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墨田区東向島にある時計展示施設、セイコーミュージアムを見学してきました。
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白髭橋東詰交差点の近くにあるセイコーミュージアム。
日暮里や亀戸の駅から出ている都営バスに乗って、白髭橋東バス停で下車すると近いです。
なお、ミュージアムの見学にあたっては電話にて事前の連絡が必要です。
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セイコーミュージアムは、世界中で現代に至るまでに使用された時計が多数展示された時計の博物館です。
館内には様々な地域、時代の時計が展示されており、そのひとつひとつについて職員の方から詳しく解説してもらえます。
館内はそれほど広くはありませんが、解説が丁寧かつきめ細やかなため見学に要する時間は約60分。
まずはミュージアム1階から見学します。
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真ん中の円盤は中国が清だったころ(1616~1912)に使われた日時計。
赤道型(こま型)日時計という名前らしいです。
太陽の位置によって、真ん中の投影棒の影の位置が刻々と変わっていきます。
影が落とされる板は目盛り板になっていて、その目盛りを見て当時の人は時間を測ったという。
かなり大雑把な時間の測り方ですね。
時代的にはそんなに古いものではないのですが、アジアではあまり時計は発展しなかったようです。
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こちらは1500年ころ、ヨーロッパで使われていた鉄枠塔時計。
アジアに対しヨーロッパでは1300年頃、機械式塔時計が発明されており、時計の中身はこのような感じになっていたそうです。
重錘式、冠型脱進機、棒テンプ、時打ちといった仕組みで稼働する時計で、一日の誤差は30分程度だったとのこと。
1500年ころからこのような複雑な機械を造れたあたり、さすがはヨーロッパと言ったところでしょうか。
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その後、ヨーロッパでは振り子式の時計が発明され、時計の精度はさらに向上することになります。
振り子時計とは、ガリレオ・ガリレイが発見した振り子の一定の周期で揺れる性質を応用した時計です。
時計の動力は時計から垂れ下がった錘であり、その動きを振り子で制御して時を刻む仕組みになっています。
精度の高い振り子時計ですが、しかしながら振り子を使う関係上、船などでは使えないという欠点がありました。
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時計は時間の計りとしてだけでなく、装飾品としても発展していきました。
こちらは中国の上流階級の人間が持っていたという、豪華な装飾とギミックのついたからくり押打ち鍵巻懐中時計。
19世紀のものだそうで、時間が来ると時計の中の両脇にいる人形が、手に持っている金づちで鐘を叩くというギミックが仕組まれています。
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時計の発展の仕方は、地域によってかなり違ったようです。
前面にある芸術的な像の時計がフランス製の時計、その後ろにある簡素な時計がアメリカ製の時計。
ヨーロッパの時計は芸術的かつギミックにこだわったものが多いのに対し、アメリカの時計は実用的なものが多いんだとか。
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続いて2階展示室、こちらは打って変わって日本の和時計コーナー。
まだ24時間制ではなかった江戸時代、当時の日本の時間基準だった夜明けと日暮れを基準にする「不定時法」に合わせて独自の改良が施された「和時計」のコレクションです。
明治時代に入ると西洋に合わせて時間が24時間制になり、和時計は無用のものとなってしまったため、和時計は生産台数が少なく希少価値が高いという。
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和時計コレクションの他、2階にはセイコーが1881年の創業から取り扱ってきた数々の時計が展示されています。
セイコーは創業者、服部金太郎が21歳の時に京橋采女町に開業した小さな時計店「服部時計店」がその始まりです。
服部時計店は当初、輸入時計の販売・修理事業を行っていましたが、やがて社名を「精工舎」とし工場を設立、自社製の時計を製造するようになります。
しかしながら1895年、精工舎は最初の懐中時計製造に成功するものの、時計製造事業は長年赤字続きであったという。
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精工舎の時計が飛躍したのはヨーロッパが戦場となった第一次世界大戦の時。
写真の時計は大正4(1915)年にイギリス等へ大量輸出された精工舎の目覚まし時計です。
それまで時計の輸出の主流だったドイツ帝国が中央同盟国として第一次世界大戦に参戦、ドイツが資源の枯渇等から輸出ができなくなると代わって日本の時計輸出が激増しました。
精工舎はこの大戦景気に乗り、一気に事業を拡大。
服部金太郎は「東洋の時計王」と呼ばれるようになります。
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しかし第一次世界大戦の五年後の1923年、関東大震災が起こり、巻き起こった火災旋風の影響で精工舎の社屋と工場の大半が焼けてしまう。
写真は焼け跡から発見されたという、溶解してくっついてしまった懐中時計。
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関東大震災で大打撃を受けた精工舎ですが、服部金太郎はすぐ気を取り直し、精工舎の再興に尽力。
震災による火災のために、修理で預かっていた時計はほとんど焼失してしまったが、それをすべて新品に交換するなどといった活動により、顧客からの信頼を得ていったという。
自分たちが苦しくても信義を守る、そうした誠実な活動が、精工舎の再興に繋がっていったようです。
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「急がず休まず、一歩先に」
それがセイコー創業者・服部金太郎の遺した言葉であったという。
商人として成功するためには常に他者より進んだ位置にいなくてはならないが、その位置はほんの一歩先でいい。
あまりに先に進みすぎていると誰もついてこない、進む位置は一歩。
ただ一歩だけでいいのだと語ったと言われています。
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時代の流れの一歩だけ先に。
これは商人の成功の秘訣だけでなく、人生で失敗しないためのコツとも言えることだと思います。
時代を先取りしすぎて、あまりに先進的なことをしてしまうと、「非常識」の烙印を押されてしまい、周りから集中攻撃をくらうなんてことはよくあること。
そうはならないよう、この「一歩だけ先」を肝に銘じていきたいですね。
(訪問月2016年2月)