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東京都北区西ヶ原にある都立庭園、旧古河庭園を子供たちとともに歩いてきました。
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五年ほど前、旧古河邸内部ガイドツアーで訪問した旧古河庭園
足尾銅山で知られる古河財閥の名を冠するこの庭園は、春のバラフェスティバルの時期に来ると約200株のバラが咲き乱れています。
バラと洋館のコントラストはまるで中世ヨーロッパのようで、訪問時はバラや洋館を背景として特殊な衣装で自撮りされている方が散見されました。
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さて、突然ですがこのゲームを知っている方はいるでしょうか。
こちらは1998年7月16日にビクターインタラクティブソフトウェアから発売されたゲーム「夜想曲」のプレイ画像です。
「夜想曲」は、赤川次郎の小説「殺人を呼んだ本」を原作としたプレイステーション用のノベルゲームで、単位のために山奥の私設図書館でアルバイトをすることになった大学生が、図書館に寄贈された様々な死にまつわる本に導かれるように殺人事件に巻き込まれていくというストーリーでした。
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「夜想曲」作中において大学生(プレイヤー)は、死にまつわる本を集めた私設図書館「野々宮図書館」にて、夏休みの期間中泊まり込みで図書整理のアルバイトをすることになるのですが…
その野々宮図書館は、この旧古河邸洋館をロケ地としています。
見ての通り、この野々宮図書館のグラフィックには旧古河邸洋館が使われています。
室内撮影は違う場所ですが、間取りは同じです。
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ちなみにゲーム中野々宮図書館は、屋敷で亡くなった女の幽霊がプレイヤーに「ニゲロ!」と警告をしてくる言わば幽霊屋敷なわけですが…
幽霊度においては旧古河邸洋館だって負けていません。
前回の記事でも触れていますが、旧古河邸洋館も戦後の一時期、付近住民から「幽霊屋敷」と呼ばれていた過去があったりします。
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大正8(1919)年、古河財閥の三代目当主古河虎之助男爵の邸宅として建てられた旧古河邸。
しかし太平洋戦争の敗戦後は古河家の手を離れて国有となり、直後に連合国軍に接収されイギリス大使館付き駐在武官の独身寮として6年ほど使用されていたそうです。
接収解除後の昭和27(1952)年から無人の状態が約30年ほど続き、その間洋館は蔦に覆われ、シャンデリアが落ちガラスが割られ土足で人が侵入するなどして荒廃し、まさに幽霊屋敷的な廃墟だったという。
荒廃した建物が現在の形まで修復されたのは、時代が昭和から平成になった平成元(1989)年のことでした。
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こちらは庭園内にあるもう一つの近代建築、明治43(1910)年に築地の古河家本邸に建てられた「文庫」を移築した「書庫」。
旧古河邸は第二次世界大戦の歴史ともかかわりが深く、日中戦争中の昭和14(1939)年には、後に南京国民政府を樹立することになる中国国民党の汪兆銘を軍の要請により匿ったこともあったそうです。
その後の太平洋戦争では、悪化する戦況の中、当時の古河財閥当主であった古河従純が召集に応じ、ここ古河邸も陸軍第九師団の将校宿舎として接収されていますが、幸い空襲の被害はほとんどありませんでした。
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敗戦によって軍が解体されると、それまで旧軍が宿舎、兵舎としてきた建物が荒廃し「幽霊屋敷」となった例は都内にも多かったようです。
九段南の清水堀沿いにあったという旧憲兵下士官アパート「竹平寮」など、昭和の終わり頃まではこうした幽霊屋敷的旧軍の宿舎跡が多かったそうですが、廃墟から修復されて名勝になったのはこの古河邸や近衛師団司令部のような歴史的建造物くらいでしょうか。
きれいに保存され、誰でも見学できるようになったのは素晴らしいことですが、蔦の絡まる荒廃した幽霊屋敷だったころの旧古河邸も見てみたかったですね。
(訪問月2019年5月)