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八丈島八丈町樫立にある戦争遺跡、直射砲台跡を歩いてきました。
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現在地は八丈島の坂下地区(三根、大賀郷)と坂上地区(樫立、中之郷、末吉)を繋ぐ逢坂橋上です。
巨大な谷を跨ぐようにして架設された逢坂橋は、全長が1325メートルに及ぶダイナミックな橋です。
この橋はかなり高所に架かっているので、高所恐怖症気味な方は歩きや自転車で渉らない方が良さそうです。
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逢坂橋からの太平洋を望む景観は、八丈八景・大坂夕照(おおさかせきしょう)です。
ここからの眺めはまさに絶景で、何回通っても足を止めてしばしば心を浮世の外に逍遥させずにはいられないところである、として八丈八景のひとつになっています。
ちなみに八丈八景は近江八景にならい、慶応2(1866)年鹿島宮司塙伊豆守中臣則文が八丈島流罪中に選定したものです。
その他に「前崎晴嵐」「大里晩鐘」「尾端夜雨」「神湊帰帆」「藍ヶ江の落雁」「名古秋月」「西山暮雪」があります。
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しかし本日は海霧が発生して、逢坂橋からの景観は非常に悪かったです。
広大な太平洋は海霧によって隠され、今は島民がいない無人島の八丈小島がうっすらと見える程度でした。
ちなみに八丈小島は太平洋戦争後期、護神山に司令部をおいていた独立混成第十六連隊の一部隊が防衛にあたっていました。
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ここへは大坂夕照の景観を見に来たわけではありません。
坂上へと向かう逢坂橋の先は大坂トンネルへと繋がっています。
大坂トンネルは、日露戦争の戦勝記念に造られた隧道で明治38(1905)年に起工し、同40(1907)年に竣工したトンネルです。
以来大坂トンネルは、八丈島の坂下地区と坂上地区を繋ぐ交通の要衝となっています。
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その大坂トンネル手前の赤く分厚いコンクリート擁壁に、四角い巨大な穴が空いています。
擁壁の奥にはカマボコ型のトーチカ砲座があり、このトーチカ砲座こそ旧日本軍が八重根港方面に進撃してきたアメリカ軍を迎撃するために構築した「直射砲台」跡です。
このトーチカ砲座には、野戦重砲・九六式十五糎榴弾砲が配備されていたという。
九六式十五糎榴弾砲とはどのようなものか、靖国神社遊就館で見ることができます。
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このトーチカ砲座はアメリカ軍の上陸が予想された八重根の海岸を直接俯瞰射撃でき、しかも側面が堅固な岩山に守られているという地形的利に恵まれた側防砲兵陣地でした。
振り返って眺めを確認すると、左手は大坂トンネルのある岩山に守られており、正面の海は海霧のせいで見にくいものの、手前の横間浦と八重根港、奥に南原海岸までを見渡すことができます。
直射砲台の「直射」の意は、障害物越しに敵艦隊を曲射砲撃するのではなく、直接敵艦隊を狙って砲撃するための砲台だからだそうです。
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しかし日本軍はサイパン島の戦いの敗北から、従来の島嶼防衛の基本であった水際撃滅を諦め、敵を島の奥深くまで誘い込んで撃滅する縦深後退配備へと作戦をシフトしていました。
この直射砲台も、砲煙により砲台や銃座の位置を敵に知られることを恐れて、どんなに飛行機が低空を飛んできても発砲は禁止されたという。
ただし、硫黄島の戦い直前の昭和20(1945)年2月16、17日にはアメリカ軍機に直接攻撃されたため反撃し、これを撃ち落とす戦果を挙げています。
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生い茂る雑草を踏みしめて奥へ進むと、緑の向こうにコンクリート打カマボコ型のトーチカ砲座が姿を現します。
この陣地にいたのは独立野戦重砲兵第一〇〇大隊、通称藤井部隊の第一中隊で、この中隊は九六式十五糎榴弾砲を四門所持していたという。
つまりこのようなトーチカ砲座が、かつてはこの周辺に四つあったということになりますが、そのほとんどは崩落してしまったようで、他にこの直射砲台のように当時のままの形で残っているものはないという。
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コンクリートのトーチカ砲座内に入ってみると、まず砲室内の左手に小さな通路があるのが目につきました。
ものすごく小さな穴で、屈んで行っても通るには厳しい大きさです。
おそらく昔はもっと大きく、砲兵が移動する坑道であったものが、土砂の流入によって狭まってしまったものと思われます。
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トーチカ砲座奥にあるコンクリートの中途半端な壁を登ると、砲座の裏手は巨大な洞窟になっていました。
