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北区西が丘にある、陸軍稲付射場跡地及び東京陸軍兵器補給廠跡地を歩いてきました。
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現在地は北区と板橋区の区境、東京都道455号本郷赤羽線と環状七号線が交差する姥ヶ橋交差点です。
姥ヶ橋交差点は二つの主要幹線道路が交差する北区の交通の要所であり、自動車、自転車、歩行者の通行量がとても多い交差点です。
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交差点なのに姥ヶ橋という名前なのは、かつてこの場所に石神井川の支流、稲付川を渡す姥ヶ橋があったことに由来します。
写真は姥ヶ橋交差点の一角にある姥ヶ橋延命地蔵尊。
この地蔵尊はかつて存在していた姥ヶ橋の安全供養のために建立されたものであるという。
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そんな姥ヶ橋交差点の、延命地蔵尊から環七を渡った向かい側に、歩道橋の下りみたいな階段が突如として口を空けています。
ここは「稲付の小径」という散歩道の入り口になっています。
稲付の小径は北区の歴史的文化財と緑を巡る小径として、ここ姥ヶ橋から赤羽の静勝寺(稲付城址)まで道が続いています。
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車両が行き交う大きな交差点から、住宅が密集する裏路地へと降下していく階段。
稲付の小径は、かつて農業用水として活用されていた稲付川の暗渠であり、そのため周辺より低地に位置しています。
なおかつては河川であったため、この路地が北区西が丘と北区上十条の境界にもなっています。
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まるで蛇のように細く、くねくねと曲がっていて先がどうなっているのかわからない稲付の小径。
両側に建つ戸建住宅を崖とすると、まるで谷底を通っているような生活道路です。
ほとんどの戸建てが車を所有しているようですが、車がすれ違えるだけの道幅もなければ、左右に回避できる横道もありません。
家から出て行く車と帰ってくる車が、対向でかち合ったらどうするんだろう。
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この稲付の小径の一本北側にある狭い路地には、明らかに周辺住宅に溶け込んでいない異様な塀があります。
この塀は、太平洋戦争の敗戦までかつてこの地にあった「陸軍火工廠稲付射場」を囲んでいた軍用地境界塀です。
稲付射場は、東京陸軍造兵廠で製造された火薬火器類の発射試験や爆破実験を行うための実験場でした。
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稲付射場の場所を簡単に説明すると、ちょうど地図の「十条駐屯地」の吹き出しの左隣にある、部首・がんだれのような形をした赤い部分です。
稲付射場の面積も広いですが、その周囲をさらに広い軍用地が囲んでいます。
稲付射撃はその用地の南側にある「東京第二陸軍造兵廠」で製造された火器火薬類の爆破実験を行う場所であったようです。
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稲付の小径を北に向かって歩いていくと、やがて梅の木小学校という小学校の裏門にやってきました。
梅の木小学校の設立は昭和29(1954)年6月5日、戦後の生まれです。
この梅の木小学校がある敷地、かつては稲付射場の用地でした。
稲付射場は第二次世界大戦の敗戦後、連合国軍に接収されましたが、用地の返還後はこの梅の木小学校などが建てられたようです。
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梅の木小学校の北側をぐるりと回り、小学校の正門までやってきました。
かつてこの場所に設けられていた稲付射場の設立は、明治38(1905)年、日露戦争に勝利した年です。
この年にはここから近い十条台に東京第一陸軍造兵廠後楽から移転してくるなど、北区(王子区)にとって激動の時代であったようです。
勝利したとはいえ苦しい戦いだった日露戦争は、陸軍に兵器弾薬増産の必要性を痛感させたのでしょうか。
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梅の木小学校正門からすぐ南側の塀に、ここがかつて軍用地であったことを示す陸軍境界石が残っていました。
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若干欠けている部分はあるものの、はっきりと「陸軍用地」と刻まれています。
はっきり言って目立ちまくりの陸軍境界石で、子供に悪戯とかされて壊されないかなと心配になってしまいます。
よく今まで生き残っていたな…
地理的に、この辺りは旧稲付射場の北西の敷地境界であったと思われます。
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陸軍境界石の西側には住宅地が広がっています。
稲付射場から発生する爆破実験の音や粉塵は、当時の周辺住民にとってかなり悩みの種であったようです。
もっとも軍の力が強かった当時、軍の騒音粉塵に対して苦情を言うことはできなかったかもしれませんが。
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ちなみに稲付射場から宅地を挟んだ西側、西が丘三丁目地区もかつての軍用地、東京陸軍兵器補給廠跡地です。
この地区には現在、東京都立赤羽商業高校、国立スポーツ科学センター、職業能力開発センター、警視庁西が丘合同庁舎など大規模な施設が集まっています。
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地図でいうと稲付射場の西側、ちょうどランドマークとして赤羽商業高校がある長方形の区画です。
この地区にはかつて、東京陸軍兵器補給廠という大規模な軍事施設があり、戦前まで軍の兵器の燃料や材料などを購入、修理、保管、支給するレンガ造りの建物が建ち並んでいました。
敗戦後、東京陸軍兵器補給廠は進駐軍によって接収されるも、1958年に返還され、現在では様々な公的施設が建っています。
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国立スポーツ科学センターの南側には巨大な団地が林立しています。
右手にあるのは都営西が丘三丁目アパート3号棟。
元軍用地に都営住宅が建つのはよくあることです。
このブログでもそうした場所を過去いくつか紹介してきました。
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そんな建物の中、やっぱり団地の廃墟もあります。
こちらは関東財務局所有の西が丘一号宿舎。
軍用地に建つ団地は都営住宅だけでなく、公務員住宅も多いです。
そして最近は、東日本大震災で住宅の老朽化が心配されたためか、使われなくなった公務員住宅が目立つようになってきています。
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さらに南へ歩いていくと、今度は現役であろう公務員住宅「西が丘住宅」が見えてきました。
これまたかなり大きな公務員住宅ですね。
しかしこの辺りは近くに駅はないため、お世辞にも交通の便がいいとは言い難い場所と思われますが。
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その西が丘住宅の先に、何に使われているのかよくわからない小広場があります。
コンクリートの隙間から雑草が生えまくりで、一見するとゴミの収集場所のようにも見えなくもない場所ですが…
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この小広場に使われている赤レンガ、実はかつての東京陸軍兵器補給廠の建物に使われていた赤レンガを再活用したものだそうです。
この階段は稲付射場の軍事遺跡とともに、北区役所が発行している「北区平和マップ」に紹介されている軍事遺跡です。
もはや北区の名所として決定ですね。
区では時折、これらの軍事遺跡を回る見学ツアーが組まれています。
興味ある方は参加されてみてはいかがでしょうか。
(訪問月2016年7月)