15分くらいの位置にあります。
記念館にレンタサイクルもありますが、歩いてでも行けます。
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茨城県立こころの医療センターを正門を出て、病院の敷地沿いに南へ歩いていきます。
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歩道からフェンスの向こう側の病院敷地を見ると、荒れ地の中に何かの土台のようなものが見えました。
記念館駐車場の奥にあたる場所です。
あれはなんでしょうか。
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近寄って見てみます。
調べたところ、これは神社の礎石らしいです。
ここにはかつて、航空隊の隊員たちが無事故の祈願などをした筑波神社が建っていたそうです。
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しかし、筑波神社は戦後、地域住民たちによって取り壊されてしまいました。
筑波海軍航空隊は特攻隊の出撃基地であったことから、GHQによる報復を怖れての行為です。
仕方ない事とはいえ、守っていたはずの国民によって壊されてしまうとは、なんとも哀しいですね。
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筑波神社跡からさらに南側の敷地は、フェンスが鉄条網付きのより厳重なものになっています。
この先は病院の敷地ではないようです。
敷地内は荒れ野のようですが、なんの敷地でしょうか。
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ゲートの表札をみるに、こちらは「友部航空無線通信所」という施設のようです。
おお、いかにも航空隊の跡地っぽい。
しかしゲートから見えるのは荒れ地ばかりでどんな施設があるのかはわかりません。
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敷地を眺めていると、切り株の上に雉を見つけました。
友部には雉が多いんでしょうか、この他にもこの付近で雉を数匹見かけました。
雉鍋には困りませんな。
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友部航空無線通信所の敷地沿いの道をひたすら南下していきます。
旭町から清住町という地名に変わりました。
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いつの間にか、歩道の側溝の蓋の文字が友に変わっていました。
このマークはなんの意味があるのだろう。
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やっぱりレンタサイクル借りればよかったかな、と思い始めたころ、遠くにぽつんと立っている若い女性を見つけました。
地下戦闘指揮所へ道案内をするスタッフのようです。
地下戦闘指揮所の公開時間は長くないとはいえ、それほど多くない客のためにあそこに立ち続けるのは大変だと思います。
ここにスタッフDさん(固定式)を置いてはどうでしょうか。
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女性スタッフの指示に従い道を左に曲がると地下戦闘指揮所への道に出ます。
普通に住宅地の中の道を通っていきます。
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住宅地を抜けると、鬱蒼とした雑木林があります。
この雑木林の中に、地下戦闘指揮所が隠れています。
ちなみに地下戦闘指揮所の公開時間は11:00~15:30の間だけです。
記念館の開館時間とは違うので行きたい方は注意してください。
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雑木林の中にちょっとした空き地があり、そこにテントを建てて待機している記念館スタッフがいるので、記念館とのセット券を出してヘルメットと探照灯(懐中電灯)をもらいます。
懐中電灯の光量は弱めですが、地下戦闘指揮所は広くないので特に問題はありません。
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小山の中にあるこのドアをスタッフに開けてもらいます。
いざ地下の世界へ!
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坑内はかなりひんやりしていました。
夏場はいいでしょうが、冬は厚着していかないと凍えそうです。
暗さはだいたいこんな感じです。
懐中電灯で照らさないと何も見えません。
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カメラのフラッシュを焚いて見ると、坑内はこんな感じになっていました。
30メートルくらいの奥行きがある通路です。
地下戦闘指揮所は、昭和20年2月にできた地下要塞で、司令部が爆撃されて使えなくなったときにここから指揮をとるために建設されました。
しかし、司令部庁舎は終戦まで無事に残ったため、この地下戦闘指揮所は一度も使われることなく終戦を迎えることとなりました。
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通路の左手に、コンクリート製カマボコ型の部屋がありました。
幅5mくらいの、地下にしては大きな部屋です。
この大きな部屋は東西南北四方向に出入り口がある交差点のような部屋になっています。
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部屋の向こう側には、入り口通路とまったく同じような通路があります。
この地下要塞は、二つの長い通路の間に五つの細長い部屋がある、はしごの形みたいな構造になっています。
一方の通路が爆撃によって破壊されても、逃げられるようにでしょうか。
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ふと気配を感じて見上げると、天井にはいつもの奴が。
今日は同行していませんが、私の相方の天敵、ゲジです。
しかし小さいのでたいしたことはありませんね。
数匹のゲジが頭の上にいましたが、ゲジは毒もないしあまり動かないので害はありません。
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通路と通路の間には、さっきのカマボコ型の大きな部屋が二つと、このような小部屋三つが交互に並んでいます。
こちらの小さな部屋は奥が行き止まりになっています。
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この小さな部屋の天井や壁には大きな丸い穴がいくつか開いています。
通気口は途中で曲がっていますが、中には空が見える穴があります。
地下から上空をうかがうための穴だったのでしょうか。
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また通路のコンクリートにはいくつか割れ目があり、外の土が見えました。
この地下要塞はもともと平地だった場所に、プールのように四角い2mの穴を掘り、木枠を利用してコンクリートの部屋を作り盛り土をして作ったという。
山に穴を掘ったのではなく、山自体が人工の山なのです。
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地下要塞の中央にある小部屋。
筑波海軍航空隊の歴史などを伝える映像が流れているプロジェクターが設置されています。
これまでいくつか地下壕に入ってきましたが、地下壕の中でプロジェクターを見るのは初めての経験です。
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おっと、今度は天井に複数のカマドウマが。
やはり小さいのでたいしたことはないです。
しかし夏場にはもっとでかいのがいるかもしれません。
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プロジェクターのある小部屋の隣には、またカマボコ型の大きな部屋があります。
この部屋も四方向に出入り口のある部屋になっています。
戦後すぐにこの地下要塞を見た近所の人の話では、このカマボコ型の部屋に鉄の二段ベッドがあったらしいです。
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さらにその奥にある小部屋には、一瞬見てぎょっとするようなものが置いてありました。
なんでしょうかあれは…。
ものすごく大きいトウガラシの実?
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近づいてみると、戦争体験談の募集ポストのようでした。
砲弾型のポストだったようです。
しかし、記憶を保存するという試みはとてもいいと思うのですが、こんな地下に設置されていても誰も投函できないのでは?
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最後に、この地下戦闘指揮所の肝ともいえる通信室があります。
この部屋だけは、各部屋が梯子状になっている地下要塞から少し離れた場所に作られています。
この部屋には通信機や発電機・配電盤があり、機密上も重要な部屋であったため、もし仮に地下要塞が敵に見つかって踏み込まれたとしても、この部屋だけは入り口を塞いで防衛・時間稼ぎできるようにしたためではないかと考えられています。
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司令部庁舎が爆撃された際、地下から航空隊を指揮する予定だった筑波海軍航空隊地下戦闘指揮所。
一度も使われることなく終戦となりましたが、仮にここで指揮を取るような事態になった場合、もはや飛ばす飛行機などほとんど残っていなかったのではと思います。
追い詰められた日本軍は、ここでどのように戦おうとしていたんでしょうか。
次回は筑波海軍航空隊の地下応急医療所や滑走路跡をレポートします。
(訪問月2015年5月)