洞窟の床は地下水の流入によってかなりぬかるんでいるようです。
八丈島の山は、水を大量にため込んでしまう土質をしており、一説には島で使う60年分の水を山が蓄えているという。
そのため八丈島は伊豆諸島で唯一水が自給自足なのだそうです。
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ぬかるみに足をとられながらも、なんとかトーチカ砲座裏の洞窟へと進みます。
訪問日の前日は雨など降りませんでしたが、この坑道はいつもこんな感じなんでしょうか。
前を見ると正面に大きな洞窟と、左へ曲がっていく小さな壕口があり、道は二又に分かれています。
とりあえず、正面の大きな洞窟の方へと進みます。
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壕の足下は水が流れ、岩が削れて水路のようなものが作られていました。
これは長い年月をかけて、自然に作られたものでしょうか。
壕床を絶えず地下水がちょろちょろと流れています。
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正面の大きな洞窟は右へとカーブしています。
そのため少し進むと、底土港の回天壕と違って壕内にまったく太陽の光が届いてきません。
真っ暗闇の中でカメラのフラッシュを焚いて写真を撮ると、写真に水滴のようなものがたくさん写りました。
壕内は湿度が高く水分が飽和状態のようで、霧のようなものが発生しそれがフラッシュに反射してうまく撮れません。
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やむを得ず壁に寄って写真を撮ります。
壁からは錆びた鉄筋が飛び出ていました。
ここに何かをかけていたんでしょうか。電線とか?
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奥に進んで行けば霧もないだろうと思って、もう少し進んで再度写真撮影。
ところがどっこい、奥に行けば行くほど霧が濃い!
まともに写真が撮れませんね。
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とはいえ、フラッシュを焚かないとこの有り様です。
唯一見えるのは懐中電灯で照らしている狭い範囲のみ。
この壕での写真は諦めた方が良さそうです。
八丈島の壕で写真を撮りたかったら、強い光の懐中電灯を持ってくるか、雨の少なく湿気の少ない時期に来た方が良さそうですね。
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壁際の足下には、黒々と炭化した何かが埋まっていました。
これはなんですかね? よくわかりません。
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時折壁にあるこの妙な穴もなんだろう?
ここに何かを固定していたんでしょうか。
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やがて青いビニールシートみたいなものが巻き付けられている、洞窟奥の閉塞部に到着しました。
ここは今は塞がれていますが元々は開いていたそうで、さらに進むと山の裏側に抜けられるようになっていたそうです。
しかし霧がすごくて全く写真が撮れません。
だめだこりゃ…
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と、思って天を見上げると、天井に巨大な穴が空いていました。
穴は貫通しているようですが途中で曲がっているようで、どこまで続いているのかはわからない。
空気孔もしくは爆風逃し孔でしょうか?
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閉塞部まで行ったので入り口まで戻り、今度は先ほどあった左手の坑道へと行こうと思います。
八丈島観光協会のブログによると、こちらの坑道はかなり長い通路が続いていて途中で分岐しており、その端は山の尾根に出ていたり、防衛道路脇の人捨て穴の近くに出ていたりするらしいです。
前回の人捨穴近くにあった坑道と思料されます。
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では、いざ行かん…
と、思って一歩を踏み出すと、地下水で足下がぐちゃぐちゃの泥濘になっていて、体重を乗せるとずぶっと足が沈んでいきました。
泥の粘度も高く、はまってしまうと抜け出せないかもしれない。
こりゃ無理だ。
ぬかるみに先人が色々と試行錯誤して通ったような足跡がありましたが、よくここを行ったものです。
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軽装で、危険なことはできない自分には無理だと思い、ここで探索は打ち切りました。
というわけで残念ですが写真は霧だらけ、更にぬかるみで進めずとは随分中途半端な訪問になってしまいました。
最後にもう一度八丈八景をと思いましたが、やはり海霧が深くもう八丈小島すら見えません。
七十数年前の太平洋戦争末期、日本軍はこの大坂夕照を背景にして島を攻撃してきたアメリカ軍機に九六式十五糎榴弾砲で反撃し、これを撃墜したという。
その交戦を物語る直射砲台跡が、島の戦跡として、今もほぼ当時のままの姿で大坂トンネル脇に残っています。
(訪問月2017年7月)