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港区南青山にある都立霊園、青山霊園を歩いてきました。
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青山霊園は明治7(1874)年に開園した公共墓地で、明治維新の功労者や政治家、文学者や芸術家、科学者など様々な分野の著名人の墓が数多くある霊園です。
約26万平方メートルの敷地には、10万墓を超える墓があるという。
多種多様な場所で活躍された方の墓が多く、日本の近代の歴史が小さくまとまっている場所と言えるでしょう。
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また、青山霊園は帝都でも有数の心霊スポットとしても知られています。
青山霊園にまつわる怪談として有名なのが、タクシー運転手の話。
青山霊園から(もしくは青山霊園行きの)女性客を乗せてしばらく走っていると、いつの間にか後部座席の女性客が消えているという話です。
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あとで運転手が後部座席を確認すると、シートが濡れていたという、どこかで聞いたようなこの怪談。
確かに青山霊園周辺は休憩しているタクシーが多いですね。
しかし、霊園を心霊スポットとしてとらえるのもどうかと思いますので、今回はこのブログ的な視点から青山霊園を歩いてみたいと思います。
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青山霊園には多くの著名人が眠っており、その中には、日本史の教科書で名前が出てくるような人も少なくありません。
写真は日露戦争の講和条約、ポーツマス条約を結んだ小村寿太郎外務大臣の墓。
東洋の小国に過ぎなかった大日本帝国はこの戦争の勝利により、軍事大国へとのし上がっていきます。
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小村寿太郎の墓の近くには、太平洋戦争開戦時連合艦隊の第一艦隊司令長官を勤めていた海軍提督高須四郎の墓があります。
主に鈍足の戦艦からなる第一艦隊は海軍の本拠地・呉市に温存されて活躍の機会に恵まれず、高須も戦争中目立った功績を挙げていません。
高須四郎は戦中に亡くなっていますが、その死も戦死ではなく病没と、その任に比して目立たない提督ですが、日独伊三国軍事同盟や対米開戦には反対だったという。
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高須四郎の墓の隣には、開戦時の第一航空艦隊第二航空戦隊の指揮官であった山口多聞提督の墓があります。
山口多聞は太平洋戦争のターニングポイントと言われるミッドウェー海戦において、第一航空艦隊司令部の驕慢から乗艦「飛龍」以外の航空母艦「赤城」「加賀」「蒼龍」がアメリカ海軍機動部隊により撃沈されるも、単艦反撃して米空母「ヨークタウン」を撃破しました。
しかし刺し違える形で「飛龍」も撃破されてしまい、昭和17(1942)年6月5日、沈みゆく「飛龍」と運命を共にし壮絶なる最期を遂げています。
山本五十六の後継者と目されていた山口多聞の戦死は、以後の戦争に暗い影を落としています。
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こちらは昭和19(1944)年7月のサイパン陥落の責任をとって辞任した東條英機の後を継いで第41代内閣総理大臣となった小磯國昭の墓。
しかし内閣は変わっても戦争継続の方針は変わらず、敗勢を挽回できないまま戦局は悪化の一途を辿り、翌年4月に辞任。
小磯國昭は敗戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯に指名され禁固判決を受け、昭和25(1950)年11月3日服役中に病死しました。
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1932年のロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト、西竹一(バロン西)陸軍中佐の墓。
西竹一中佐は戦車第26連隊の連隊長として太平洋戦争末期の硫黄島防衛戦を戦うも、同地で連隊は玉砕し、昭和20(1945)年3月17日ころ戦死。死後陸軍大佐。
余談ですが、私はこのバロン西を20年くらい前に少年ジャンプの読み切りでやっていた漫画で初めて知りました。
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太平洋戦争最後の決戦、沖縄戦で沖縄防衛にあたった帝国陸軍第32軍の指揮官、牛島満陸軍中将の墓。
「陸の牛島、海の田中(頼三)」と言われるほど敵であったアメリカ軍から評価される名将でしたが、沖縄南端に撤退しながら戦い続け日本本土侵攻への時間を稼ぐ戦法をとったことにより、沖縄県民に多大な損害を出しており、日本での評価は賛否両論です。
沖縄戦末期、今の沖縄県平和祈念公園がある摩文仁の丘で指揮下部隊に永久抗戦命令を出した後、昭和20(1945)年6月23日自決。死後陸軍大将。
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青山霊園の南端にはかおたんラーメンというラーメン屋があり、その向かいには「ハーディ・バラックス」という在日米軍の宿舎が見えます。
ハーディ・バラックスは太平洋戦争の敗戦により連合軍に接収された陸軍第一師団歩兵第三連隊の敷地に作られた在日米軍基地「赤坂プレスセンター」の南東隅にある将校宿舎です。
赤坂プレスセンターは東京区部に残された最後の在日米軍基地であり、東京都は敷地返還を求めています。
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赤坂プレスセンターにはハーディ・バラックスだけでなく、ヘリポートやガレージ、研究所や星条旗新聞社など米軍施設が設けられています。
このうち特にヘリポートについては、ヘリの超低空飛行やヘリ騒音などで問題になっています。
敷地返還問題や騒音問題等在日米軍の各種問題に対し、はっきりNOと言えないのが敗戦国、日本の辛いところですね。
もはや戦後ではない、などと言われていますが、まだまだ『戦後』は終わっていないのです。
(訪問月2017年9月)