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沖縄県中頭郡読谷村座喜味にある城跡、座喜味城跡を訪問してきました。
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座喜味城は三山時代、北山征伐後に中山(後の琉球王国)が、残された旧北山勢力に睨みを効かせるために築城された山城です。
座喜味城の築城を命じられたのは、今帰仁城攻略で活躍した護佐丸。
座喜味城はちょうど沖縄本島の中間に位置し、北部と南部を見渡せる重要な拠点でした。
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護佐丸は座喜味城を、山田城の石を運ばせて造営したと言われています。
後年名城として名高い中城城を築くなど、築城家であった護佐丸の傑作と言われた座喜味城。
座喜味城は琉球王国のグスクおよび関連遺産群のひとつとして、世界遺産に登録されています。
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なだらかな曲線を描く座喜味城の城壁。
アーチ型の門は美しいだけでなく、アーチ門棟石の強度を補強するために楔が打ち込まれています。
護佐丸はこの座喜味城を、軍事要塞として完成度の高かった今帰仁城を参考に建造したとされています。
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座喜味城二ノ郭。
座喜味城は曲がりくねった城壁の中に、二ノ郭、一ノ郭と二つの郭がある構造になっています。
いくつもの郭があり巨大な中城城や今帰仁城に比べ、郭は二つしかなくコンパクトにまとまっています。
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続いて座喜味城一ノ郭。
座喜味城は護佐丸が18年間居城し、その後首里王府の命によって中城に移封されたのちは、どのように利用されたのか明らかになっていません。
しかし太平洋戦争中、ここ座喜味城一ノ郭には日本軍(第32軍)の高射砲陣地が作られ、その際に城郭の一部が破壊されたそうです。
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今帰仁城や中城城と違い、座喜味城は一部城壁の上に上がることができます。
城壁に柵などはなく、座喜味城自体が高台の上にあることもあり城壁上は風が強いので、城壁から落ちないよう注意が必要です。
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城壁の上からは、沖縄戦でアメリカ軍が上陸してきた沖縄中部の西海岸がよく見渡せます。
昭和18(1943)年、日本軍は座喜味城南に読谷山(北)飛行場を建設しました。
この飛行場を防衛するため昭和19(1944)年8月、第21野戦高射砲司令部指揮下の独立高射砲第27大隊第3中隊が座喜味城内に高射砲陣地を構築します。
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当時の座喜味城の門をバックに、独立高射砲第27大隊第3中隊の幹部を映した写真です。
写真は読谷村のホームページから出典しました。
座喜味城の高射砲は沖縄に対する大規模な空襲であった十・十空襲の際、敵機に応戦したものの、はかばかしい戦果を挙げられなかったそうです。
アメリカ海軍第38任務部隊の航空母艦から飛び立った艦載機は低空で沖縄上空に侵入してきたため、高々度を攻撃する高射砲では攻撃が難しく、逆に反撃を受けてしまったという。 
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第32軍が沖縄戦でアメリカ軍に敗北し、沖縄がアメリカに占領されてからは、座喜味城跡はアメリカ軍の対空レーダー基地となっていたという。
琉球王朝時代から現代まで、地形的に戦争の要衝であった座喜味城跡。
石垣の曲線や城壁上からのパノラマが美しいだけでなく、戦争遺跡としての顔も併せ持つ世界遺産です。