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秋田県鹿角市にある日本近代化産業遺産、史跡尾去沢鉱山を訪問してきました。
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尾去沢鉱山は西暦708年に発見されたとされる鉱山です。
かつて、ここから産出された金が、平泉の中尊寺金色堂建立に使われたとも言われています。
尾去沢鉱山は、昭和53年(1978年)に主産出資源だった銅価格の低迷と枯渇によって閉山するまで、日本の近代化産業を支えてきました。
この尾去沢鉱山が、国内最古の銅鉱脈群採掘跡として公開されているというので訪問してきました。
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史跡尾去沢鉱山の見所は、尾去沢鉱山の800kmにおよぶ坑道のうち、1.7kmを整備した観光坑道「石切沢通洞坑」です。
坑内では約900万年前の地殻の断層や、再現された採掘の作業風景を見学しながら、尾去沢鉱山の歴史に触れることができます。
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通洞坑前にいるのは尾去沢鉱山のマスコットキャラクター、和銅元年熊組の鉱太くん。
同じ熊がモデルということもあり、「くまもん」のようです。
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そんなわけで通洞坑に入っていきます。
入洞料は2015年現在で1000円。
トロッコのレールの上を歩いていきます。
気分はRPGのダンジョン攻略。
坑道は最初、こんな感じにコンクリートで固められていますが、すぐに素堀りの坑道に変わっていきます。
また観光坑道らしく、あちこちで暗い洞窟には似合わない、妙に明るいBGMと鉱山案内のアナウンスが入ります。
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なお大きな洞窟のご多分にもれず、坑道内はかなり寒いです。
外は暑くても、何か上着を持っていった方が賢明です。
なにせ一周が約40分かかるので、油断すると寒いまま延々歩かされる結果になります。
トイレは中間地点に一か所ありますが、お世話にならないようにしたいです。
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尾去沢鉱山の資源たる銅鉱脈。
尾去沢鉱山の鉱脈は20以上の鉱脈群により構成されているという。
そこから産出される鉱物は、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱が主で、その他に少量の金や銅鉱物、銀鉱物があるそうです。
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その鉱脈採掘には、シュリンケージ採掘法という採掘方法がとられました。
この方法は、まずレッグドリルと呼ばれる削岩機を使用して穴を開けます。
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削岩機で20か所ほど穴をあけた後、ダイナマイトなどの火薬を穴に突っ込み、発破して岩石を砕き水平坑道を開削します。
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水平に坑道を作ったのち、採掘した鉱石を足場にしながら、今度は上向きに三段の発破を行います。
ストーパーと呼ばれる削岩機を使用し、上向きに発破孔を作ってダイナマイトで破壊、鉱石を採掘します。
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最後は砕いた鉱石を漏斗によって鉱車に流し込み、鉱石を採掘します。
このような手順によって鉱石が採掘されるため、通洞坑内は上が空洞になっている箇所が多いです。
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そんなシュリンケージ採掘法でできた採掘跡がこれ、グランドマインキャニオン。
鉱石を上に上にと採取し続けたことによって、坑道内にできた巨大な谷です。
上も下も深すぎて、どこまで続いているのかわかりません。
グランドマインキャニオン。
大事な言葉なのか、ここで流れるアナウンスで二回言われます。
よく覚えておけよということでしょうか。
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坑道内にある山神社。
良い鉱石が出ることと坑道内での安全を願って建立されたものだそうです。
このような山神社は、尾去沢鉱山以外の鉱山でもよく見られたという。
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テーマパークでもある石切沢通洞坑内には、当時ここで作業していた人たちの作業風景が再現されています。
こちらは坑内休憩所。
鉱山で働く人たちは、坑口から蓄電池式機関車でやってくると、まずは坑内休憩所に来たという。
ここで着替えをしたのち、作業場に向かい、作業が終わるとまたここに戻り、遅い昼食をとって帰っていったそうです。
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当日の作業指示を受ける出発前の作業員たち。
右手の標語はおそらく当時のものだと思われます。
坑道での作業は危険を伴う作業のため、安全に関する指示は特に厳しく徹底されていたそうです。
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ケージと呼ばれるエレベーターによって立坑へと降りていく作業員たち。
「やめなさい 手順無視してまた作業 いつか地獄へ直滑降」
思わず笑ってしまうような標語ですが、現場で働いていた人たちにはまさにその通りであっただろう。
日本の近代化は、こうした危険な採掘作業を行っていた人たちによってなされたものでした。
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石切沢通洞坑も終盤に差し掛かると、突然江戸時代へとタイムスリップします。
江戸時代、南部藩の管轄下に置かれた尾去沢鉱山は、金の採掘される鉱山として堀り進められました。
石切沢通洞坑には、江戸時代に作られた坑道「ちょんまげ坑道」が残っています。
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江戸時代には当然機械はないので、坑道は人が座って槌と鑿だけで掘り進めました。
そのため江戸時代の坑道は幅60センチ、高さ90センチとかなり狭いものになっています。
鉱石の採掘を槌と鑿だけで行うのは高度な技術を要したため、その技術の伝承は従弟制度によって引き継がれたといいます。
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「からめる」と呼ばれる金の精選風景。
こうして男性が採掘した鉱石を、女性が金を探して選り分けていました。
なんでもいいですが、なぜかザルには小銭が入っていますね。
お賽銭箱じゃないんだから。
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壁に刻まれた十字架を崇める鉱夫たち。
キリスト教を弾圧した徳川幕府から逃れるため、九州のキリスト教徒がこの地に逃れて「隠れキリシタン」として鉱山で働いていた時期があったそうです。
九州から東北までどんだけ逃げてくるんだよと突っ込みたくなりますが、当時はそれだけ弾圧が過激だったということでしょう。
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約1300年もの間、日本人がこの坑道に潜り鉱物を採取し続けてきた尾去沢鉱山。
日本の鉱業の歴史、変遷を知るうえで大変貴重な史跡であると思います。
気軽に入れる鉱山跡ですので、興味ある方は訪問されてはいかがでしょうか。
(訪問月2015年5月)