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沖縄県うるま市勝連南風原にある城跡、勝連城跡を歩いてきました。
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勝連城は与勝半島の南の付け根部にある台地に位置していた城で、琉球王朝時代、首里王府と敵対した按司(領主)、阿麻和利の居城として有名な城跡です。
12~13世紀ごろ、標高100mの丘陵上に築城されたこの山城は、琉球王国のグスクおよび関連遺産として世界遺産に登録されています。
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勝連城は北城(ニシグシク)と南城(ヘーグシク)、中間の内という三つの領域で構成されています。
いわゆる「城」らしい、琉球石灰石を詰んだ城壁が残っているのは北城で、北城は三ノ郭から一ノ郭まで道が整備されており、観光ルートの定番になっています。
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中間の内から、北城の三ノ郭に上がるための大きくカーブした階段が見えます。
内と三ノ郭には約20mという高低差があり、軍事要塞としての防御力は非常に高かったと思われます。
最後の勝連城主阿麻和利は1458年、宿敵であった中城城の護佐丸を奇襲攻撃で滅ぼすと、余勢を駆って主君の首里王府をも倒そうとしますが、謀反を感づかれて逆に王府軍に勝連城を急襲されてしまいます。
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三ノ郭から二ノ郭とその上にある一ノ郭を望みます。
勝連軍は首里王府軍に対し、城に籠もって応戦する籠城作戦を取りました。
この戦いでは「ヒヤー(火矢)」と呼ばれた、銅や鉄で作られた古い形式の小型砲も使用されたという。
ヒヤーはピンポン球からソフトボール大くらいの弾を発射する火薬兵器で、勝連城跡からはこの時使用されたと思われる鉄砲の弾も出土しています。
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1458年、勝連城は首里王府軍の攻撃によって陥落し、この年廃城となってしまいます。
二ノ郭には、かつてこの場所に建っていた舎殿の礎石が残っています。
この時代の沖縄の建物の屋根は、城も含めて火に弱いカヤ葺きがほとんどでしたが、勝連城の舎殿は瓦葺きであったようで、城跡からは大和系の瓦が出土しています。
勝連城は中継貿易によって、大和(日本)や朝鮮など他国の先進的な技術や物資を取り入れていたようです。
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二ノ郭にはウシヌジガマという自然洞穴があります。
「ウシヌジ」には「身を隠し、凌ぐ」という意味があり、ここは二ノ郭が防御の限界を迎えた時に逃げ込む場所であったという。
ウシヌジガマはかつて、一ノ郭にある「玉ノミウチ御嶽」脇の洞穴とつながっていて、 有事の際には避難路として活用されたそうです。
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勝連城の最奥部、標高約100mに位置する一ノ郭。
勝連城でもっとも高いところに位置する一ノ郭からは、阿麻和利の宿敵であった護佐丸が勢力を張っていた中城がよく見えます。
また一ノ郭からは、海外貿易によって得られた質の高い物が出土しており、ここには宝物殿のような建物があったと考えられています。
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一ノ郭の中央付近には玉ノミウチ御嶽という拝所があります。
勝連を守護する大きな霊石をご神体とする御嶽で、ここでは村の繁栄が祈願されていました。
霊石脇にある洞穴は、かつて二ノ郭のウシヌジガマと繋がっていて、城主・阿麻和利は勝連城の陥落時ここを通って脱出し、西海岸の読谷山まで脱出したという伝説が残っています。
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最近では、この勝連城跡から3、4世紀ごろのローマ帝国の銅貨4枚が出土したというニュースがありました。
いったいどんな経緯でここ勝連にローマ帝国のコインが入ってきたのかはわかりませんが、 城主・ 阿麻和利が地の利を活かした中継貿易で勝連を繁栄させた15世紀ごろの地層から出土したという。
いったいどんな経緯でここ沖縄の勝連に入ってきたのでしょうか。