江戸三大刑場跡を歩いてきました。
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品川区南大井の鈴ヶ森刑場遺跡。
江戸三大刑場のひとつで、心霊スポットサイトなんかでよくでてきます。
しながわ水族館に遊びに行った帰りに立ち寄ってきたので紹介します。
京急本線大森海岸の駅から、第一京浜を北に500メートルほど歩いたところの右側に、整備された大通りには相応しくない雑木林のような一帯が見えてきます。
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鈴ヶ森刑場は当時の東海道沿いの、江戸の南側入り口にありました。
北の入り口、日光街道沿いにあったのが小塚原刑場。
西の入り口、甲州街道沿いにあったのが大和田刑場。
この3つを合わせて江戸三大刑場というようです。
江戸に犯罪目的で入ってくる者を威嚇するために、各街道の入り口に刑場が設けられたそうです。
鈴ヶ森刑場では10万人から20万人といわれる罪人が処刑されたといいます。
現代のような科学的捜査手法もなかった時代のこと、そのほとんどは実際は冤罪であったなどとも言われていますが。
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磔台や火炎台跡。
鈴ヶ森刑場跡は心霊スポットとしてもよく取り上げられていますが、行ってみると残っているのはこのような看板と、井戸や磔用の木柱を立てた石等がわずかに残っているばかりです。
敷地面積も小さくて、うっかりすると見逃してしまうくらいです。
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帝都の寺社を歩いているとよく名前を見かける八百屋お七が処刑されたのもこの鈴ヶ森刑場。 
わずか15歳の少女に火あぶりの刑とは、なかなか厳しい処分である。
木造の家ばかりが密集し火の回りが速かった江戸では、それだけ放火が致命的だったと伺い知れます。
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こちらは荒川区南千住の小塚原刑場跡地。江戸三大刑場のひとつ、北の刑場。
JR常磐線南千住の駅を降りてすぐの場所、日比谷線と常磐線の線路に挟まれた位置にある延命寺内にあります。
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こちらは延命寺の首切り地蔵。
名前からして斬首する凶悪な地蔵のように思ってしまいますが、刑死した罪人たちを弔うための地蔵のようです。
東日本大震災の影響で左手が落ちてしまったそうですが、行ったときはしっかり修復されていました。
日比谷線に乗っていると高架線の上からこの首切り地蔵が見下ろせるのですが、インパクトがすごいです。 
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最後は、西の刑場大和田刑場の紹介です。
大和田刑場は現在の八王子市大和田にあり、浅川を渡す大和田橋の北岸にあったと言われています。
写真は大和田橋北詰交差点前、橋のたもとには大和田交番があります。
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大和田橋上から浅川北岸方向を望みます。
大和田刑場のあった場所は、現在では巨大マンションが建設されており、その際大和田刑場の遺構は破壊されてしまって、そこが刑場であったことを示す史跡は何も残っていません。
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代わりというわけではありませんが、この大和田橋には太平洋戦争の戦跡が残っています。
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太平洋戦争末期の昭和20年8月2日、八王子市の旧市街地であったここら一帯は、米軍による空襲の標的になりました。
約450名が亡くなったその空襲の際、多くの市民がこの橋の下に避難し、助かったそうです。
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今も大和田橋の歩道上には、そのときの空襲で投下された焼夷弾の跡が17か所残っています。
(訪問日2012‎年‎9‎月‎29‎日・‎2012‎年‎11‎月‎3‎日)