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今回の訪問先は、豊島区東池袋にあるスガモプリズン跡地です。
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スガモプリズンについては、まず前回の記事をお読みください。
ちょうど一年前に訪問したスガモプリズン跡地、東池袋中央公園。
池袋まで買い物に行く用事があり、近くを通りがかったので寄ってみました。
東池袋中央公園の雑木林の向こうに、巨大なサンシャインシティのビルがそびえ立っています。
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ちなみに東池袋中央公園の正面向かいは「乙女ロード」です。
そのためか、このあたりはスガモプリズンの跡地にもかかわらず若い女性がとても多いです。
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やってきた東池袋中央公園。
去年来たときと造形はまったく変わっていません。
人通りの多い池袋において、都民の憩いの場になっています。
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東池袋中央公園の中心部にはカスケードがありますが、今は時季外れのためか水は流れていませんでした。
今回の訪問先は、このカスケードの奥に見える雑木林です。
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東池袋中央公園の形状はこのようになっています。
東側には中央のカスケード(人工滝)をぐるっと回遊できる散策路があり、その周囲は雑木林になっています。
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こちらは公園北側にある回遊式散策路入口。
正面は鬱蒼した雑木林になっていて、昼間でも薄暗く、雰囲気はあまりよくありません。
今回ここを訪れようと思ったのは、この雑木林の中に、かつてこの地がスガモプリズンであったころ、第二次世界大戦のA級戦犯を処刑した絞首台があったと、とある知人の老人から聞いたからです。
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その老人によると、絞首台を見たのはスガモプリズンが1958年に日本に返還され、東京拘置所に戻った後のこと。
東京拘置所が小菅に移転した1971年、移転直前(直後?)の巣鴨東京拘置所内に入る機会があったらしく、その時、A級戦犯を処刑した絞首台はまだ現存していて、それは現在の人工滝の裏側にある雑木林がある辺りにあった、という話です。
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散策路を回遊し、カスケードの裏手にきました。
その老人の話が本当ならば、かつてこの辺りに絞首台があったということになる。
「そんなものがあったためだろうか、あの辺は薄気味悪く、雰囲気が違う」
とはその老人の言です。
確かにこの辺りは賑やかな池袋の中にあって、鬱蒼とした雑木林に囲まれ、別世界のように重苦しい空気が漂っている気がしないでもない。
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ふと何かに見られている気配がして、振り返ると、雑木林の中にブルーシートで出来たテントがありました。
なんだこれは?
そのテントの前で、野良猫だろうか、きれいとは言い難い数匹の猫たちが一斉にこちらを見ています。
そして、横には、何かを作って猫たちにあげている、おそらくホームレスであろうおじさんがいました。
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どうやらこの猫たちは野良猫…それも捨て猫の野良猫のようです。
近寄ってもまったく逃げる気配をみせず、人間を信頼しきっています。
それにこの毛並みは、日本在来のものではなく、ペットショップとかで売られている類のものだろう。
さっきのおじさんがこの猫たちに餌をあげているのでしょうか。
本当はダメなのでしょうが、家がなくても、捨て猫たちに餌を与えるというのはなかなかできることではありません。
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公園南側散策路まで歩いてきました。
ちなみに散策路では、薄気味悪くて誰も来ないだろうとか思っていたら、全然そんなこともなく、おじさん以外にも色んな人が猫に餌をあげているのか、ちょこちょこ人がやってきては猫たちに話しかけていました。
かつて絞首台が置かれていたという場所(伝聞)は今、猫好きな人たちが捨て猫たちに話しかけ、猫たちも逃げることなく黙って聞いているという、殺伐とした都会には似つかわしくない、人と猫の語らいの場になっているようでした。
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雑木林の中をちょっと検索してみたものの、絞首台は東京拘置所の移転時に破壊されたのか、残念ながら遺構は見つけることができませんでした。
あのホームレスのおじさんに聞けば何かわかるかもしれませんが、そこまでの勇気は持ち合わせていません。
かつて、大日本帝国の指導者の命を呑み込んだスガモプリズンの絞首台。
果たして本当にこの場所にあったのでしょうか。
当時はこんな雑木林などなかったはずであり、絞首台跡地であるがゆえに、入れないように雑木林を作った、ということも考えられますが、現状では真相はわかりません。
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仮に処刑場がこの場所にあり、処刑台の露と消えた魂がこの雑木林に宿っているとするなら、今この場所が人と猫の憩いの場所になっている事実を、なんとみるでしょうか。
一国の指導者になるということは、そこには大変な苦労が伴い、真に国を想う気持ちがなければできないことです。
戦いに敗れ、戦犯として処刑されたといえど、その苦労と愛国心に対し、頭を下げました。
指導者としての苦労の中で、責任をとる形で非命に散った魂が、殺伐としながらも平和に人々が暮らす約70年後の帝都を見て、穏やかなる眠りにつくことを望みます。
 (訪問月2016年3月)