DSCF2700
八丈島八丈町大賀郷の八丈島歴史民俗資料館周辺を歩いてきました。
00111144d5a5103d6e941d
太平洋戦争末期の昭和20(1945)年3月26日、日本陸軍の栗林忠道中将率いる小笠原兵団の硫黄島守備隊が、日本本土へと迫るアメリカ軍の絶え間ない攻撃によって玉砕しました。
硫黄島が陥落すると、小笠原諸島と日本本土の中間に位置する伊豆諸島は本土防衛の最前線に立たされることになります。
中でも伊豆諸島の南端にあり、飛行場のある八丈島は本土防衛の最初の砦とされていました。
DSCF2735
現在の八丈島空港は、太平洋戦争後期の1944~1945年に日本海軍が設営した海軍新飛行場を拡張したものです。
この飛行場の滑走路工事には、朝鮮半島から250~500人ほどの徴用者が動員され建造されたと推定されています。
また日本陸軍は、アメリカ軍の侵攻に備えて八丈島の各地に地下壕を掘り、それらを坑道でつないで島を要塞化していました。
DSCF2528
そのためか八丈島を車で走っていると、町中に防空壕跡のような洞窟を時折見ることができます。
写真は大賀郷の為朝神社近くで見つけた縦長の防空壕跡。
八丈一周道路から普通に見える位置にあり、ものすごく目立っていますが、八丈島では割とよくある風景なのか町行く人にはスルーされています。
赤羽の防空壕跡のように、23区にあればこれだけで立派な史跡なのですが。
DSCF2529
島のたいていの壕跡は金網や柵が張られていて立ち入りできないようになっていますが、この壕は前にカラーコーンが置かれているだけの簡素な立ち入り禁止でした。
カメラを壕口に突っ込んで撮ってみると、木の根っこがたくさん飛び出した狭い洞窟が見えました。
ここは浅い穴のようで、家庭用に造られた壕なのか軍の地下壕なのかはわかりませんが、戦火が迫った八丈島では、このような地下壕がたくさん掘られたようです。
DSCF2378
前々回取り上げた八丈島歴史民俗資料館の裏手に位置する民家に接する山にも、防空壕のような穴が残っています。
右手の岩壁に、小さな壕口が空いています。
八丈島は全体的に防空壕のような穴が各所に点在していましたが、八丈島歴史民俗資料館周辺はとりわけ防空壕跡が多かった気がします。
DSCF2377
子供が入らないようにとの措置でしょうか、壕口に手押し車が突っ込んであって入れないようになっていました。
この壕は小さくて丸い穴で、壕の中ですれ違うことさえ困難と思われ、いわゆるただ隠れるだけの家庭壕のように見えます。
軍の地下壕ならもっと大きいでしょう、中には蜘蛛の巣が張っていました。
DSCF2346
八丈島歴史民俗資料館は台地の上にあり、資料館西側には馬路という大里集落へ向かう切り通しの散策路があって、馬路を挟んだ先はまた台地が続いていて小高い山になっています。
この山は崩れないように道路側に石積みの擁壁が築かれていますが、この石積み擁壁をよく見ていくと、かつては地下壕の壕口があったのだろうと思われる痕跡が残っています。
DSCF2537
壕口に石を積み上げて塞いだと思われる箇所。
八丈島の壕は口が空いたままのところが多いですが、ここは八丈一周道路沿いで、かつ歴史民俗資料館に近く人通りもあるのでわざわざ塞いだものと思われます。
壕口が大きく、中には大きな地下陣地壕がありそうな壕口跡ですが、内部は伺い知れません。
DSCF2536
そのすぐ隣に、こちらも新たに石を積んで壕を塞いだような痕跡のある擁壁がありました。
しかしこちらは塞ぎ方が甘かったのか、上の方に腕が突っ込めるくらいの穴が空いています。
暗くてよく見えないので、穴にカメラを突っ込んで撮影してみました。
DSCF2380
中は瓦礫で埋まっていましたが、見たところ洞窟は口が広くて頑丈そうであり、奥行きも結構ありそうで先ほどの丸い穴とは明らかに違い、軍が構築した地下壕のように思われます。
現八丈島歴史民俗資料館には戦争中、八丈島で編成された特設警備第五大隊(通称窪田部隊)の一個中隊、小尾第三中隊が駐屯していました。
八丈島の人々も当然というべきか、日本軍としてこの島の防衛にあたっていたのです。
この壕はひょっとしたら、この第三中隊が構築したものかもしれませんね。
DSCF2729
二つの壕口のある石積み擁壁から八丈一周道路を挟んだ反対側は、こちらも小高い山の崖になっています。
このあたりの八丈一周道路は、山を掘削した切り通しのようです。
今は崖がアルミ製の網などで補強されていますが、かつては大きな雨が降ると山崩れなどが発生していたとか。
DSCF2539
この向かい側の山にも、壕口が残っていました。
藪の中、崖の足下に小さな穴が空いています。
こちらは草木に隠れてほとんど見えませんが、崖補強用のアルミ網は穴まで届いていません。
わざわざ壕口を空けているのでしょうか?
DSCF2700
穴の中はこのように、やや大きめの銃眼のような形をしていました。
機関銃座でしょうか?
特設警備第五大隊は三個中隊、420名からなる大隊で、装備は三個中隊合わせて重擲弾筒12筒、軽機関銃12挺、歩兵銃と、小規模な部隊であったようです。
特設警備第五大隊第三中隊のわずかな九六式軽機関銃や九九式軽機関銃が、ここに配備されていたのでしょうか。
DSCF2535
この先は当時日本陸軍がアメリカ軍の上陸地点と予想していた八重港や南原海岸があります。
特設警備第五大隊第三中隊はここで、上陸して攻めあがってくるアメリカ軍を迎撃するつもりだったものと思われます。
今では普通の交差点に過ぎないこの河口交差点は、戦時中は八丈島中心部への敵の進撃を阻止する重要な拠点であったのかもしれません。
(訪問月2017年8月)