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八丈島八丈町樫立の唐滝・硫黄沼ハイキングコースを歩いてきました。
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現在地は八丈一周道路のバス停「富次朗商店前」から唐滝への山道を車で5分ほど進んだ、唐滝・硫黄沼ハイキングコースの駐車スペースです。
富次朗商店前バス停から唐滝までのハイキングコースは約2キロメートルありますが、この駐車スペースまでは車で行くことができます。
といっても全行程の4分の1程度なので、けっこう歩くことに変わりはありませんが。
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駐車スペースから、三原山の登山道を登っていきます。
三原山は降水を保留することのできる地質を有しており、山は島の大事な水源となっています。
しかしそのため足下は非常に滑りやすく、行く時は靴は軽登山用のものか最低でもスニーカーで行ったほうがいいと思います。
サンダルで行くのはやめときましょう、怪我します。
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駐車スペースから2、30分ほど山道を登っていくと、やがて硫黄沼への分岐点に到着します。
左手に見える道標のところに下りの階段があって、その先には唐滝・硫黄沼ハイキングコースの目的地のひとつ、硫黄沼があります。
硫黄沼は日によって色が違う、不思議な沼と言われています。
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しかしこの日の硫黄沼は、緑色の普通の沼といった溜池でした。
硫黄沼は硫黄成分が混ざっているためか、天候次第では青緑色に輝くことがあるそうですが、残念ながらこの日は天候悪く、輝いていませんでした。
時期柄なのか、トンボが大量に飛んでいたことを記憶しています。
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硫黄沼から、さらに唐滝に向かって登山道を歩いていきます。
唐滝・硫黄沼ハイキングコースはここからが本番といった感じで、山道は溶岩の小石が多く滑りやすくて歩きにくくなっています。
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三原山の山頂に近づくほど、険しくなっていく唐滝・硫黄沼ハイキングコース。
途中に護神山公園にあったようなコンクリートの水道タンクや水道管、砂防堤など人工物が障害物のように配置され、アスレチックのようになっています。
ロープを掴んで行かなければならないような急な坂道もあり、サンダルでくるとこのあたりが厳しいです。
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砂防堤の上を越えて川を渡り、ようやく唐滝に到着しました。
コケに覆われた巨大な岩壁を覆うレースのカーテンのように、上から水が落ちてきています。
三原山中腹に位置する唐滝は、常に水が流れている滝としては島内最大で、落差は36.3メートルあるという。
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マイナスイオンを全身に感じられるような気がする唐滝の水しぶき。
その唐滝の横に、繁茂した緑に覆われるようになっている小さな半円形の穴がぽっかりと空いているのを発見しました。
なんだあの穴は。
防空壕かな? こんな山の上の方に?
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小さな穴ですが、屈んで行けばなんとか行けないこともなさそうです。
よく見ると小さいながらもしっかりした洞穴で、入るにあたっての障害は、唐滝の水しぶきで入り口付近が大きな水たまりになっていることくらいです。
唐滝から落ちてくる水は硫黄分を含んでいるためか、洞窟の入り口付近にだいたいいつもいるゲジやカタツムリの姿は見えません。
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よっこいしょっと。
頭上から滴り落ちてくる水を払いながら、洞窟内へと進みます。
洞窟の壁はなんか錆びたみたいに黄色くなっています。
壁からは地下水が豊富に染み出してきており、その影響と思われます。
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少ししゃがみ歩きをしていくと、やがて立って歩ける広さの地下空間に出ました。
洞窟内には、微かに硫黄のような臭いが漂っています。
奥は懐中電灯の灯りが届かないほど深くなっていました。
天井や壁にはちらほらとゲジがいましたが、それ以外の生物はいないようです。
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この洞窟、軍事遺跡の地下壕と比べてかなり天井が高いです。
雰囲気は、昔歩いた大谷採石場に似ています。
あとで調べてわかったのですが、ここは明治の中期、特に日清戦争のころに火薬の原料となる硫黄を採掘していた採石場だったようです。
火山島である八丈島には見るべき鉱物はありませんが、ここからはわずかに硫黄採取が行われていたという。
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洞床は地下水によって削られ、大きな溝が出来ていました。
今は何も流れていませんが、大雨が降った際は地下水の通り道になるものと思われます。
真っ暗なので、足を踏み外さないように注意して渡ります。
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天井からは地下水が染み込んで来ているようで、一部壁が変色していました。
地下水に混ざっている硫黄成分の影響でしょうか。
壁が鉄錆色になっています。
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奥に進むと、大広間のようになっている巨大な地下空間に出ました。
滝の下にあるためでしょうか、地下空間の中は濃い靄がかかっています。
広間の端に、上からの過重を支えるための志保工が残されていました。
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これはなんだろう。
洞窟内に転がる瓦礫の中に、茶色の靴下の片方が落ちていました。
こんなところまで誰かがやってきて靴下の片方を残していったとも思えず、おそらく当時の採石関係者のものと思われます。
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その先にも別の志保工が残っていて、もうその先は行き止まりになっていました。
太平洋戦争末期、八丈島にアメリカ軍の攻撃が迫ったころ、ここを地下壕とする計画があったようですが、実際に使われることはなかったという。
戦後、再びこの採石場で硫黄を採掘しようという動きもあったようですが、採算の問題もあり実現せず閉山となってしまったようです。
(訪問月2017年8月)