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中野区中野四丁目の軍事施設跡、陸軍中野学校跡地を歩いてきました。
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現在地はJRや東京メトロ東西線などが乗り入れる中野区中野駅の北口です。
写真は中野駅を南北に貫く中野通りの西側で、中野サンプラザホテルや中野市役所などが建っている中野の中心部です。
現在中野駅前で賑わっているのは中野ブロードウェイなどがある中野通り東側ですが、中野通り西側は中野駅新北口駅前広場が造られるなど再開発が進んでおり、将来的に賑わいの中心が西側に移ってくると言われています。
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こちらは再開発で中野サンプラザとの一体化計画が進んでいる中野区役所。
この中野区役所四階には以前、中野区立平和の森公園を訪問したときに見学できなかった平和資料展示コーナーがあります。
憲法擁護・非核都市宣言をしている中野区なので、平和資料展示コーナーにも気合いが入っているものと期待できます。
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と、思っていたのですが。
平和資料展示は、四階エレベーターホールの近くに申し訳程度の展示コーナーがあるだけでした。
う~ん、これは寂しい。
平和の森公園から移転した際に、展示物が大幅に削減されてしまったのでしょうか。
罹災証明書や当時の双眼鏡など戦時の物や、疎開先での食事を記したパネルなどがちょびっと展示されていました。
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そんな中野区役所の前には、五匹の犬の像があります。
これは中野犬屋敷の跡碑で、江戸時代「生類憐れみの令」を制定した徳川五代将軍徳川綱吉がこの地に野犬保護施設を設けたことに由来します。
綱吉は江戸の郊外に当たる中野に最も大規模な犬屋敷を造らせ、ここに多数の役人や医者をおいて犬の飼育に当たらせたと伝えられています。
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中野区役所の西隣には中野四季の森公園という芝生の防災公園があります。
ここは現在、子供たちの遊び声が聞こえるのどかな公園となっていますが、歴史を遡っていくとこの場所には、公園になる前の平成13(2001)年までは警察大学校があり、さらにその前に遡るとスパイ養成学校として名高い陸軍中野学校がありました。
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中野四季の森公園には当地の解説板もあります。
江戸時代には犬屋敷があり、明治~終戦までは陸軍施設、戦後~平成13年までは警察施設、そして四季の森公園に至るこの土地の経緯が記載されています。
陸軍中野学校がこの地にあったのは昭和14(1938)年3月から昭和20(1945)年4月までの間で、当時国際情勢が急激に変わっていく中で、欧米に比べ情報戦に出遅れていた大日本帝国は秘密裡に工作員養成機関を設立しました。
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陸軍中野学校ではスパイを養成するため、ここで謀報や謀略、防諜、宣伝など秘密戦に関する教育、訓練などを行っていたとされています。
その卒業生たちは、ニューギニアで台湾高砂義勇隊と共にゲリラ戦を行うなど、戦争の様々な局面で活躍しています。
それにしてもかつての軍用地とはいえ、駅前にしてこのような子供をのびのびと走らせられる公園があるのは素晴らしい環境ですね。
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さらに中野四季の森公園の西側は、明治大学中野キャンパスと帝京平成大学中野キャンパスという二つの大学があります。
これら大学の敷地も、かつては陸軍中野学校の用地でした。
写真は帝京平成大学中野キャンパスですが、ここも東京理科大学葛飾キャンパスと同じように、公園と一体化しているようなキャンパスです。
キャンパス内の学食は一般人でも利用できるらしいので、食べてみたいと思います。
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帝京平成大学中野キャンパス学食の券売機です。
Hey!Say!ランチやぶろ~どうぇい、サンプラDONなど、名前に特徴があるメニューが並んでいます。
ランチや丼がついていればなんとなく食べ物なんだろうなとわかりますが、ぶろ~どうぇいにあって食べ物なのか判断が難しい。
と、思ったのですがどうやら日替わりランチのようで、あまり名前に意味はないようです。
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こちらはHey!Say!ランチ430円。
本日のHey!Say!ランチはマーボソースがけと揚げ焼売、豚塩炒めでした。
学食はコストパフォーマンスが良好で、味は美味しく、加えて注文するとすぐに出てくるのでオススメです。
特に小さい子連れのファミリーには。
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こちらはサンプラDON380円。
本日のサンプラDONはオムハヤシでした。
最近、我が家では大学の学食を食べに行くことが多くなっています。
学食はうまい早い安いと三拍子揃っている上に、多少騒いでももっと賑やかな学生がたくさんいるので気にしなくていいのが子連れ外食にはありがたいです。
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若い学生さんたちの会話で賑やかな帝京平成大学中野キャンパスの学食。
ちなみに陸軍中野学校の生徒は、そのほとんどが兵学校ではなく一般大学や高等専門学校出身者で占められていたそうです。
生粋の軍関係者は知識が偏っていて、任務中スパイとしての判断を誤るおそれがあること、態度にも軍人らしい雰囲気が出てしまうことなど、スパイとしてはあまり向いていませんでした。
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帝京平成大学の北側には、東京警察病院があります。
東京警察病院は警視庁警察学校の跡地に移転してきた病院で、移転前は千代田区富士見の東京逓信病院近くにありました。
警視庁警察学校は現在、府中市の朝日町に移転していますが、ここはもともと陸軍が戦闘機などを配備していた調布飛行場の用地でした。
陸軍中野学校跡から調布飛行場跡へ移転と、警視庁警察学校も陸軍用地と縁の深い施設と言えそうです。
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東京警察病院の敷地北西端には、茂みに隠れるようにして二つの石碑が建っています。
左手前の碑が陸軍中野学校がかつてこの地にあったことを記念する「陸軍中野学校趾」の碑で、右奥の碑が「摂政宮殿下行啓記念 大正12年」の碑です。
場所としては早稲田通り沿いですが、早稲田通りからでも警察病院からでも微妙にわかりにくい場所にあります。
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陸軍中野学校趾碑の裏側には、陸軍中野学校の概要が記されています。
陸軍中野学校の生徒たちはスパイ養成機関の生徒としてバレないよう、平素から軍服ではなく平服を着用し、髪も長髪で、なるべく一般的な格好でいることを奨励されたという。
そのため、里帰り時には軍人らしからぬ姿を親に叱責され、しかしスパイという立場上身分も明かせず説明に苦慮したそうです。
その風貌は、今の中野駅北口周辺を歩く学生さんたちとそんなに変わらなかったのかもしれませんね。
(訪問月2017年6月)