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今回の訪問先は八丈島八丈町三根にある閉業中のホテル、八丈オリエンタルリゾートです。
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現在地は八丈島で夏場にもっとも人が集まる場所、底土海水浴場前の八丈一周道路です。
底土海水浴場横の底土港では、八丈島と帝都の竹芝桟橋との間を一日一往復する東海汽船の定期便が発着します。
今回はこの底土海水浴場から、八丈一周道路を北へ向かって歩いていきます。
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八丈島で唯一の公営キャンプ場、底土野営場近くまで来ると、八丈一周道路と八丈空港道路が交わる交差点に出ました。
右の道が海岸線を走る八丈一周道路、左の道が八丈島空港へとつながる八丈空港道路です。
そんな左右へと分岐していく道路の間に、何やら王冠のような形をしている、巨大な建造物の頭が見えます。
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右の八丈一周道路をさらに進み、王冠を目指して神湊漁港の方向へ歩いていきます。
やがて左手の亜熱帯植物が群生する林の向こうに、白亜の巨大な、フランスのバロック建築のような建物が見えてきました。
この建物は「八丈オリエンタルリゾート」という名の閉業中リゾートホテルです。
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八丈一周道路に面した、巨大な門柱の建つ八丈オリエンタルリゾートの正面入り口です。
かつて、八丈島が「東洋のハワイ」と呼ばれていた時代がありました。
今と違ってまだ海外旅行が一般的でなかった時代、新婚旅行の行き先に南国情緒溢れる島としてこの八丈島が選択されていたという。
その時代、東海汽船の船から降り立つ客はみなスーツやドレス姿をしており、30~50万円を八丈島に落としていったそうです。
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八丈オリエンタルリゾートの正面です。
八丈オリエンタルリゾートは、もともと昭和43(1968)年に八丈ロイヤルホテルという名前で営業開始したリゾートホテルです。
その時代、まだ海外旅行は庶民にとって高嶺の花であり、現在の南国観光の雄、沖縄もまだアメリカ合衆国の占領下にありました。
当時の庶民にとって南国旅行先と言えば、ここ八丈島が一般的だったのです。
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ゆえに、今の八丈島の観光事情を見れば無謀としか思えないこの巨大リゾートホテルを、当時は運営することができたようです。
八丈ロイヤルホテルはその後、プリシアリゾート八丈、八丈オリエンタルリゾートと名を変え、永きにわたり八丈島一のリゾートホテルとして君臨し続けました。
しかし海外旅行が一般的になった時代の流れには勝てず、2005年に閉業となってしまった次第です。
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八丈オリエンタルリゾートの側面です。
八丈オリエンタルリゾートの正面はロータリーになっており、ロータリーより先は立ち入り禁止の看板があってホテル内には立ち入れません。
しかしロータリー左右に八丈オリエンタルリゾートの外周を回る遊歩道のような通路があって通行できるようになっており、歩きながらホテル外観を近くで眺めることができます。
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八丈オリエンタルリゾートの裏手です。
裏手にも手書きの立入禁止看板があり、やはり立ち入りできないようになっています。
ちなみに八丈オリエンタルリゾートは、「トリック劇場版2」のロケ地になったことがあります。
主人公らの敵組織である宗教団体、箱のゆーとぴあの教団本部として登場していました。
ちなみにこの映画は八丈島全体がロケ地として使われており、鉄壁山司令部壕と思しき地下壕も出ています。
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八丈オリエンタルリゾート裏手には、ホテルの別館らしき丸い建物もあります。
この別館は立入禁止の看板がなく、入り口が開きっぱなしでウェルカム状態だったので入ろうと思えば入れそうな感じになっていました。
しかしこの建物の向かい側は営業中の理容室なのでやはり入りにくそうですが。
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十年以上前に閉業となったはずの八丈オリエンタルリゾートは、なぜ取り壊されないのでしょうか。
不思議に思って島の人に聞いてみたところ、八丈オリエンタルリゾートはとっくに廃業しているが、多重債権になっていて取り壊せないのだと言ってました。
さらに尋ねると、八丈オリエンタルリゾートのように取り壊せないまま、屍をさらし続けている廃墟ホテルが八丈島に現在四つあることが分かりました。
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残りの三つについてその人は語りませんでしたが、おそらく大賀郷の八丈国際観光ホテル、樫立の八丈温泉ホテル、末吉の南国温泉ホテルのことを言ったのだと思います。
写真はそのうちの一つ、大賀郷の八丈国際観光ホテルです。
病院のような外観の廃墟ホテルですが、丘の上にあることもありオリエンタルリゾートと同じく非常に目立っています。
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こちらは樫立の乙千代ヶ浜近くに位置する八丈温泉ホテルです。
温泉の枯渇によって廃業となったホテルで、八丈オリエンタルリゾートや八丈国際観光ホテル以上に荒廃していましたが、敷地内には縄文時代の湯浜遺跡と倉輪遺跡があるという。
これに洞輪沢の南国温泉ホテルを合わせ、まさに八丈島廃墟ホテル四天王といった感じです。
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かつて「東洋のハワイ」と謡われた八丈島観光の繁栄と落日を象徴するような八丈オリエンタルリゾート。
ちなみに島の人に、かつて八丈島は「日本のハワイ」と呼ばれ、賑わっていたんですねと言ったところ、「東洋のハワイ」だと厳しく訂正されてしまいました。
今の八丈島は、確かに(東洋の)ハワイっぽさはあまり感じませんが、個人的にはそんなパチモンを追求するのではなく、八丈島は八丈島の特色を前面に出し、観光地としてのパワーを高めていってほしいと思います。
(訪問月2017年7月)