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中央区築地の仏教寺院、築地本願寺を歩いてきました。
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築地本願寺は浄土真宗本願寺派本願寺(京都西本願寺)の別院として、元和3(1617)年に浅草横山町に建立された寺院が、明暦3(1657)年の明暦の大火で消失し、その後に築地へ移転したのが始まりです。
現在の本堂は関東大震災による崩壊後、昭和9(1934)年に伊東忠太の設計により古代インド仏教様式で再建された歴史的建造物として、国の重要文化財に指定されているものです。
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豪華絢爛という言葉が似合う金ピカな築地本願寺本堂。
金ピカの内陣には立ち入りできませんが、外陣には椅子が並んでおり、誰でもそこに座って一時を過ごせるようになっています。
本堂内は静寂が支配しており、加えて暑い夏場の中で冷房の風が心地よく、東京砂漠に疲れたのか椅子に座って静かに瞑想している人もちらほらいました。
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こちらは有名な築地本願寺のパイプオルガン。
ドイツ製のパイプオルガンで、毎月最終金曜日の12:20~12:50の30分間、ランチタイムコンサートが開催されているとのこと。
また本堂玄関ドア上にはステンドグラスもあり、寺には珍しい、西洋のものも取り入れた荘厳な寺院になっています。
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そんな築地本願寺本堂を、入り口からすぐ左側に歩いていくと、本堂の隅に紫のテーブルクロスが敷かれた長テーブルがあります。
長テーブルの中央には、十数年前、ここ築地本願寺で葬儀が執り行われた、とある著名人の写真が立てかけられていました。
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この長テーブルは、1987年から1997年までX JAPANのギタリストとして活動し、1998年に33歳で急逝したhideの追悼コーナーです。
ここ築地本願寺は、hideの死から告別式まで遺体が安置された場所であり、告別式には約50000人ともいわれるファンが押し寄せたという。
そのためでしょうか、ここ築地本願寺本堂の一角が、hideの死を悲しむファンの追悼コーナーとして使用されているようです。
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追悼コーナーにはここを訪れたファンによる故・hideへの想いが綴られたノートなどが置かれています。
このコーナーがいつからあるのかはわかりませんが、ものすごい数のノートです。
hideの死から既に20年近い歳月が経っていますが、いったいどれくらいの期間、このノートにメッセージが書き込まれたのでしょうか。
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一番手近にあったノートを手に取ってみると、作成年が2016年になっています。
最近まで書かれていたんだな…と思ってノートをぺらぺら捲ってみると、なんと昨日今日に書き込まれたメッセージがありました。
人間の記憶はいつか薄れ、感情も移ろうものなのに、その逝去から20年近く経ってもなお、こうして故人の葬儀が行われた場所に来てメッセージを書き込めるほど、今なおファンを続けていられるというのは凄いことだと思います。
きっとファン同士の組織力、団結力も、第二次世界大戦ファンなぞに比べて強力なものに違いない。
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と思ったら意外と確執もあるようで、ノートの表紙上で言い争いのようなものが見受けられました。
「スペースをムダにしないで!」
「管理人様。心ないなぐりがきは改めてください」
「保管に困ります」
など、激しい応酬の様子が残っていました。
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ちょっとばかり中を拝見させてもらうと、海外からも訪問書き込み者もいるようで、英語や中国語、韓国語の書き込みも多かったです。
故・hideに対するファンの様々な想いが綴られているのですが、中には公務員試験合格の願掛けをしている書き込みもあり、さながら神様に対するメッセージも散見されました。
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死後20年近く経ってもなお、多くのファンが訪れている築地本願寺のhideコーナー。
当時の人気、カリスマ性は凄まじく、hideの死後数日間はここ築地本願寺の境内などで後追い自殺をするファンが続出し、当時は社会問題になっていました。
自殺者の数は60人近くにのぼったそうで、当時X JAPANが自殺をやめるよう声明を出しましたが、それは事態を重く見た警視庁の要請を受けたものであったという。
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その築地本願寺境内です。
この境内で自殺者が続出したと考えると、本来神聖な寺院の境内だというのに、なんだか複雑な気分になりますね。
寺は死者と密接な関係にあるとはいえ、境内で自殺されるというのは築地本願寺数百年の歴史の中でも、極めて稀なことだったのではないでしょうか。
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ちなみに築地本願寺の境内には、私がここに来た本来の目的のものが眠っています。
境内の隅っこには、ちょっとした休憩どころなのでしょうか、一見作業員風のおじさんが座っているベンチがありますが…
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ベンチの前にはコンクリートのたたきがあり、その一部に鉄製の扉がついています。
この鉄蓋は太平洋戦争中に使用された防空壕入り口跡であり、この地下には旧帝国陸軍が建造した本格的な地下壕として200人の収容できるほどの巨大な防空壕があるという。
NHK番組「ブラタモリ」の築地の回にて、この防空壕へ入っていく動画がネットに残っています。
当時告別式に参列した方々は、自分たちの足下にそんな防空壕があったこと、想像することができたでしょうか。
(訪問月2016年8月)