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帝都の湾岸都市、江東区豊洲の街を歩いてきました。
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買い物の用事で、東京メトロ有楽町線に乗ってやってきた豊洲の駅前。
周囲には林立する巨大なタワーマンション群が見えます。
一昔前に仕事でこの地区にやってきたときは、広大な更地という印象だったのですが、いつの間にやら現代的なマンションやオフィスビルが立ち並ぶハイソなタウンになっていました。
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びしっとしたスーツ姿のビジネスマンと、子供を連れた幸せそうな主婦が行き交う豊洲の街。
ごみごみした狭苦しい街が多い帝都の他の街に比べ、歩道も広く、住みやすそうな街という印象です。
湾岸エリアは東京五輪の影響で再開発著しいと聞いていましたが、帝都の他の地区と比べ、こうも道路環境に差が出るとは。
地震による津波の心配があるとはいえ、やはり土地が残っているというのは大きな強みのようです。
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もともと豊洲は、関東大震災による瓦礫処理の埋立事業によって生まれた地区です。
この豊洲埋立地は昭和初期、石川島造船所の造船工場が作られるなど、その多くが工業用地でした。
アーバンドックららぽーと豊洲の裏にある豊洲公園には、当時の造船工場で使用されていた産業遺構のモニュメントが展示されています。
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錨のモニュメント。
言わずもがな、船舶等を水上の一定の範囲にとどめておくために、鎖などをつけて水底、海底に沈めておく道具です。
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港に船をつないでおくための、係留柱のモニュメント。
ここにロープなどを巻き付けて、船を固定させます。
現在では背もたれのない椅子(スツール)として再利用されています。
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資材や道具などを持ち上げる、クレーン滑車の錘(オモリ)。
一応ベンチとしての役割を持つモニュメントらしいです。
はたして座る人がいるんでしょうか。
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造船所で資材や道具を搬送するためのトロッコに使用された車輪を使ったモニュメント。
ユニークな形のベンチとして再利用されています。
これはまあ普通に使えそうなものになっていますね。
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モニュメントがある豊洲公園から晴海運河沿いに北へ歩いていくと、運河を渡す春海橋が見えてきます。
橋の下を通っていく船は、「銀河鉄道999」の原作者・松本零士氏がデザインしたというクルーズ船、ヒミコ。
橋を渡った先は東京オリンピックの選手村を誘致する中央区晴海です。
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その春海橋の手前に、赤錆塗れのアーチがかかった鉄橋が残っています。
この鉄橋は、かつて東京港で貨物輸送のために敷設されていた東京都港湾局専用線の支線で、豊洲~晴海間で物資の輸送を行っていた晴海線の廃線跡で、晴海橋梁という名の廃鉄橋です。
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晴海橋梁はこの通り、二重の柵が施され入れないようになっています。
立ち入る人が多かったのか「監視カメラ作動中、即警察に通報」というものものしい警告つきです。
橋の両端には柵なんて気の利いたものはなく、侵入されて橋から転落なんてされたらたまらないからでしょうか。
アーチまでだけでも結構距離があり、ここから柵越に眺めるだけでもかなり長い鉄橋であることがわかります。
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鉄橋に隣接する春海橋を渡ってみながら、晴海橋梁を見学してみました。
晴海橋梁は昭和32(1957)年竣工という歴史ある産業遺産ですが、現代的なタワーマンションやオフィスビルが乱立する中でも風景に溶け込んでいるようで、橋を通る人は見向きもしません。
こんなに目立っているのに、もう役に立たないものだからでしょうか、誰も関心を持たないのがちょっぴり寂しいです。
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かつてはみんなに必要とされ、戦後の困難期、復興期を支えた晴海橋梁。
平成元(1989)年の晴海線廃止以来、27年間もこのままで放置されているという。
晴海橋梁は時代の流れの中で不用のものとなってしまいましたが、今もこうしてこの場所に佇んでいます。
(訪問月2016年3月)