DSCF1326
新宿区四谷三丁目にある、消防博物館を訪問してきました。
DSCF1258
丸の内線四谷三丁目駅前、四谷三丁目交差点に面する消防博物館。
東京消防庁の歴史と活動に関する資料を展示している博物館で、地上10階建ての立派なビルです。
四谷消防署と併設しており、1階及び2階は出入り口を除き消防署となっているため立ち入りできません。
DSCF1291
中はこんな感じに、消防隊の装備などが展示されています。
入館料は無料、そして夏休みということもあり、館内は多くのファミリーで賑わっていました。
DSCF1273
消防車が好きな長女、あやちゃんも大喜びだった消防博物館。
特別救助隊が着用する防火衣(子供用)を着て、感動のあまり微動だにしません。
あまりに無反応なので「つまらんのかな?」と思い脱がそうとすると「だめ!」と言って怒り出す始末です。
DSCF1280
消防の歴史という、極めて真面目な展示施設で多くの人が訪れている消防博物館。
うちのような地味ブログでわざわざ取り上げる必要もない正統展示施設ですが、せっかく訪問してきたので、当ブログなりの視点で紹介させていただこうと思います。
ちなみにここは、消防博物館3階、東京消防庁音楽隊のコーナーですが…
DSCF1288
真ん中に展示されている楽器、コルネットはかつて、大日本帝国海軍軍楽隊が使用していたものであるという。
製造会社日警、1940年代製作。
ベルの部分に帝国海軍のものであることを示す錨マークが入っているという。
DSCF1289
こちらの小バス(ユーフォニアム)も同じく錨マーク付き。
同じく製造会社日警、1940年代製作のもので、昭和30年くらいまで使用されたという。
東京消防庁の設立は、帝国海軍の崩壊からわずか二半年後の昭和23年3月のことですから、物資が欠乏していた時代において、こうした楽器だけでなく様々なものが軍から流用されたのかもしれません。
DSCF1292
こちらは消防博物館4階、近代消防の歴史展示の階。
明治時代から昭和までの消防車等が展示され、近代消防の歩みがわかるコーナーになっています。
写真は馬牽き蒸気ポンプ、明治32(1899)年製造。
明治初期に輸入したイギリス製の蒸気ポンプを参考に作られた国産蒸気ポンプの第一号です。
蒸気ポンプは石炭で火を起こしてから放水に必要な蒸気圧力が得られるまで、約20分の時間がかかったという。
DSCF1303
こちらは現代でもたまに見かける二輪消防車、通称赤バイ。
交通渋滞が激しくなり、消防車が現場に到着するまで時間がかかるようになったことから、昭和44(1969)年から暫定的に運用されるようになったという。
消火器2本が基本装備のようで、力不足に見えなくもないが、火災は時間の経過とともに拡大していくことを考慮すれば、一定の効果はあったのではないでしょうか。
瓦礫などで車が侵入できないところにも、バイクならば入っていけそうですし。
DSCF1316
その4階の一番奥に、「消防組織の拡大」コーナーがあります。
関東大震災ののち、新しい町づくりが行われていった帝都を守るため消防隊は組織化され、消防署の新設や隊員の増員等により消防組織が大きく拡大されていきます。
しかしそのころ、国外では満州事変が勃発するなど、帝都にも戦争の足音が迫っていました。
DSCF1309
「B29約百三十機、昨晩帝都市街を盲爆」
「消防も決戦隊形へ 全国三千を大増員」
など、消防に関する見出しが躍る当時の新聞記事。
昭和12(1937)年に防空法が施行されると、消防の仕事には地上から巻き起こる火災だけなく、空から降ってくる焔への対処も加わるようになります。
空襲による被害をくい止めるため各地で防空演習を実施するなど、消防は防空消防時代を迎えました。
DSCF1307
防空消防時代の消防資料が展示されたコーナー。
