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かつての軍事施設跡が、今は女子大とか女子高になっているケースって結構多いです。
そういった所で軍事遺跡を探してカメラを持ってうろついていると、警備の人とかに不審な目で見られて困ることがあります。
しかしそんな時の最強の防御兵器は「子供」です。
おっさんがカメラを持って女子校付近でうろうろしていても、小さな子供を連れていれば途端に風景に溶け込み、軍事遺跡の写真を撮っていても不自然ではないのです。
というわけで息子と一緒に、文京区大塚の軍事遺跡、東京陸軍兵器支廠大塚弾薬庫跡地を歩いてきました。
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現在地は東京メトロ丸の内線茗荷谷駅から徒歩6分ほどの位置にある新大塚公園です。
新大塚公園内には自由解放のグラウンドがあり、サッカーや野球などをできるようになっています。
新大塚公園の周辺は学校が多く、下校時間ということもあり公園は学生たちの憩いの場になっていました。
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新大塚公園の周辺は御茶の水女子大学をはじめ、跡見学園、筑波大学附属高等学校、貞観学園高校、文京区立音羽中学校等教育施設が密集しています。
そのため下校時間になると、歩道は駅へと向かう学生でいっぱいになります。
しかし歩道は狭いので、小さい子連れで歩くのはけっこう危ないです。
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大きな敷地を必要とする学校がこれほど多くこの場所に造られたのは、この地がかつて、より広大な敷地をもつ陸軍用地だったからです。
江戸時代この地域には磐城平藩安藤家の下屋敷がありましたが、明治になると跡地はそのまま陸軍用地となり、明治13(1880)年に陸軍病馬厩、明治23(1890)年に陸軍大塚弾薬庫が造られました。
そして大塚弾薬庫は明治41(1908)年1月1日東京陸軍兵器本廠直属の兵器支廠となり、そのまま廃止まで陸軍の弾薬倉庫として活用されています。
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大塚弾薬庫の資料は、関東大震災や戦災の影響もあってほとんど残っていないそうです。
大塚弾薬庫は関東大震災の影響か昭和の初期には廃止され、跡地には昭和7(1932)年、東京女子高等師範学校が移転してきました。
東京女子高等師範学校は、現在の御茶の水女子大学です。
このお茶の水女子大学の周辺に、大塚弾薬庫の軍事遺跡が今も残っているというので探し歩きたいと思います。
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新大塚公園前からお茶の水女子大学の敷地南西端をぐるりと回り、大学の西門までやってきました。
お茶の水女子大学の門は由緒ある女子大ということもあり、警備員さんとかの監視の目が厳しいですが、この西門は現在使われていない感じで警戒力は低いです。
そんな西門の横に、黄色い字で「犬の糞は飼い主が始末しよう」と書かれた古い塀があります。
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この塀はこの場所が大塚弾薬庫であったころ、軍用地とそれ以外を隔てていた軍用地境界塀です。
鉄筋コンクリート製の軍用地境界塀のようで、上の緑色のフェンスは後付けのもののようです。
もともとの塀の高さが低いのは、当時の日本人の身長を考慮してのことでしょうか。
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軍用地境界塀の足下には、軍用地境界石が埋まっています。
花崗岩でできた軍用地境界石は風化が激しく、表面の文字はかなり見にくくなっていました。
「陸軍省所轄地」と書いてあるそうです。
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軍用地境界塀の曲がり角、頂点の位置にもう一つ軍用地境界石のようなものが埋まっていました。
先ほどの境界石と同じ、花崗岩製の境界石のようですが、こちらはほとんど埋没していて何が記載されているのかよくわかりません。
しかし場所的に考えても、こちらも軍用地境界石で間違いないでしょう。
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さらにお茶の水女子大学の敷地に沿って、大学の西側から北側へと歩いてきました。
大塚弾薬庫の軍用地境界塀は、お茶の水女子大学の北門の付近にも長く残されています。
こちらの北門も使用されていないようで、警戒力は低くなっています。
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北門近くの軍用地境界塀の足下にも、やはり境界石が埋まっていました。
この境界石もほとんどが地中に埋まっているため、記載文字が確認できません。
しかし場所的にも物的にも、軍用地境界石で間違いないと思います。
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こちらの軍用地境界塀は、北門からお茶の水女子大学の敷地北限に沿って春日通り近くまでずっと続いています。
春日通り近くには監視の目を光らせる警備員さんの姿がありますが、子供連れなので大丈夫です。
こちらの軍用地境界塀はお茶の水女子大学への侵入者防止のためでしょう、すべて上に嵩上げのためのブロック塀が積まれています。
塀は剥げた所があったり削れた箇所があったりと所々に破損が見られますが、まだまだ塀としての機能を充分に果たしています。
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軍用地境界塀の春日通り側の端っこに、またも軍用地境界石らしきものがありました。
こちらはやはり下部が地中に埋もれていて、加えて上部が破損しているため記載文字はまったくわかりません。
しかし位置的にも大塚弾薬庫の軍用地境界石と思われます。
警備員さんが近くにいると、屈んでこんな写真を撮るのも一苦労ですね。
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大塚弾薬庫がまだこの地にあったころ、通り沿いにはこのように長い塀が連なっていたという。
今は文教地区となっている茗荷谷駅周辺ですが、かつてはここに帝国陸軍の巨大な弾薬倉庫がありました。
都心最大の弾薬庫だった場所には、その後お茶の水女子大学、跡見学園となぜか女子校ばかりが誘致され、今日では華やかな一角となっています。
(訪問月2017年11月)