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今回は管理人に代わり、スペシャルゲストが歩いてきてくれました。
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台湾の首都・台北市から東南方約30kmに位置する台湾新北市烏来(ウライ)区。
烏来とは、14部族あるという台湾原住民のうちタイヤル族の言葉で「自然に沸いたお湯」という意味で、烏来区はタイヤル族が多く住む海抜約500mの高地です。
ここ烏来には、かつての太平洋戦争を日本軍として戦った高砂族を慰霊する「烏来高砂義勇隊慰霊碑」があるというので訪問してきました。
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高砂族とは、かつて大日本帝国が台湾を統治していた時代、台湾の山岳地帯に住む原住民を総称したもので、タイヤル族も高砂族のひとつです。
太平洋戦争において、高砂族のジャングルにおける戦闘力の高さに目を付けた日本軍は、高砂族から志願兵を募り特殊攻撃要員「高砂義勇隊」として編成しました。
志願兵の募集には志願者が殺到し、志願のため自らの血で嘆願書を書いたり、落選したものはその場で泣き崩れるほどであったという。
純朴な性質を持ちつつ、勇敢で高い闘争心を持つ高砂族は、日本兵として出撃できることを喜んだそうです。
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高砂義勇兵は密林における動物的な感覚を発揮し、足場の悪いところでも行動は俊敏で、その戦闘能力は訓練された日本兵以上であり、連合国軍からは怖れられ、日本軍司令部からは大きな期待と信頼が寄せられました。
幾度に渡って編成された高砂義勇隊ですが、その一例として、昭和18(1943)年、悪化する戦況と人跡未踏の緑の魔境に苦しめられていたニューギニア攻略担当の日本陸軍(第18軍)が、ニューギニアのマダンで輸送船の荷役要員等の軍属として活動していた高砂族から志願兵を募ったところ、全員が志願したため高砂特別義勇隊を編成したことがあります。
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東部ニューギニア戦線のラエ・サラモア・フィンシュハーフェンなどで日本軍が圧倒的火力の米豪軍の前に苦戦を強いられる中で、高砂義勇隊は少数精鋭による敵陣への挺身潜入攻撃を敢行。
夜陰に乗じた爆薬や火炎筒での肉迫攻撃で多数の敵を撃破し、多量の武器弾薬を鹵獲する成果を収めたという。
耳がよく、夜目が効き、素足で音もなく夜のジャングルを駆け回ると言われるほどの身体能力の高さはジャングルにおける遊撃戦闘で存分に発揮され、連合国軍との火力差から敗走続きであった日本軍に大きな勝利をもたらしました。
〈写真はWikipediaから出典〉


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現在地は烏来の名所、烏来瀑布に近い泰雅馬告珈琲館前です。
泰雅(タイヤー)はタイヤルの意で、馬告(マーガオ)は烏来の山で採れる山胡椒のこと。
こちらのカフェの店長は台湾原住民タイヤル族の方ですが、その奥さんは日本人であり、日本のテレビで紹介されたこともある有名なカフェらしいです。
最近ではタイヤル族と日本人の結婚も多くなってきたんだとか。
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目的の烏来高砂義勇隊慰霊碑は泰雅馬告珈琲館前から、郷道北107-1線という山沿いの道を登っていったところにあります。
郷道北107-1線はヘアピンカーブが2つ続く坂道です。
温泉観光地である烏来には日本人観光客も多く来るそうですが、こちらは山の上ということもあって観光客の数は少なくなっています。
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二つ目のヘアピンカーブの途中には威風堂々としたタイヤル族の男性像が建っていました。
タイヤル族は台湾原住民の中でもアミ族に次ぐ二番目に多い8万5000人の人口規模をもつ部族で、主に台湾北部~中部の山岳地帯に居住しています。
高地に住む彼らはもともと狩猟に長けていたので、慢性的な食糧不足に悩まされていた日本軍にとって大きな助けとなりました。
高い椰子の木に登り実を採ってきて、椰子汁を使って病気になった日本兵の解熱をするというようなこともしていたという。
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郷道北107-1線を登っていくと、やがて烏来瀑布公園という公園に到着します。
この公園の中に、高砂義勇隊の慰霊碑が建つ烏来高砂義勇隊紀念園區があるという話でしたが…
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なんと、烏来瀑布公園の入り口は土砂で埋まっていました。
烏来瀑布公園裏の山が土砂崩れを起こしていて入れなくなっています。
これは2015年8月8日、台湾を直撃した台風13号の影響で、公園裏の山肌が数10mに渡って地滑りを起こした痕のようです。
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現在は復旧作業中のようで、地滑りが起きたところをコンクリートで固めているのが見えました。
地図を見るに、この上は烏来瀑布公園に繋がっているように思います。
とりあえずこの擁壁を無理やり登ってみます。
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土砂崩れ痕から烏来瀑布公園と思われる所に入りました。
土砂によって烏来瀑布公園は事実上閉鎖されているようで、公園内に人はいませんでした。
