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東京都北区にある、東京第一陸軍造兵廠・十条工場跡を歩いてきました。
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太平洋戦争の敗戦まで、北区の赤羽から王子に至るまでの区間には旧日本陸軍の施設が建ち並び、北区はいわゆる軍都でした。
それらの施設は太平洋戦争の敗戦後、進駐軍によって接収され、現在ではもうほとんど残っていませんが、陸軍の小銃や大砲等各種兵器を造っていた十条地区の東京第一陸軍造兵廠の跡地に、当時の陸軍の遺物が残っているというのでどんなものかと見に行ってきました。
現在地は、王子駅から板橋方向へ走る王子新道の、紅葉橋交差点です。
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その紅葉橋交差点を右に曲がり、都営アパートの間を通る一方通行の細い道を北上していくと、緩い登り坂の途中に「陸軍用地」と書かれた小さな標石があります。
これはかつてこの場所が陸軍の用地であったことを示す境界石で、何故かいまだに都営団地の前に残されています。
赤羽から王子にかけて、多くの都営団地がありますが、これらはかつての日本陸軍の施設跡地に建てられています。
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その境界石からさらに北に歩いていくと、陸軍兵器工場の遺構である兵器工場275号館が見えてきます。
この兵器工場、少し前までは廃墟としてこの地に取り残されていたそうですが、現在は改築され、275号館と新しい建物がくっついて、全体として北区の中央図書館となっていました。
275号館は元軍事施設ですが、今は図書館なので誰でも気軽に中に入れます。
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275号館北側の入り口付近。
275号館の北側は、喫茶店もあってとても兵器工場だったと思えないほど華やかになっていました。
喫茶店にはフリースペースもあるので、気軽に休憩できます。
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275号館、喫茶店の天井。
部材を斜めに組み合わせ屋根の負担を軽減するトラス構造になっていました。 
錆び具合から見ても、これは当時からのもののようです。
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図書館の中では、休日ということもあってたくさんの子供たちが机に座って勉強していました。
昔の軍の施設が、ただ忌まわしいものとして取り壊されるのではなく、このような形で残されたのは素晴らしいことだと思います。
できれば改築前にその姿を見たかったですが、一部だけでも残されてよかったです。
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北区中央図書館を出て、再び南に歩いて紅葉橋交差点に戻ります。
紅葉橋交差点に戻り、今度は交差点から東にちょっと歩くと、右手に北区中央公園が見えてきます。
北区中央公園の入り口には、北区中央公園文化センターが中央公園の玄関のように建っています。
この北区中央公園文化センターは、もともとは東京第一陸軍造兵廠の本部でした。
1930年の建築物です。
白い外壁が清廉なイメージですが、もともと白かったわけではなく、進駐軍に接収されたときに茶色の外壁が白に塗り替えられたそうです。
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玄関の外壁に刻まれたレリーフ。
これは軍の記章なのでしょうか。
どっちかっていうと日本軍よりアメリカ軍のものですね。
接収後に彫られたんでしょうか。
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中に入ると豪華なシャンデリアがあって、いかにも戦前の建物という感じがします。
ただシャンデリア以外は、中の作りは普通の文化センターといった感じでした。
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ただちょっとこの建物、一部の廊下の天井が低いです。 
昔の日本人の身長を基準に作られたからでしょうか。
こんな天井が低いところ、体格のいいアメリカ人が問題なく使えたのかが気になります。 
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北区中央公園文化センター、裏側。
屋上に見える外階段は、なかなか最近の建築物では見られないものと思います。
やはり昔の建築物はかっこいいですね。
東京第一陸軍造兵廠は、太平洋戦争でも大きな被害を受けることはなく、戦後進駐軍により接収されましたが、進駐軍からの返還後は、その多くの建物と敷地は自衛隊の十条駐屯地になりました。
北区立中央図書館とこの中央公園文化センターの間には、現在も陸上自衛隊十条駐屯地があります。
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帰ろうと思って北区中央公園文化センターを出たら、北区中央公園文化センターの横にコンクリート製の洞窟があるのを見つけました。
場所柄防空壕かと思って覗いてみたら、赤羽台第3号古墳石室という古墳だそうです。
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はて、ここは赤羽台だったのかと思って説明文を読んでみると、どうも赤羽台から移設されたものらしい。
新幹線工事の時に発掘され、邪魔だったのでこの場所に移設しました、と記載されています。
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石室を個別に解体して持ってきたわけでなく、床ごと切り取って持ってきたため、ほぼ発掘された時の形がそのまま残っているとのことです。
東京第一陸軍造兵廠やこの赤羽台3号古墳に見るに、北区は文化財をなんとか後世に残そうとする姿勢をとっているようです。
いろいろな事情がある中で、それでもなんとか過去の遺構を残していこうとする姿勢は、立派なものだと思います。 
このような活動は、今後とも続けていってほしいですね。
(訪問月‎2014‎年‎5‎月‎)
【以下は、2016年6月に同地を訪問した際に追記したものです】
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北区立中央公園の北側は陸上自衛隊十条駐屯地になっています。
旧東京第一陸軍造兵廠十条工場の跡地は、現在では北区立中央公園、北区立中央図書館、陸上自衛隊十条駐屯地、都営団地、東京成徳大学等大きな敷地を要する様々な施設に分割されています。
これらすべての敷地がかつて陸軍の軍需工場だったとは、当時の軍の権力の強さを改めて感じさせられます。
なお、この十条駐屯地の隊門の煉瓦塀も東京陸軍造兵廠の遺構であるそうです。
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十条駐屯地の隊門から西に進んでいくと、JR埼京線の近くに十条富士見中学校という区立中学校があります。
この中学校も、戦後東京第一陸軍造兵廠十条工場の跡地に建てられたものです。
中学校の前にはまだ比較的新しい煉瓦塀が建っていますが…
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富士見中学校の前には煉瓦塀のモニュメントがあります。
かつて、東京第一陸軍造兵廠十条工場の敷地内には、煉瓦造りの軍需工場が建ち並んでいました。
このモニュメントは当時を偲ぶため、仕上げ材の一部に、平成21年に旧十条中学校の校舎を解体した際に出土した煉瓦を使用しているとのことです。
十条工場の壁面に使用されていた煉瓦を再利用したものでしょう。
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モニュメントからさらに西に歩いていくと、JR埼京線と富士見中学校の敷地の境界に建つ巨大な煉瓦塀が見えてきます。
煉瓦塀の手前は、学校関係者の自転車駐輪場になっているようでした。
この煉瓦塀もまた、東京第一陸軍造兵廠十条工場の遺構です。
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煉瓦塀には説明板がついていました。
この煉瓦塀は、東京第一陸軍造兵廠十条工場の西の敷地境界にあった軍用地境界塀です。
東京第一陸軍造兵廠・十条工場は日露戦争が終結した1905年、文京区後楽にあった東京砲兵工廠が小銃弾薬の増産を図るため、ここ十条台に移転してきたことがその始まりです。
その敷地面積は、約10万坪という大規模なものであったという。
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その敷地の西端にあったという煉瓦塀。
煉瓦塀は新たに塗り直されたのでしょうか、説明板にある写真の煉瓦塀とはずいぶんと色が違いますね。
写真のころの煉瓦塀が見たかったなぁ…
東京第一陸軍造兵廠十条工場の軍用地境界塀は、今では北区立十条富士見中学校の自転車置き場の塀として、都民の生活に溶け込んでいるようでした。