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北区豊島にある軍事遺跡、豊島ドック跡地を歩いてきました。
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現在地は北区豊島にある北区立豊島公園です。
豊島公園は豊島二丁目から王子六丁目に跨がる、道路に沿うようして造られた細長い公園です。
それほど大きな公園ではありませんが、夏にはかっぱ祭りという地域のお祭りの会場になるなど、地域住民には親しまれています。
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豊島公園の周辺には、北区立明桜中学校、駿台学園中高、都立飛鳥高等学校など文教施設が多く設立され、下校時間帯にはここを通りかかる学生さんの姿がよく見られます。
これら文教施設は、以前このブログで取り上げた「東京第二陸軍造兵廠王子工場」跡地に建てられた学校群です。
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豊島二丁目25番地に位置する豊島公園入り口近くには、もはやこのブログではお馴染みとなった北区による産業考古学探索路の金属板が置かれていました。
王子六丁目には戦前、旧帝国陸軍の火薬製造工場「板橋火薬製造所王子工場(のち、東京第二陸軍造兵廠王子工場に改称)」があり、さらにこの豊島公園がある場所には、製造した火薬を石神井川と荒川(現隅田川)の水運に乗せるために陸軍が掘った掘割「豊島ドック」があったと書かれています。
ドックとは、船の係船や荷役作業のために築造された設備のことです。
要するに豊島ドックというのは、製造した火薬を石神井川・隅田川の河川輸送に乗せるため、川までの人工のお堀を作って船の荷役作業を行っていた場所ということです。
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こちらは当時の状況を記す、昭和7(1932)年頃のこのあたりの地図です。
青い線で囲ったところが王子工場で、赤い線が東京第一造兵廠十条工場東京第二陸軍造兵板橋工場とも繋がる軍用鉄道「東京砲兵工廠電気軌道線」。
黄色いマーカーの部分が位置関係から、豊島ドックがあった場所と思料されます。
ここ豊島公園は、敗戦による陸軍の解体により不要となった豊島ドックを埋め立てて造成された公園なのです。
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もっとも豊島ドックは、軍が明治~大正期に掘ったと言われているだけで、詳細な資料はなく詳しいことはわからない軍事施設です。
石積みの護岸が地下に残っているそうですが、地上からではそれはわかりません。
地上に何かその時代を示すものはないのかと、豊島公園裏手にある中途半端な幅の路地を歩いて探索してみました。
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すると路地の入り口近くに早速、境界石の名残らしきものを民家の塀沿いに見つけました。
道路を造った際に邪魔だったのでしょうか、道路からちょびっと顔を出したところでぶった切られています。
はたしてこの境界石は、豊島ドックの軍事境界石だったのでしょうか。
古い境界石のようですが、これだけではよくわかりません。
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この道は道幅も狭く車も通れないため、道に面する住宅の居住者でなければ利用する人はほとんどいないと思います。
私がふらふらしているときも、誰も通りませんでした。
境界石から路地を西へ進んでいくと、豊島公園の敷地に沿った曲がり角にでました。
ちょうど曲がり角の頂点にある住宅の門の前に、あからさまに怪しい境界石が顔を覗かせています。
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この境界石は鉢を乗せられてカモフラージュされていますが、門の目の前という無意味な位置取りから考えて、この路地を含む豊島公園の敷地にかつてあった豊島ドックの境界石と推測されます。
ただし、境界石の表面にはお馴染みの「陸軍用地」の縦書き刻印ではなく、横書きで「286」と数字が書いてあります。
はて、この数字はなんだろう?
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どうして刻印が「陸軍用地」ではないのでしょうか。
今まで軍事遺跡を回った中でこのような境界石を見たことがないので、軍用地境界石と断定することができません。
東京第二陸軍造兵廠王子工場自体は軍事施設ですが、そこに付属した豊島ドックは軍事施設扱いではなかったのでしょうか。
さらに路地を進んでいくと、またもや住宅の玄関前に古い境界石が残っていました。
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こちらもわざわざ玄関前に残されている境界石。
書いてある数字は「285」であり、さっきの境界石と連番になっています。
番号から、この「285~286」ラインが豊島ドック境界線であったと思われます。
今歩いているこの路地は、やはり戦後に造られたものということですね。
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路地の先は、南北に走る一方通行の道路を挟んで、西側の豊島公園に繋がっています。
こちらは道を挟んでいるため、先ほどの豊島公園とは番地が変わり豊島二丁目26番地です。
26番地の豊島公園は人工の小川が流れる公園になっています。
しかし今は時期はずれのためか、水は流れていません。
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26番地の豊島公園は25番地の豊島公園のように裏手に路地がなく、公園のすぐ隣が住宅地の玄関前という変わった作りになっています。
公園のすぐ隣接地に住宅が顔を並べるという変わった作りに、かつての掘割の痕跡が伺える気がしました。
そして住宅の前に建てられた柵の前に、かつての掘割と住宅地の境界を示す境界石が残っています。
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わざわざ柵を境界石の形にくり抜いてまで残されていた境界石。
境界石にはやはり数字が刻印されていて、「278」と読めます。
さっきの番号と連番でこそないものの、充分に近い番号です。
この境界石も、豊島ドックの境界石で間違いないと思います。
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こちらはそこからさらに西側、王子六丁目の豊島公園。
地図ではこの辺りの水路が一際大きくなっていて、おそらくこの辺りで船を係留し、荷役作業を行っていたと思われます。
かつて東京第二陸軍造兵廠王子工場で製造された火薬を、石神井川、荒川(現隅田川)の水運に乗せるために造られた係船設備、豊島ドック。
ほんの70数年前、この場所には、今とはまったく違った光景があったのです。
(訪問月2017年2月)