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茨城県稲敷郡阿見町にある、予科練記念館「雄翔館」を歩いてきました。
予科練とは旧日本軍航空隊の飛行予科練習部の略です。
阿見町の予科練は昭和14年に神奈川の横須賀から移転し、終戦まで全国の予科練教育・訓練の中心的役割を担いました。
雄翔館は、特攻などで命を落とした予科練戦没者の遺品・遺書約1700点を収蔵・展示しています。入館は無料。
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雄翔館は陸上自衛隊土浦駐屯地の敷地内にあり、隣接している予科練平和記念館の敷地を通って入ります。
こちらは入館料500円ですが、雄翔館には平和記念館に入ることなく向かうことができます。
予科練平和記念館では、昭和を代表する写真家・土門拳がとらえた予科練の写真やシアター映像などによってよりわかりやすく予科練の歴史を学ぶことができます。 
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予科練平和記念館から西に進んでいくと、回天一型の原寸大模型があります。
戦況が悪化し飛ぶ飛行機もなくなってきた予科練生たちの一部は、人間魚雷「回天」に搭乗して出撃しました。
回天は魚雷の中に乗り込み操縦して敵艦に体当たりするという、今では考えられないような兵器です。 
空と海中での特攻作戦によって、そのほとんどが10代の若者であった予科練生は命を落としました。
予科練から戦地へ赴いた約2万4千人中、戦死者は約8割の1万9千人にのぼったといわれています。
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さらに西に進むと、自衛隊の監視所があって、そこに詰めていた自衛隊の監視員に挨拶して自衛隊敷地に入ります。
左手に雄翔園という庭園が見えてきます。
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雄翔園には、予科練生と飛行兵が肩を組んだ「予科練の碑」が建てられています。
予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿がおさめられています。
「飛行機乗りは死ななきゃ本土に帰れない」と言われるほど生還率が低かった飛行兵。
質も量も優勢なアメリカ軍に対し、日本軍航空隊は多くの犠牲者を出しました。
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雄翔園の右手に予科練記念館「雄翔館」があります。
ここには予科練戦没者の遺書や遺品が展示されています。
様々な遺書を読んで思ったのは、誰も現状を嘆いていないということだった。
ほとんどの兵士が未来への希望を残された家族に託している。
特攻で死ぬために苦しい訓練をしなければならないというのは、相当な忍耐が要求され、愚痴や泣き言のひとつも言いたかっただろう。
予科練戦没者たちは、それを口にすることもなく、国や家族を守るために散っていった。
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雄翔館前にある、海軍元帥山本五十六の像。
山本五十六は日本海軍航空隊の父と言われるほど早期に航空隊の重要性を認識していた人物で、真珠湾攻撃をはじめとする多くの航空作戦を立案、決行しました。
その山本五十六もアメリカ軍の航空攻撃によって命を落とし、以後、日本は敗北への道を歩んでいくこととなります。
(訪問日2013年5月5日)