台東区根岸三丁目にある、旧陸奥宗光別邸を見学してきました。
明治時代に外務大臣を務め、欧米列強との不平等条約改正などに尽力し、その手腕から「カミソリ大臣」と呼ばれた陸奥宗光。
その陸奥宗光が住み、死没したところと言えば北区西ヶ原の現在旧古河庭園があるところですが、そことは別に陸奥宗光の別邸が今も残っているという。
果たしてどんなところなのかと思い、訪問してきました。
現在地はJR山手線鶯谷駅からほど近い言問通り上です。
鶯谷駅付近はラブホテル街などがあり、昼間でも雰囲気はあまりよくない。
旧陸奥宗光別邸には鶯谷下交差点から言問通りを根津方向に約150メートルほど歩き、この飲み屋の間にある路地へ右に曲がっていきます。
目的の旧陸奥宗光別邸は、賑やかな言問通りから一歩わき道に入った住宅街の中にあります。
旧別邸は旧古河庭園のような観光名所ではなく、かと言って管理されていない廃墟というわけでもなく、加えて周辺には古い建物が多いため、それがそうだと言われなければ一見してその建物が旧陸奥宗光別邸とはわかりません。
旧陸奥宗光別邸までの道の途中、右手に随分年季の入った建物がありました。
こちらは酒井工務店という、昭和15年(1940年)築という木造三階建ての商店です。
猥雑な印象の鶯谷駅前ですが、このあたりはこうした昔ながらの建物が多い閑静な住宅街になっていて、旧別邸を一層を目立たない存在にしています。
酒井工務店の玄関先。
解体工事の貼り紙が貼られていましたが、告知されている解体日時はとっくに過ぎています。
解体工事が進んでいるようにも見えませんが、どうなっているのでしょうか。
猫に餌をあげないでくださいの貼り紙が斜め下にありますが、その猫がやたら可愛らしく写っていて、なんだか動物愛護の宣伝みたいな感じになっています。
酒井工務店の前を通り過ぎると、その先に外壁が白く塗られた洋館建築の旧陸奥宗光別邸があります。
陸奥宗光は明治16年から同20年まで、当時流水豊富で風光明媚の地だったここ台東区根岸に居を構え、この建物は明治20年頃三井家から寄贈されたものであるという。
明治20年というと西暦1887年であり、今年(2016年)から130年近い年月が経っていることになります。
旧別邸の二階には20畳の大広間があり、陸奥宗光はここに外国人外交官を招いてパーティを開いていたという。
この旧陸奥宗光別邸は宗光が没した明治30年(1897年)、実業家・長谷川武次郎氏の所有になり、現在でも個人のものとなっています。
西宮版画店という画廊として利用されているようですが、詳細はわかりません。
建物正面は白い塗装が施され、それほど古い建物には見えないのですが、裏手に回ると蔦が絡まりまくりの廃墟的建物があります。
白い外壁は最近塗り直されたものだそうで、こちらの建物こそが当時の姿を表しているといえるでしょう。
個人の所有物ということもあり、確認してませんが普通の観光マップ等には載っていないだろうと思われる旧陸奥宗光別邸。
上野近辺を散策する際は、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
(訪問月2016年2月)
コメント
コメント一覧 (2)
以前、鶯谷の近くに住んでいた時、
この家の前を通って駅に行っていました。
最初にこの家を見た20年前は、もっとぼろぼろで、
今にも倒壊しそうな空き家に見えましたが、その瀟洒なつくりに魅入られてしまいました。
以来、引っ越すまでほぼ10年ほど、毎日、一度は視線を止めて眺めていました。
その間に、時折灯りがもれているのに出会い、「住んでいる人がいるのかっ!」と驚いたり、塗り直されたので「リフォームして使うのか!」と期待したり、
いろいろ楽しませてもらいました。
由来を知りたくて、古い地図を見てみたりもしましたが、
結局、なんだかわからないのが残念でした。
今日、たまたま(実はもう一つ気になっていた古い旅館について調べてみようとしていたのですが)、
「この家の前に由来を記した看板ができた」という記事を読み、
長年の謎がとけて興奮いたしました。
それから「旧陸奥宗光邸」で検索してこちらの記事にたどり着きました。
今はもう、この家の前を通ることはなく、看板を目にすることはないので、
ここで詳細を知ることができて嬉しかったです。
ありがとうございました。
最近この家の前に、由緒書ができたのですか。
それは知りませんでした。
何気なく町を歩いていると、おや、と思うものがあちらこちらにありますね。
気になって調べて、歴史上重要な思わぬものだったということがわかると、私はなにやら宝物を見つけた子供のような楽しい気分になります。
このブログを通して、そのような気持ちになっていただけたのなら幸いです。