中央区銀座にある近代建築、奥野ビルを訪問してきました。
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有楽町線銀座一丁目駅のすぐ目の前にある、ものすごいインパクトの奥野ビル。
現代的なビルが立ち並ぶこの周辺において、昭和レトロな造形が一際異彩を放っています。
奥野ビルは1932年(昭和7年)に建てられた本館と1934年(昭和9年)に建てられた新館が左右対称に並ぶ、地上七階、地下一階のアパートメントです。
歴史の教科書に出てくる、満州事変(1931年・昭和6年)などが勃発していたころに、こんな立派な建物ができていたのかと思うと感慨深いです。
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奥野ビルは建築当初銀座アパートメントとよばれ、先進的な設計・装備を備えた銀座界隈でも屈指の高級アパートメントでした。
建築から80年以上が経過した現在ではそのレトロな外観を活かし、アンティークショップや数多くギャラリーが入るアートビルになっています。
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一階エントランス。
この奥野ビルを設計したのは、関東大震災の復興支援のために東京・横浜各地に設立された鉄筋コンクリート製アパート「同潤会アパート」の建築部長だった川元良一氏。
同潤会アパートはすべて取り壊され、姿を消してしまいましたが、今も現役の奥野ビルは当時の関東大震災復興建築を知る貴重な歴史的建造物と言えます。
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この奥野ビルの最大の見所はこのエレベーターです。
なんと手動式のエレベーターで、銀座でもっとも古い手動式エレベーターだという。
呼び出しボタンを押してカゴが来たのを確認したら、自分で外側のドアと内側の黄色の蛇腹を開けて中に入ります。
ちょっと力が必要で、慣れていないと危ないかも。
あと、開けるのはいいんですが、閉まるスピードがかなり早いので注意が必要です。
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エレベータードア上には金色のインジケーター。
エレベーターの呼び出しボタンを押すと、インジケーターの針が反時計回りに下がってきて、針の位置でだんだんとカゴが降りてくるのがわかります。
まるでブレーキをかけた車の速度計のように、針が7から1に落ちていく様は面白い。
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またエレベーターを降りた後は、きちんと手動で内側の蛇腹と外側のドアを閉めなければならりません。
どちらかが開いたままだとエレベーターが動かなくなってしまうので、他の利用者の迷惑になります。
一分間ドアを開けたままにしておくと、忘れるんじゃないよと警告のブザーが鳴り響きます。
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最上階の七階までエレベーターで行き、そこから階段で下りていきます。
階段はコンクリートむき出しの無機質なもので、なんとなく雰囲気が暗い。
ビル内部は防音性が高いのでしょうか、銀座のど真ん中とは思えないほど物音が自分の足音以外聞こえません。
あまりに静かなので、たまにどこかから人声がするとどきっとします。
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階段を降りた先には、昭和レトロな消火栓がありました。
おそらく奥野ビルができた時に設置されたであろう消火栓。
築80年以上という奥野ビル、今日までこの消火栓が使われたことはなかっただろう。
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奥野ビル内部は全体的に暗い色調で、灯りも薄暗くなにより窓が少ないので、どんよりした閉塞感が漂っています。
この息苦しい窮屈さはなんだろうか。
誰もいない階段や廊下を歩いていると、なんだかホラー映画の一場面に迷い込んでしまったかのような、そんな錯覚を覚えます。
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階段踊り場の枯れた植木。
そりゃ、こんな光の当たらない場所じゃ枯れちゃうよな…
しかしながら、奥野ビルには生い茂った観葉植物よりこんな枯れ木の方が似合っている気もする。
ひょっとしてこれはインテリアなのでしょうか。
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各階には、小さな画廊が数軒入っています。
画廊は完全にドアが閉まっているところもあれば、このように戸を開けてウェルカムな画廊もあります。
画廊の絵を見ながら、なんとなくですが、このビルの内装、外装にはこうしたアートギャラリーがとても雰囲気にあっているように思われました。
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奥野ビルに漂う閉塞感の正体は、きっと天井が低いことにあるのだろう。
当時の日本人の身長のためか、奥野ビルは全体的に天井が低いです。
太平洋戦争の敗戦後進駐してきた連合軍は、めぼしい建築物を片っ端から接収したが、奥野ビルは天井が低くて取られなかったという。
この息苦しい閉塞感と昭和レトロの内装外装、アートギャラリーというコンテンツの三つが、うまくマッチしているのが奥野ビルなのかもしれない。
(訪問月2016年1月)