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中野区新井にある、中野区立平和の森公園を娘のあやちゃんとともに歩いてきました。
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西武新宿線沼袋駅から南に約150m、新道橋を渡ってすぐの位置にある平和の森公園。
妙正寺川沿いにあるこの公園は、かつて政治犯などを収容した旧中野刑務所の跡地に造成された公園です。
今回はこの公園の中に、太平洋戦争中の中野区の状況、被害などを知らせる写真、パネルなどを展示した中野区平和資料展示室があるというので訪問してきました。
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平和の森公園入り口近くの自転車置き場には平和記念碑が置かれており、碑では憲法擁護・非核都市の宣言が謳われています。
この碑にはめ込まれた中央の石は、原爆により被爆した広島市庁舎の敷石を譲り受けたものとのこと。
中野区による平和への希求の意思を体現した記念碑です。
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その平和記念碑のすぐそばに、平和の森公園の公園事務所があります。
公園事務所内には平和資料展示室が併設されており、資料展示室には戦争中の中野区民の暮らしや空襲、原爆に関する資料が展示されているという。
はたしてどのような展示なのでしょうか。
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と思ったら、なんだこの貼り紙は。
『平成28年3月31日で展示は終了、以後は中野区役所四階で展示』
なんと! 見たけりゃ区役所まで来やがれと。
でも、中野区役所ってどこにあるんだろう。
調べてみるとここから1km以上に南にあるそうです。
しかし今日は日差しの強い日で、一歳の娘を連れてそこまで歩く気になれず、見学は断念することにしました。
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仕方なく、平和の森公園を娘を連れてとぼとぼと歩きます。
今回の散策は、平和資料展示室が目的だったんですが、それが閉館の時点で破綻してしまいました。
しかし、手ぶらで帰るわけにもいきません。
ここは公園南端に今も残っているという史跡兼近代建築、旧中野刑務所表門を見にいきたいと思います。
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南に向かって公園内を歩いていくと、唐突に竪穴式住居が現れました。
これは弥生時代後期の竪穴式住居を復元したものらしいです。
この辺りは昭和39年に、弥生時代の住居や土器が発掘された場所なんだとか。
そのため弥生時代、この辺りには約260軒からなる集落があったと考えられています。
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弥生時代の復元住居からさらに南へ歩いていくと、大きな芝生広場にやってきました。
平和の森公園敷地には、かつて皇室や私有財産制への反抗者として摘発された治安維持法抵触者が主に収容されていた「中野刑務所(当時の名称は豊多摩刑務所)」がありました。
平和の森公園は未整備の区画も含めてかなり広大な敷地ですが、いったいどれほどの政治犯が収容されていたのでしょうか。
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平和の森公園の南側には、東京都下水道局中野水再生センターの施設が三棟あります。
芝生広場から見えるのが機械棟、その裏に管理棟と主ポンプ棟があります。
機械棟の西側側面には巨大なグリーンカーテンが造成されています。
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中野水再生センター主ポンプ棟前にある生け垣見本園。
生け垣をたくさん作ることは街を緑豊かにするだけでなく、災害発生時の避難経路確保など、防災面にも役立つという。
確かに帝都東京は建物が密集しすぎていて、大災害にはもろいと思われます。
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中野水再生センター管理棟。
休日のためか門が閉まっています。
あやちゃんがバシバシ門を叩いたり頑張って門を開けようとしていましたが、ビクともしませんでした。
なお中野水再生センターも近年作られた施設であり、中野刑務所の跡地に建設されています。
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その水再生センター管理棟の南側に、法務省矯正研修所東京支所という物々しい名前の施設があります。
その敷地のど真ん中に、赤レンガで造られた旧豊多摩刑務所の表門が、今も当時を伝える史跡として保存されています。
旧豊多摩刑務所表門は、大正時代の建築家、後藤慶二の手による名建築物で、35歳で急逝した後藤慶二の作で残っている唯一の近代建築です。
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特別高等警察により治安維持法抵触者として逮捕された者が、収監される際に通った豊多摩刑務所の表門。
旧豊多摩刑務所に収監されていた著名人として、「蟹工船」を書いた小林多喜二などがいます。
国の方針に逆らう者を徹底的に押し込め、粛正した旧豊多摩刑務所。
戦前の日本を象徴するような施設ですが、その表門だけが、今もその跡地に残っています。
(訪問月2016年5月)