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葛飾区白鳥にある軍事遺跡、青戸高射砲陣地跡を娘のあやちゃんとともに歩いてきました。
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現在地は京成本線お花茶屋駅から北東へと延びているフラワー通り上です。
変わった名前の道だなと思って調べてみると、この道はもともと「火葬場通り」という名前らしいです。
四ツ木斎場がすぐ近くにあり、葬儀車が多数通ることからそう呼ばれていたそうですが、イメージが悪いので花を植え無理やり「フラワー通り」の名をつけたんだとか。
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その火葬場通り、もといフラワー通りに面する砂利の駐車場の中に、一部だけコンクリートが露出しているところがあります。
一見すると単なるコンクリートの舗装に過ぎないのですが、このコンクリート、実は太平洋戦争中、連合国軍航空機迎撃のために陸軍高射砲が備え付けられた「青戸高射砲陣地」の高射砲台座跡なのです。
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コンクリートの表面をよく見ると、かつて高射砲を台座に固定していたボルトのサビが浮き出ています。
戦中はこの円形コンクリートに陸軍高射砲が固定され、帝都に飛来する敵機の迎撃活動が行われました。
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さらにこのフラワー通りから、北へ向かって延びていく都道を歩いていきます。

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この都道に面する駐車場の奥に、一部分だけ地面の色が違う場所があります。
灰色のコンクリート舗装の中でその部分だけ地面が黒い丸の形になっており、遠くから見ると駐車場のターンテーブルのように見えなくもありません。
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近づいて、その不自然な丸を見てみます。
この円形の舗装も、かつてこの辺りに複数設置された青戸高射砲台座跡とのこと。
こちらの台座跡もよく見ると、表面に複数のボルトの痕が残っていました。 DSCF1346
続いてこちらはその駐車場に程近い、住宅密集地の中に存在する高射砲台座跡。
台座の上には集合住宅のものと思われるポンプ施設が乗っかっており、現在ではこのポンプ施設の台座として活用されているようです。
戦争中23区内には、ここ青戸高射砲陣地のみならず多くの高射砲陣地、高射機関砲陣地、哨戒所などが帝都防衛のため作られたという。
その陣地のほとんどは戦後、跡地に公園が作られたり住宅地になったりして失われてしまいましたが、千鳥ヶ淵さんぽみちの高射機関砲陣地のように遺構が残っているところもあります。
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こちらはもともと台座があったところに道路が通されることになったため、半分は住宅の土台となり、半分は削られてしまった高射砲台座跡。
すでに円形にはなっていないものの、道路に面しているため発見しやすいです。
台座の断面がむき出しになっています。
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断面をよく見ると、道路を造る際に削ることが出来なかったのか、台座の金属片が路上に飛び出ています。
これはかつて高射砲を台座に固定していた金属部と思われます。
帝都に飛来したアメリカ陸軍戦略爆撃機B-29スーパーフォートレス、その迎撃に陸軍の高射砲は一般的に力不足であったとされていますが、青戸高射砲陣地の戦果はどうだったのでしょうか。
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青戸高射砲陣地の高射砲台は、全部で18基あったそうですが、見つけることができたのはそのうち4基。
よく探せば他の台座も見つかるのかもしれませんが、真夏の暑さにやられたのと、抱っこしていた娘が寝てしまったので、やむなく探索はここで断念しました。
あまりに暑かったので涼を求めて、近くにあった休憩スポット「郷土と天文の博物館」に避難することとします。
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葛飾区立郷土と天文の博物館はその名前の示すとおり、葛飾の郷土史とプラネタリウムという二つのテーマで構成されている博物館です。
有名なのはプラネタリウムの方で、世界有数の設備と技術を駆使して作っているという博物館のオリジナル番組を、職員による生解説を交えて放映しています。
この日は『クイズ スタープラネット2016』というクイズ番組をやってました。
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しかしどちらかというと気になるのは博物館二階、葛飾区の郷土史フロア。
葛飾に関する文化遺産や資料をもとに、生活や産業の移り変わりが紹介されています。
青戸高射砲陣地のことも何か展示されているでしょうか。
あれも一応葛飾の歴史だし。
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水元公園の水源や中川、江戸川といった水との深い関わりの中で育まれた葛飾の風土を紹介する、「かつしかと水」コーナー。
江戸・東京で出た下肥を葛飾など東京郊外の農村に運ぶために使われた葛西船などが展示されています。
葛西船は昭和30年代後半まで活躍したそうです。
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東京都とはいっても、太平洋戦争のころの葛飾は農村地帯が多く、東京の田舎に該当しておりました。
ゆえに東京大空襲や城北大空襲等、連合国軍による大規模な空襲のターゲットとなることなく、その面積に比べて空襲による被害は軽微なものでした。
しかし帝都を空襲した爆撃機が、余った爆弾を捨てる形で東京の外れ葛飾区に爆弾を投下したため、その被害があったようです。
ふざけんな持って帰れ危ないだろと言いたいところですが…
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こちらは戦後の、昭和30年代の民家と町工場を再現したという展示施設です。
戦中は農村であった葛飾区ですが、空襲により墨田区などから避難してきた人々が、焼け野原になった墨田区等を離れてそのまま葛飾区に住み始めたため、急激に町の形が変わっていったという。
戦前にあった農地が、戦後は宅地や工場へと変化を遂げていきます。
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建物の中は葛飾の戦後の産業であったボルト・ナット工場を再現したものになっていました。
朝鮮戦争の特需や高度経済成長期などでボルト・ナット町工場は葛飾の花形産業に成長することとなったという。
しかしながら時代は流れ、情報化やグローバル化が進む中で、現在ではこのような町工場は存続が難しくなり、その姿を消しつつあります。
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博物館を隅々まで検索しましたが、結局、青戸高射砲陣地に関する資料を発見することはできませんでした。
というより、第二次世界大戦に関する資料がほとんど展示されていませんでした。
やはり敗戦国にとって、第二次世界大戦の歴史は黒歴史扱いなのでしょうか。
わずかながらにあったのが特別企画『葛飾・柴又の宝物』展にあった柴又地域の空襲被害展示パネル。
これを見る限り、やはり葛飾区の空襲被害は少なかったようですね。
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最後に、博物館三階にあるプラネタリウムを見学しました。
かつての青戸高射砲陣地跡付近において見る、満天の星空。
畑ばかりで光が少なかった昔の葛飾では、夜空に今よりもたくさんの星が見えたという。
しかしその中には、帝都へと侵入していく数百機の戦略爆撃機B-29の姿もあったのです。
(訪問月2016年8月)