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北区王子の公園、飛鳥山公園裏にある飛鳥の小径を歩いてきました。
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東京都内の桜の名所のひとつ、飛鳥山公園。
江戸享保期に行楽地として整備され、明治6(1873)年には上野公園などと共に日本最初の公園に指定された歴史ある公園ですが、飛鳥山公園も第二次世界大戦と無縁ではいられなかった公園でした。
日中戦争勃発後の昭和15(1940)年から昭和18(1943)年までの間、飛鳥山には大きなグラウンドがあったそうです。
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飛鳥山グラウンドは第二次世界大戦期における大日本帝国の軍事力増強の一政策として、国民の体力練成のために造成されたグラウンドでした。
さらに太平洋戦争後期には、空襲への対策として飛鳥山には数多くの防空壕が造られました。
近年、飛鳥山の斜行モノレール「アスカルゴ」が作られた際も、工事中に防空壕が見つかって工事が難航し、その年のお花見に完成が間に合わなかったという。
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飛鳥山公園の南側の一角には、明治・大正期の実業家、渋沢栄一の邸宅跡「旧渋沢庭園」があります。
旧渋沢庭園にはかつて8470坪(約28,000㎡)の敷地に日本館と西洋館からなる本館をはじめ様々な建物が存在していましたが、その多くが太平洋戦争末期の昭和20(1945)年4月13日に発生した城北大空襲で焼失。
今では国指定重要文化財(建造物)の青淵文庫と晩香廬が残るのみとなっています。
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青淵文庫と晩香廬の北側には、茶室や東屋などが建っていたという旧渋沢庭園が広がっています。
庭園内では空襲で焼失した施設の跡地をところどころに見ることができます。
なお旧渋沢庭園は現在飛鳥山公園の一部ですが、公園区域と違い夜間帯は閉鎖されています。
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旧渋沢庭園は園内を周回できる散策路があり、この散策路は飛鳥山の端にあたる東側斜面の方まで作られています。
こちらは旧渋沢庭園(飛鳥山)の奥地に当る場所のため、歩いている人はほとんど見受けられません。
木々の向こうには飛鳥山の縁に沿って敷かれている東北本線と京浜東北線の線路が見えます。
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散策路の階段を降りた先には小さな池がありました。
池の先には旧渋沢庭園の敷地境界を示す黒い柵があって、その向こうに線路がありますが、黒い柵と線路の間には細い道があります。
この細い道は「飛鳥の小径」という、昼間でもある時期以外は人通りのほとんどない線路際の道です。
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飛鳥の小径には旧渋沢庭園からは柵があっていけないので、いったん旧渋沢庭園を出て、飛鳥山公園の児童エリア近くにある階段から行きます。
山の斜面に作られた木製階段を降りると、飛鳥の小径に出られます。
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飛鳥の小径は東北本線・京浜東北線の線路際に作られた鉄道マニアが好きそうな道ですが、この日は人通りはまったくありませんでした。
昼間でこれだから、夜間は物好き以外は通らないと思われます。
夜間は痴漢ロードと化しそうな、寂しい雰囲気の道です。
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飛鳥山の斜面は、毒性のある個体があることで知られるアジサイの葉で埋め尽くされています。 
飛鳥の小径の飛鳥山斜面側は大量のアジサイが栽培されていて、花が咲く梅雨時には多くの人がアジサイを見に訪れるそうです。
しかし今は時季外れのため、アジサイは花を咲かせていません。
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この飛鳥の小径、一部では心霊スポットなどとも言われています。
それは、太平洋戦争中この飛鳥山の斜面に、一万人が収容できたと言われる巨大な防空壕があったことに由来します。
街の男たちが戦場へと送り出され、人手のなかった戦中期、この防空壕の造成には聖学院中学校のような近隣の女子学生が駆り出されたそうです。
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しかし防空壕とはいっても、旧渋沢庭園にあった渋沢栄一の近代建築物をことごとく焼き尽くすほどの大量の焼夷弾による攻撃には耐えられず、多くの犠牲者が出たようです。
今ではアジサイの葉に覆い尽くされている飛鳥山の斜面ですが、昭和30年くらいまではまだ防空壕跡が残っており、壕からは時折焼け焦げた防災頭巾や白骨が見つかったという。