土砂崩れから一年以上の歳月が経っていますが、復旧作業はどの程度進んでいるのでしょうか。
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公園の中を歩いていくと、やがて「烏来高砂義勇隊主題紀念園區」と書かれたモニュメントが見えてきました。
どうやら目的地に到着したようです。
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人っ子一人いない烏来高砂義勇隊主題紀念園區。
烏来高砂義勇隊慰霊碑は1992年、もともとは遺族らが烏来の別の場所に建立したものですが、2003年に敷地を提供していた企業が倒産。
これにより慰霊碑の維持管理が困難になり撤去されそうになりましたが、事態を報じた産経新聞の読者らが義援金を集め、2006年、ここ烏来高砂義勇隊主題紀念園區に移設されました。
その後2010年には台北県政府が「日本の軍国主義を美化している」として慰霊碑の撤去を命ずるも、地元の人々がこれに反対して衝突。
話し合いの結果慰霊碑の存続が決まったという経緯があります。
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広場には太平洋戦争で戦死した高砂族の名前が刻銘された碑がありました。
この辺りは土砂崩れの被害を受けなかったようです。
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日本名を持っていた高砂義勇兵。
族名 Tayaはおそらく原住民語で、タイヤル族のことであると思います。
高砂義勇兵は七度に渡って編成され、約6000人が出陣したと言われていますが、前述のニューギニア第18軍のように現地軍が志願兵を募るなどのケースもあり、正確な義勇兵の数と殉職者の数はわかっていません。
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殉職者の碑の向かい側には、階段と、その入り口を守る日本でいうところの狛犬のような石像が二つ建っていました。
台湾では石獅子という名前らしいです。
ここから階段を上がっていきます。
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階段をあがると、鎮魂の碑などが置かれた広場に出ました。
事前情報では、ここはもはや管理されておらず、石碑は雑草で埋まっているとのことでしたが、訪問時はきれいに雑草が刈り取られていました。
今は人がいないものの、管理はされているようです。
未だ事実上閉鎖中の烏来瀑布公園ですが、開放される日も遠くないのかもしれません。
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その中に日本人ならば誰もがその名を知っているが、実際にはどんなものなのかよく知らないという「さざれ石」がありました。
さざれ石は、もともとは「細石」つまり小さな石の意味で、それが長い年月をかけ小さな小石同士の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄などで埋め大きな一つの石となったものを指します。
もともとは違う石であった日本兵と高砂義勇兵。
さざれ石のごとく、ひとつの石となり得たのでしょうか。
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さざれ石の隣には、鎮魂之碑がありました。
この碑は台北陸軍病院が設けたもので、太平洋戦争末期、負傷した日本軍将兵がこの病院に送られてきたものの、その多くが生きて故郷の地を踏むことができませんでした。
せめてこの地での安らかなる眠りをと願って、この碑が建てられたという。
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さらに進むと、鎮魂の鐘らしきものと、その向こうには土砂崩れの痕が広がっていました。
この土砂崩れによって高砂義勇隊慰霊碑は倒壊。
慰霊碑の像はなぎ倒され、李登輝元総統の揮毫による「霊安故郷」の銘板がある台座ごと落石と倒木に埋もれてしまったそうです。
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しかし土砂のすぐ手前に、高砂族兵士の像が建っていました。
台座はありませんが、これが高砂義勇隊慰霊碑の像のようです。
土砂に埋もれてしまった高砂族兵士像ですが、無事に救出されたようです。
倒壊時に右手の槍がぽっきり折れてしまったそうですが、きちんと修復されていました。
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ちなみにこちらは別の方から頂いた、槍が折れたバージョンの高砂族兵士像の写真。
かつてこの像の台座には、戦前は台湾軍司令官であり、戦中はフィリピン攻略戦でダグラス・マッカーサーの米比軍を破った日本陸軍(第14軍)本間雅晴中将の、高砂義勇隊への鎮魂の詩が刻まれていたという。
「かくありて 許さるべきや 密林の かなたに消えし 戦友(とも)をおもえば」
当時の高砂義勇兵と日本兵は、民族の違いを超えて、兄弟のような強い絆で結ばれていたそうです。
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高砂義勇兵にはこんな逸話が残っています。
ジャングルの中で飢餓に苦しむ日本兵を助けるため、ジャングルに慣れた高砂義勇兵が遥か後方の基地まで食糧を取りに行ったものの、一向に帰ってこない。
様子を見に行くと、義勇兵は両手一杯の米を抱えて、部隊まであと少しというところで餓死していたという。
餓死するほどの極限に達しながらも、日本兵のための米には手をつけなかった高砂義勇兵。
誇り高き兵士たちの像が、土砂により人が立ち入れなくなったここ烏来温泉観光地の山中で、当時の勇戦と日本・台湾の絆を今に伝え続けています。
(訪問月2017年1月)