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太平洋戦争中の日米激戦の地として知られる、パラオ共和国のペリリュー島。
そのペリリュー島に遺る日本軍の基地跡「西カロリン海軍航空隊司令部」の廃墟を歩いてきました。
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ペリリュー島では太平洋戦争後期の1944年9月15日から11月25日までの2か月以上にわたり、守る日本軍と攻めるアメリカ軍の間で戦闘が発生。
1944年7月に絶対国防圏の要衝、サイパン島が陥落すると、次の連合国軍の目標はフィリピンとなり、その足がかりとして日本統治下にあったパラオ攻略作戦が行われました。
写真は、ペリリュー攻略作戦で米軍が上陸してきた海岸の一つ、オレンジビーチです。
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ペリリュー島のジャングルの中には、今なお当時の日本海軍の司令部廃墟が残っています。
太平洋戦争当時、ペリリュー島には日本軍が建設した長大な滑走路があり、マリアナ諸島やトラックの後方基地として重要な飛行場がありました。
その飛行場の司令部がこの西カロリン海軍航空隊司令部跡です。
米軍がパラオ本島には上陸せず、ここペリリュー島に上陸したのはこの飛行場があったからでした。
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ペリリューは航空隊の基地ですが、しかしペリリューの戦い当時、日本軍にはもう飛ばす飛行機はほとんど残っていませんでした。
前回紹介したパラオ大空襲やマリアナ沖海戦の敗北によってすでに航空機は失われ、制空権・制海権はすでにアメリカ軍の手に渡っており、日本軍は孤立無援の中で絶望的な戦いを余儀なくされます。
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そのペリリュー島を、アメリカ軍は約五万の兵力を持って攻撃しました。
守る日本軍の総兵力は軍属を含めても約一万。
それだけでもかなりの戦力差なのに、アメリカ軍の優秀な艦隊支援や航空支援を考慮すると、その戦力差は数百倍はあったとも言われてもいます。
しかし救援作戦であった「あ号作戦」の失敗によって機動部隊が壊滅していた日本軍には、援軍は望めない状況でした。
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事前偵察や暗号解読によって日本軍の戦力をかなり正確な所まで解析していたアメリカ軍は、その戦力比較からこのペリリュー島を2、3日で落とせると思っていました。
実際に、アメリカ軍上陸前の猛烈な空爆及び艦砲射撃により、日本側の地上施設はほとんど破壊されつくしてしまったという。
この穴だらけの司令部廃墟を見るだけでも、それがどれほど激しい攻撃だったのかが推察できます。
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爆弾が落ちたのでしょう、見上げると二階に大穴が空いています。
むき出しになった鉄骨と、その上に生い茂った樹木が取り混ざっていて、不思議な芸術を形作っていました。
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当然、建物の窓ガラスなどはすべてなくなっています。
床の楕円形の穴はトイレでしょうか。
別の部屋にはお風呂と思われる施設もありました。
肝試しスポットにでもなっているのでしょうか、あちこちに英語の落書きがあります。
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階段はまだ健在であり、2階にもあがれます。
2階には当然柵なんて気の利いたものはなく、あちこちに穴が開いているのでうっかり落ちないよう注意が必要です。
こんなジャングルの中で2階から落ちて重傷なんてシャレになりませんね。
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しかしこの建物、もともとがかなり頑丈に作られているためか、よくある廃墟のようにいきなり足元が抜けたりしそうな感じはありません。
ちょっと危ないですが、こんなことも普通にできます。
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2階にも木々が生い茂っています。
これは屋上に生えた木の根っこが、ガジュマルのように土を垂れ下がってきているのでしょうか。
恐るべき生命力ですね。
アメリカ陸海軍航空隊による空爆、戦艦5隻・重巡洋艦5隻からなるアメリカ艦隊の艦砲射撃と高性能焼夷弾によって島内のジャングルは丸裸になるまで焼き払われたといわれていますが、
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それから何十年も月日が経った今は木々が復活し、今や自然と廃墟の司令部が同化しています。
その様はなんだか神々しくて、まるで何百年も時が経った古代遺跡のようです。
いつかはこの廃墟も自然に還っていくのでしょうか。
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艦砲射撃と空爆で原型を留めていない西カロリン海軍航空隊司令部。
日本軍部隊がここに留まっていたら、おそらく壊滅は避けられなかっただろうと思います。
しかし、アメリカ軍上陸前に行われたこの激しい攻撃では、日本軍はほとんど無傷であったと言われています。
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2階からは防空壕が見えます。
日本軍は米軍の攻撃が始まると地下に潜り、攻撃をやり過ごしていました。
ペリリュー島全体には地下壕が無数に掘ってあり、島の地下はアリの巣のようになっていたと言われています。
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また各地に設置されていたトーチカは出入り口が分厚い鋼鉄製の扉になっているなど、島全体が徹底的に要塞化されており、日本軍はじっとその中で攻撃に耐え、アメリカ軍海兵隊の上陸を待ち構えていました。
日本軍は、アッツ島の玉砕をはじめとする太平洋の島々での敗北経験から、それまでの島嶼防衛の伝統的手段であった水際撃滅作戦を捨て、要塞化した陣地やペリリュー島の山岳地帯に多数存在する自然洞窟を利用した持久戦術に切り替えていたのです。
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結果的にこの持久戦術は功を奏し、アメリカ軍は3日で落とせると思ったペリリュー島の攻略におよそ73日間足止めされ、かつ日本軍の死傷者を上回る死傷者を出す結果となってしまいました。
日本軍はこの司令部を早々に放棄し、アメリカ軍はここを飛行場とともに占領しますが、その後約二ヶ月に渡り、無謀なバンザイ突撃をしてこない、神出鬼没の日本兵を相手に地獄の戦場を戦い続けることになります。
そして日本軍もまた、勝利の見込みのない、果てしなく苦しみが続く地獄の戦場を戦い続けました。
その命脈が、文字通り尽き果てるまで…
(訪問月2012年9月)

※本記事は当ブログ創設期(2014年4月)に書いたパラオの記事を、ブログ二周年記念として書き直した記事です。