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板橋区加賀にある軍事遺跡、東京第二陸軍造兵廠(二造)板橋工場の跡地を歩いてきました。
旧日本陸軍の火薬製造所、東京第二陸軍造兵廠・板橋工場についての詳細は、以前書いた加賀公園東京家政大学の記事をお読みください。
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前回は板橋区板橋の板橋区立こども動物園を訪問しました。
この板橋区立こども動物園が所在する東板橋公園は板橋区板橋の端にあり、公園より北側の地名は板橋区加賀となっています。
この地名「加賀」は、江戸時代、この地域に加賀藩の約21万坪に及ぶ広大な下屋敷があったことに由来します。
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東板橋公園の北を通る、板橋区板橋三丁目と板橋区加賀二丁目の境界でもある道路。
写真右側の森は東板橋公園、左側の集合住宅は板橋区加賀二丁目です。
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ところでこの地図を見てください。
これは昭和12年ころの地図で、ピンク色になっているところは軍需工場などの元、軍用地を示しています。
これと現在の地図を照らし合わせてみると、今いる道路は板橋火薬製造所(のち、東京第二陸軍造兵廠・板橋工場に改称)の敷地南西境界部分であるとわかります。
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道路に面する集合住宅の駐車場の端に、白と黄色にペイントされてはいるものの、一見して何に使われているのかわからないコンクリートの柱がありました。
位置的にこの場所は、東京第二陸軍造兵廠・板橋工場の軍用地境界塀が建っていたと思われる場所です。
ひょっとしたらこの支柱は、かつて軍用地を囲んでいた用地境界塀の名残なのかもしれません。
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道路を北西に向かって歩いていくと、電柱の横にまたも同じような支柱が現れました。
この支柱、その後ろに見える塀とはくっついておらず、今この支柱がここにある意味はなにもありません。
おそらくこの支柱も、かつて東京第二陸軍造兵廠・板橋工場を囲んでいた境界塀の名残ではないでしょうか。
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地図にあるピンク色の軍用地に沿うように、右にカーブするように歩いていくと、あからさまに怪しい古びた塀にぶつかりました。
この塀、まったく周囲に溶け込んでおらず、極めて不自然な外形です。
地図と照らし合わせてみると、この不自然な塀は板橋工場の南西の湾曲した用地に沿うようして建てられており、当時軍需工場を囲んでいた軍用地境界塀で間違いないと思います。
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何かそれを裏付けるものがないかと周囲を観察したところ、正面電柱の茂みの中に「陸軍」と読める陸軍境界石を発見しました。
位置関係から考えて間違いありません。
この塀より向こう側は、かつての東京第二陸軍造兵廠・板橋工場の用地だったのです。
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軍用地境界塀に沿ってさらに歩いていきます。
この塀、この辺りではそのままの形で利用することを決めているのでしょう、塀の中には複数の家が建てられています。
境界塀は丈夫そうですから、破壊して建て直すよりずっと経済的だったと思われます。
しかし境界塀は、やはり年月が経っているため、ところどころで亀裂も見られました。
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時折、そこの場所だけ取り壊したのか、もともと門があったのかはわかりませんが、軍用地境界塀の中に個人宅の門がつけられています。
写真の門の門柱の足下にも、比較的大きな陸軍境界石が残っていました。
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こちらは地表に長く露出している境界石で、「陸軍用地」とはっきり刻まれているのがわかります。
境界石は門のすぐ横にあり、大きさもあるので、まるで沖縄地方でよく見かける石敢當のようにも見えます。
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さらに北西方向へ進むと、今度は電柱の影に境界石が残っていました。
境界石の先の軍用地境界塀は取り壊されて駐車場が作られています。
駐車場がもう少し手前に作られていたら、この境界石も取り除かれていたでしょう。
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こちらの境界石も「陸軍用地」とはっきり読むことができます。
先ほどの門前の境界石もそうでしたが、この境界石は東京第一陸軍造兵廠の十条工場跡地や滝野川工場跡地、東京第二陸軍造兵廠の王子工場跡地などで見つけた境界石に比べて随分きれいで、そして少し大きいように見えます。
設置された時期が違うのでしょうか。
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この東京第二陸軍造兵廠・板橋工場の用地は住宅地のみならず、学校など大きな敷地を要する施設も多数建設されています。
写真は板橋区立こども動物園の北東に位置する板橋区立金沢小学校。
設立は戦後の昭和27(1952)年、金沢の名はやはり江戸時代の加賀藩に由来するものです。
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この辺りには金沢小学校以外にも東板橋体育館や東板橋図書館、老人ホームさくらの杜など、大きな敷地を要する施設がたくさんあります。
写真は石神井川沿いに位置する巨大マンション、グランフィーネ加賀。
最寄りの駅から距離があるにもかかわらず、このマンション以外にもプライマージュ加賀、シティテラス加賀など巨大マンションが林立しており、軍事施設跡には巨大マンションも多いという伝統を守っています。
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グランフィーネ加賀の北、石神井川沿いにある遊歩道には、かつて東京第二陸軍造兵廠・板橋工場で火薬を製造していたレンガ造建物の一部がモニュメントとして展示されています。
これは板橋工場にあった375号棟という耐火レンガ造建物の側面の一部をモニュメントとして利用したものだそうです。
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モニュメントの内、実際に当時の建物を再活用しているのは上側部分のみとなります。
確かに言われてみると、モニュメントの上部のレンガのみが妙に古いことがわかります。
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モニュメントの最上部には、三つの団子を三角形の形に置き、その上の真ん中にもうひとつ団子を置いたようなマークが入っています。
これは以前ちんちん山児童遊園でも見た、東京砲兵工廠の徽章です。
東京砲兵工廠は、明治時代に板橋火薬製造所を管下においていました。
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また東板橋体育館横にある加賀西公園の奥には、東京第二陸軍造兵廠・板橋工場の前身である東京砲兵工廠板橋火薬製造所で使用されていた圧磨機圧輪記念碑があります。
圧磨機圧輪は黒色火薬を製造する機械で、東京砲兵工廠板橋火薬製造所ではこの圧磨機圧輪を使って黒色火薬が製造されました。
黒色火薬は、硫黄、硝石、木炭を細砕、混和したものに水を加えながら、水車によって得られた動力によって回る圧輪によって摺り潰すことにより製造されるという。
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記念碑横に設置されている説明板によると、この圧輪は慶応3(1867)年にベルギーから輸入され、明治9(1876)年に完成した東京砲兵工廠板橋火薬製造所で使用され、黒色火薬が製造中止となる明治39(1906)年まで使用されていたという。
ちなみにベルギーと日本は慶応2(1866)年に日白友好通商航海条約を結んでおり、今年は両国の友好150周年ということで、10月にベルギーのフィリップ国王夫妻が来日しています。
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圧磨機圧輪記念碑の隣には「招魂之碑」と書かれた石碑が建っています。
黒色火薬が製造中止になった理由のひとつに、取り扱いが難しく、爆発事故が多かったことが挙げられます。
爆発事故による死というのは、それこそ自分が死んだことに気づかないような死であろう。
ひょっとしたら、この周辺には、自分が死んだことに今なお気付かず、火薬を作り続けている魂が今なおいるのかもしれませんね。
(訪問月2016年10月)