関東大震災の教訓から、モルタル塗りや銅装飾板建築など耐火性を高めていた帝都の家屋ですが、それでも木造家屋ばかりで火に弱い帝都の街にとって、空襲による焼夷弾は脅威でした。
これに対し消防部の指導のもと、警防団と隣組防火群は一緒になって消火器、火叩き、バケツリレーなど消火訓練を行い、消防と国民は一丸となって空襲による火災に備えます。DSCF1310
展示されていた焼夷弾への対処方法を記した記事。
焼夷弾にはこのように対処しろという指導内容が記載されています。
日本人ならば誰でも知ってる焼夷弾に対する伝家の宝刀、バケツリレーなどが載っています。
その他、濡れ布団や濡れむしろを直接焼夷弾に被せるといった荒業なども紹介されています。
DSCF1313
消火弾、手榴弾消火器など投擲型の消火用具。
中には消火剤が詰め込まれており、火元に向かって手榴弾よろしくガラス玉を投げつけます。
効果のほどは不明ですが、おそらくは鎮火のためというより初期消火、延焼防止のための消火器と思われます。
昭和14年から15年までの間に各地で行われた、手榴弾消火器による消火実験の記録写真なども展示されていました。
DSCF1312
こちらはピストルタイプの消火器具、消火銃。
消火薬を発射して消火をする代物です。
現代の消防隊が使うインパルス銃のようなものと思われます。
効果のほどはともかく、見た目はとてもカッコいいですね。
DSCF1314
防煙マスクとサイレン、軽便防火ポンプ等の装備資機材。
軽便防火ポンプは、水の張った樽や桶にポンプの下部をつけて、ポンプ上部を抜き差しすると水を吸い上げて噴射口より水が飛び出し消火に当たるという代物です。
防空法は国民に対し焼夷弾から逃げることを許さず、応急消火義務を負わせる法律でした。
国民はこの法律によって、必死になってバケツリレー等で消火に当たりましたが、数十メートル四方に火炎を撒き散らす焼夷弾の消火はほぼ不可能であり、逃げることも消火することもできず大きな犠牲を出すことになってしまいます。
DSCF1318
焼夷弾消火の最終兵器、火叩き。
これで叩けば焼夷弾の火も消える…わけがありませんね。
しかし「長さ1メートルのハタキで火を消せる」「手袋をはめれば焼夷弾をつかんで投げ出せる」等、嘘の情報が軍やマスコミによって喧伝され、国民には「空襲はたいしたことない」という認識が広まっていました。
しかし火叩きも空襲の激しさには当然のように敵わず、東京は大きな痛手を被ることになります。
DSCF1323
続いて、戦中に活躍したスタッツ消防ポンプ自動車(左)とマキシム消防ポンプ自動車(右)。
こちらは消防博物館地下1階に展示されています。
消防車にしておくのがもったいないほどモダンなプロポーションですね。
現代の消防車よりかっこいいと思います。
どちらの消防車も、昭和28(1953)年まで第一線で活躍しました。
DSCF1326
アーレンス・フォックス消防ポンプ自動車。
終戦後の昭和21(1946)年まで活躍、空襲による火災の消火に当たりました。
焼夷弾による火災が手に負えないからと言って、指を咥えてみているわけにも見ているわけにもいきません。
消防隊は比較的空襲の少ない地域の消防自動車を大規模空襲が予想される都市に集めるなど、全力をあげて空襲による火災と戦い抜きました。
しかし空襲の激しさにはかなわず、帝都及び主要都市は甚大な打撃を受け、大日本帝国は敗北してしまう。
DSCF1276
防空消防は空襲による焼夷弾に敗れ、大日本帝国は連合国軍に無条件降伏しました。
しかし、大日本帝国が滅亡しても、消防の戦いが終わるわけではありません。
戦争が終わり、帝国の崩壊から二年半の歳月を経て、東京消防庁が誕生しました。
戦後設立された東京消防庁は今日も、より高度に広範囲になった消防事案に対処し、全力をもって町の消火・救急活動にあたっています。
(訪問月2016年8月)