[当施設につきましては、2018年4月1日付で閉鎖されたとのことです]
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八丈島八丈町大賀郷にある展示施設、八丈島歴史民俗資料館を歩いてきました。
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八丈島歴史民俗資料館は、宇喜多秀家の住居跡から八丈一周道路を約500メートル西へ進んだ位置にある資料館です。
島内各地の民家に散在していた歴史民俗資料を収集・保存した資料館で、島の歴史や民俗についてわかりやすく展示しています。
八丈島の歴史を知るためには、まずここを訪れるのが一番です。
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歴史民俗資料館入口横にあるこの門柱は、八丈島歴史民俗資料館の前身、旧八丈支庁の門柱です。
資料館自体は昭和14(1939)年にもともとは東京都八丈支庁舎として建てられた近代建築物です。
昭和46(1971)年に支庁舎が現在の場所に移転すると、昭和50(1975)年5月1日に八丈島歴史民俗資料館として再出発しました。
しかし木造平屋建の建物はもう建築から70数年が経過しており、老朽化が懸念されています。
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大人360円の入館料を払って資料館の中に入ります。
資料館の中は昔の学校のような、味わい深い廊下が正面を貫き、左手の各部屋が展示室になっています。
この廊下は国の登録有形文化財に指定されているとか。
各展示室には、古代から近代に至るまでの八丈島の歴史が、各時代ごとにわかりやすく展示されています。
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展示室は全部で9室あり、こちらは最初の展示室(A室)、八丈島の自然と文化財コーナー。
正面にある巨大な洞穴は、長さが1.4キロメートルもあるという溶岩洞窟「八丈風穴」の模型。
実物は危険な個所が多く現在は立ち入り禁止らしいです。
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こちらはC室、島の暮らしや民具の展示コーナー。
1960年までの島の生活用具、稲作・畑作に使われていた農具、屋根ふきや山仕事の道具、漁具などが展示されています。
五右衛門風呂などが置かれていました。
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廊下は途中で十字になっていて、左に行くとD、Eの2室があり、右に行くとF~Iの4室があります。
Dは八丈島に流された宇喜多秀家と源為朝のコーナー、Eは島の貝殻や昆虫標本など自然コーナー、Fが生活用具コーナー、Gが椿油搾り道具展示室になっていました。
展示物は充実していて、丹念に見ていくと見学には一時間くらいかかるものと思われます。
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H室は八丈島の伝統織物、黄八丈の展示コーナーで、黄八丈の織物や地機織り機などが展示されていました。
黄八丈は年貢や税、また商品として島の暮らしを支える八丈島の大事な産業でした。
太平洋戦争末期、本土に疎開していた八丈島の島民は、この黄八丈を食料と物々交換していたそうです。
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その黄八丈の展示の奥に、企画展示コーナーがありました。
この日の企画展示は、「八丈島と戦争」。
主に大東亜戦争(満州事変から敗戦までの15年戦争)と八丈島との関わりについての展示がなされていました。
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昭和19(1944)年6月、マリアナ沖海戦の敗北で日本海軍の第一機動艦隊が壊滅し、翌月に当時日本領だったサイパン島が陥落すると、八丈島は本土防衛の前線基地として注目され、多くの陸海軍部隊が駐屯するようになりました。
68.33平方キロメートルのこの小さな島に、太平洋戦争末期は2万人という将兵が駐留していたとされています。
現在の八丈町人口の三倍近い将兵がこの島にいたことになりますね。
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企画展示コーナーには、日本軍将兵の装備品や解説パネル、八丈島に今も残る戦争遺跡の写真が展示されています。
こちらは当時の日本兵の服装装備。
支給品の略帽、軍帽、鉄帽、襦袢、軍衣、襟布、軍袴、袴下、編上靴、営内靴、銃剣等が描かれている。
越中ふんどしだけは自前だったようです。
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ゲートルと陸軍蚊追粉。
ゲートルは脛の部分に巻いて保護するためのもので、歩兵や陸戦隊の装備でした。
巻くのが面倒だったそうです。
蚊追粉は現代の蚊取り線香のようなものと思いますが、そういえば八丈島に来て蚊を見たことがありませんね。
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防寒外套および軍袴。
八丈島の島民が戦後に、駐屯していた兵士から贈られたものとのことです。
長らく高倉に置かれていたとのことで、詳細は不明ですが、防寒外套に北川隊の名前があるそうで、その部隊の兵士のものではないかと考えられています。
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こちらは昭和24(1949)年に撮影されたという、八丈島海軍新飛行場の航空写真です。
現在の八丈島空港の基礎となった八丈島海軍新飛行場は、太平洋戦争後期に日本海軍により建設されました。
もっとも太平洋戦争後期には、もはや日本海軍には飛ばす飛行機はなく、仮に八丈島へアメリカ軍が来襲した場合、新飛行場は敵に奪われて使われるだけだったかもしれません。
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こちらは三根の底土海岸にある人間魚雷「回天」壕の写真。
底土海岸は、八丈島でもっとも観光客が集まる底土海水浴場がある海岸です。
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末吉の名古の展望にある特攻艇「震洋」の碑の写真と解説。
第十六震洋隊という部隊の記念碑で、近くに震洋の格納壕もあるようです。
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大賀郷の大坂トンネル横にある直射砲台跡の写真と解説。
これら戦争遺跡は八丈島観光協会のブログにも載っていて、公開されているようなので今回の八丈島滞在中に訪問したいと思います。
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大賀郷の鉄壁山にある独立混成第67旅団司令部壕の写真と解説。
この鉄壁山司令部壕は、かつて稲川淳二が「恐怖の現場」シリーズで「御霊が眠る、迷宮洞窟」として紹介しており、有名な場所です。
なおこの壕は崩落の虞があり現在、立ち入り禁止となっています。
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八丈島歴史民俗資料館には戦争関連の展示はないと聞いていましたが、思いもよらず企画展示が「八丈島と戦争」でした。
しかも展示されているものだけでなく、(資料館の人に)言ってくれれば資料はまだまだあるよとの断り書きまでありました。
小笠原諸島と違いあまり戦争の歴史を前面に出していないと聞いていた八丈島ですが、資料や戦争遺跡を表に出していないだけでたくさん隠し持っていそうな感じです。
今回の八丈島訪問では、そんな八丈島の太平洋戦争に関連する戦争遺跡を中心に見て回りたいと思います。
(訪問月2017年8月)