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今から69年前、太平洋戦争末期の昭和20年3月10日午前0時すぎ、台東区や墨田区など東京都区部東部地区の下町を目標として、325機のB-29アメリカ陸軍戦略爆撃機による大規模空襲が行われました。
焼夷弾による無差別爆撃は、木造家屋が密集していた下町を焼き尽くし、日本側は民間人に約10万人といわれる死者をだすことになりました。
空襲を受けた台東区の隅田川を渡す橋、言問橋のたもとには東京大空襲の犠牲者を弔う慰霊碑があります。
そこを歩いてきたので紹介します。
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戦後70年近く経つ現在でも、献花や折り鶴が絶えない慰霊碑。
空襲時、言問橋を渡って墨田区側に行けば助かると考えた台東区の住民と、同じように台東区側に行けば助かると考えた墨田区の住民が言問橋上でぶつかってしまい、橋上で身動きがとれなくなったところに焼夷弾を受けて、たくさんの住民が焼け死に、または橋の欄干から隅田川に身を躍らせました。
まだ冬の寒さが残る3月上旬の深夜の川の冷たさに、凍死、溺死する人が続出、翌朝の隅田川は遺体で埋め尽くされていたといいます。
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現在の言問橋。今はスカイツリーを眺める絶好の撮影スポットとなっています。 
表面からはそういった悲惨な過去があったことなど微塵も感じさせない言問橋ですが、一部の橋の親柱には、今も橋の上で焼け死んだ人の血液や脂が焼き付いて残っているそうです。 
悲惨な場所であっただけに、様々な怪談で取り上げられることのある橋となっています。 
(訪問日2012‎年‎11‎月‎3‎日)