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戦後になって防空壕は埋め戻され、その上にアジサイが大量に植えられ、飛鳥山の斜面は何事もなかったようになっています。
しかし多くの犠牲者が出たためでしょうか、この斜面から白い人影が出て行くのを見た、という噂が一部でまことしやかに囁かれているのです。
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私は霊感0なので幽霊を見たことはありませんが、怪談話に出てくる幽霊はみんな白ですね。
なんでなんだと、いわゆる見える人に聞いてみたところ、幽霊は白いわけじゃなくて、それ自体が白く浮き上がって見えるからなんだそうです。
そういえば以前畑トンネルで撮った心霊?写真も、人影が浮き上がっていたなと妙に納得。
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今の飛鳥山の斜面には、残念ながら防空壕跡を思わせるようなものは残っていないようです。
ところどころに山崩れ防止のためと思われるコンクリート構造物が顔をのぞかせていますが、戦中に造られたものか戦後に造られたものなのかははっきりしません。
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続いて防空壕跡を背に、飛鳥の小径を王子方向に進んでいきます。
少し歩くと右手に京浜東北線の王子駅が見えてきます。
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そのまま明治通り方向へと進んでいくと、右手にまるで昭和初期に建てられたかのような古めかしい木造長屋が現れました。
長屋は二階部分が前にせり出していて、さらに長屋裏側にはトタン板で造られた住居があり、歪な形をしています。
この長屋、場所的には王子駅プラットホームの目の前にあたります。
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長屋には小さな飲み屋が二軒ほど入っていました。
ここは「さくら新道」という戦後の昭和27(1952)年にできた呑み屋横丁の名残です。
さくら新道はかつて十数軒のスナック・バーなどが建ち並ぶ昭和の風情を残す呑み屋横丁でしたが、2012年1月21日に火災が発生して延焼し、実にその3分の2が焼失。
現在はこの一部分だけが残っています。
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3分の1になってしまったさくら新道の先には、入り口が防空壕のように半地下になっている奇妙な民家があります。
民家の門扉は目の前に止まっている二輪によって開かないように固定され、敷地を囲う黒いフェンスには緑のネットが被せてあり、あまつさえ二階のテラスの手すりにセンサーライトが設置と随分厳重警戒のお宅のようです。
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調べたところここは「飛鳥山観世音聖徳院」という個人寺院だそうで、本堂と観音堂と庫裡(僧侶の住居)からなる建物だそうです。
その建物に覆いかぶさるように柱を立てて二階にテラスのようなものを作り、更にそのうえに建物を増築しているので、一見してなんだかよくわからない建造物になっています。
聖徳院に対面する飛鳥山をちょっと登って見下ろしてみると、なるほど民家に埋もれるようにして観音堂の白い屋根が見えます。
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この観音堂の隣にも寺院の頭頂部のようなものが突き出しており、なんとなく寺院なんだなということがわかります。
もっとも観音堂の入り口は完全に塞がれており、周囲の状況からもあからさまに見学拒否の姿勢が窺えるので近づかない方がよさそうですが。
「飛鳥山 聖徳院」で検索するといくつかのサイトが出てきますが、結局なんだかよくわからない寺院のようです。
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その聖徳院から道を挟んだ向かい側に、コンクリートの山があって、その上にお地蔵様が立っています。
寺院の目の前に地蔵と、普通に考えればおかしくはない組み合わせなのですが…
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この地蔵、よく見ると顔がありません。
胴体の方は普通なのに、顔だけは以前目黒区の大圓寺で見た「とろけ地蔵」のようになってしまっています。
高い位置にあるので判別しにくいですが、よく見ると目や鼻らしきものがあるっぽく見えなくもありません。
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以前ここを訪問した方の記録などを見るに、この地蔵、かつては首なし地蔵であったようです。
確かによく見ると首と胴体のコンクリの色が違い、首の部分は新しく付け加えたような感じです。
対面する聖徳院を見るに、お住まいの方はコンクリ造形が得意のようですが、この地蔵も聖徳院の方が作ったのでしょうか。
このちょっぴり怖い地蔵も、飛鳥の小径を心霊スポットたらしめる一因になっているのかもしれませんね。
(訪問月2017年8月)