長野市に旅行に行った折、松代地区の松代大本営象山地下壕を歩いてきました。
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昭和19年、大東亜戦争の敗色が濃くなってくると、日本陸軍は皇族や大本営、政府重要機関などを守りやすい日本の内陸に移すことを計画していました。
そこで選ばれたのが信州松代であり、松代町の象山、舞鶴山、皆神山の麓には巨大な地下壕が築かれることとなります。
いまも松代町にはその地下壕跡が残り、その中の象山地下壕は一部の区間が一般に公開されています。

松代には電車がないため、長野駅からアルピコ交通バス松代線に乗って松代に行きます。
象山地下壕の最寄バス停は松代八十二銀行前バス停で、長野駅から40分くらいです。
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管理事務所で出身県を答えるだけで、無料で入れる松代大本営象山地下壕。
ヘルメットは現地で借りられます。
中は照明がついているので懐中電灯はいらないですが、立ち入り禁止の金網の先まで見てみたいならば持って行った方がいいと思います。
見学できるのは、この入口(西条口)から500メートルの区間です。
ちなみに年末年始と第三火曜日は休みだそうです。
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入口から荒々しい壁面の象山地下壕。
作り始めたのが日本が敗勢になってからで、時間も物資もない状況であったためにダイトマイトで発破して掘り進めるというかなり荒っぽい作業だったそうです。
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象山地下壕は、着工(1944年11月)から終戦までの約9カ月間、当時のお金で2億円の巨費が投じられ、総計で朝鮮人約7000人、日本人約3000人が労働者として建設に従事しました。
1日八時間の3交替制勤務で、工事は徹夜で進められ、食糧事情も悪く旧式な工法の人海戦術で進められた工事は、その過程で多くの犠牲者を出したといわれています。
象山地下壕内では、岩に突き刺さったままの削岩用ロッドや、ずりを運んだトロッコの枕木跡などを見ることができます。
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全工程の75%で終戦を迎えたという松代大本営。
結局この壕は使用されることはありませんでしたが、当時の日本の指導者たちは、この松代大本営を中枢として連合軍に本土決戦に挑もうとしていました。
松代大本営が完成し、日本が戦争を継続していたら歴史はどうなっていたでしょうか。
個人的には、松代大本営が完成しなくてよかったと思います。
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象山地下壕の見学できる場所の一番奥。これ以上は金網で塞がれています。
「ここに折り鶴等は置かないでください」と書かれているにもかかわらず、修学旅行生のものと思われる折り鶴がたくさん飾られています。
平和を願うのはとても大事なこととは思いますが、先生方には平和を願うことだけでなくルールを守ることも教えてほしいと思います。
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松代には象山地下壕のほか、真田邸や宝物館、松代城跡などの名所が多数あります。
写真は真田邸の、庭園の凍った池。 
長野市に行かれた際は、松代に立ち寄ってみるのもいかがでしょうか。 
(訪問日‎2013‎年‎2‎月‎10日)