DSCF0967
中央区小伝馬町にある、伝馬町牢屋敷跡を歩いてきました。
DSCF0976
現在地は東京メトロ日比谷線、小伝馬町駅直近にある江戸通り小伝馬町交差点です。
この辺りは中央区という名前のとおり、東京都心のど真ん中のオフィス街であり、通りを行き交う車やビジネスマンがとても多いです。
DSCF0947
小伝馬町交差点の近くには十思公園という公園があります。
十思公園は、隙間なくオフィスビルが建てられて密集しているこの地域にしてはわりと敷地の広い公園で、仕事や人間関係に疲れた会社員達の憩いの休憩スポットになっています。
DSCF0953
中央に史跡「石町の時の鐘」が建つ十思公園。
現代では下を向いてばかりの会社員、もう仕事を引退して余生を過ごす高齢者、ダンボールを敷いて寝ている人とかで賑わう十思公園ですが、江戸時代、この地には未決囚の収容所「伝馬町牢屋敷」がありました。
伝馬町牢屋敷の役割は現代の拘置所に似ているもので、ここに収容された者は裁判所に該当する町奉行所で判決を受けますが、刑が磔の場合は鈴ヶ森刑場または小塚原刑場で刑が執行、斬首の場合はそのままここ伝馬町牢屋敷で処刑されました。
DSCF0955
十思公園の片隅には「松陰終焉之地」碑があります。
伝馬町牢屋敷で刑死した著名人として、安政の大獄で捕らえられた吉田松陰や橋本左内がいます。
この碑には吉田松陰が処刑される二日前に書き上げた「留魂録」に書いた辞世の歌が刻まれています。
DSCF0949
その他にも公園内には、日露戦争の戦病没者を慰霊するための、陸軍大将乃木希典揮毫による「忠魂碑」や陸軍参謀総長鈴木荘六揮毫の「表忠碑」、「平和の礎」などの石碑型史跡が建てられています。
その手前には、オフィス街ゆえでしょうか、なぜかスーツが木の枝にかかっていました。 
DSCF0957
十思公園の隣には十思スクエアという中央区の複合施設があります。
十思スクエアは昭和3年(1928)に建てられ、平成2年(1990)に廃校になった十思小学校の校舎を利用して作られた施設で、高齢者の介護施設や十思保育園など公共施設が入っています。
十思小学校は関東大震災の復興期に建てられた代表的な小学校建築で、都の歴史的建造物に指定されています。
DSCF0964
十思スクエア一階ロビーには、当時の伝馬町牢屋敷を復元した模型の展示施設があります。
DSCF0962
当時の伝馬町牢屋敷の復元模型。
伝馬町牢屋敷には牢屋敷の取締りを職とする牢屋役人・石出帯刀の役宅と、性別や身分に応じた牢獄がありました。
牢獄の中は囚人による、牢名主を頂点とする完全自治制が敷かれており、牢屋役人でさえ牢の中に権限の及ばない世界であったと言われています。
DSCF0961
牢は身分に応じて分けられており、百姓町民以下の身分の者は「大牢」という牢獄に、御家人や大名の家臣など、中くらいの身分のものは「揚屋」という牢獄に、旗本など高い身分のものは「揚座敷」という牢獄に入れられていたという。
罪人でも身分によって入る場所が違うところが、この時代がいかに差別社会であったかが伺いしれます。
DSCF0966
また十思公園の南には、公園と向かい合うように大安楽寺という寺院が建っています。
伝馬町牢屋敷は明治5年(1872)に市ヶ谷監獄にその機能が移されると、跡地には獄死者を弔うための大安楽寺が建設されました。
十思公園と十思スクエア、そしてこの大安楽寺がある場所等が、かつての伝馬町牢屋敷跡地となっています。
DSCF0968
境内には延命地蔵尊が祀られています。
蓮華座に片足を曲げて座るという、変わった形の地蔵菩薩像です。
伝馬町牢屋敷の牢獄では、囚人が増え生活に支障をきたすようになると、牢獄内で「作造り」と呼ばれる口減らし、生活空間の確保のための私刑が横行したという。
「ツル」と呼ばれる所持金の持ち込みが無い者やいびきのうるさい者、牢内の規律を乱す者などがリンチの対象となり、殺害されても病死扱いで処理されました。
また窓がなく光の届かない牢獄の中の環境は非常に不衛生かつ劣悪で、病気になってもまともな治療はされず、実際に病死する者も多かったそうです。
DSCF0967
江戸時代の約270年間で、数十万にのぼる人が投獄されていたという伝馬町牢屋敷。
科学捜査もなかった時代、冤罪で収容、獄死した人も多かっただろうと思われます。
いったいどれだけの人が、闇から闇へ消されていったのでしょうか。
明治以前、江戸時代の日本はテレビドラマなどで明るい世界で描写されることが多いですが、現実はもっともっと陰湿な世界であったのかもしれません。
(訪問月2016年5月)