太平洋戦争中日本国内で唯一、県民を巻き込んだ地上戦が展開された沖縄県を旅してきました。

ちょうど旅行に行く日に台風が沖縄に近づいてきていて出発前から不安な旅でしたが、台風が沖縄にぶつかるちょっと前に飛行機に乗れ、なんとか那覇空港に到着することができました。
今回の旅では那覇でレンタカーを借り、主に本島南部の戦跡を見て回ってきました。
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最初にやってきたのが糸満市のひめゆりの塔。 
沖縄戦当初、南風原の沖縄陸軍病院で勤務していたひめゆり看護学徒隊は、沖縄中部に上陸してきたアメリカ軍を首里でくい止めていた大日本帝国陸軍第32軍が戦力の減耗から首里を放棄し南部の摩文仁へ撤退すると、第32軍に伴ってここ糸満市伊原周辺に撤退してきました。
この第三外科壕では、沖縄戦の末期、この壕に駐留していたひめゆり学徒隊がアメリカ軍の攻撃を受け、多大な犠牲を出したと伝えられています。
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今も献花がたえないひめゆりの塔。
小さいので「これが?」と思ってしまいますが、手前に見えている「ひめゆりの塔」の刻印の入った石碑がひめゆりの塔、奥に見えるのは後に建てられた慰霊碑です。
慰霊碑の前にある大きな穴が多数の犠牲者を出した第三外科壕跡。 
ひめゆりの塔が建てられた当時、沖縄はアメリカの統治下にあり、その影響もあって大きなものは作れなかったそうです。
沖縄県民は戦時、戦後にわたり日本とアメリカの狭間で多大な苦労を強いられました。
沖縄戦の犠牲の象徴ともいえる、ひめゆり学徒隊の犠牲者の冥福を祈ります。 
(訪問日2013‎年‎7‎月‎11‎日)