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大田区羽田空港一丁目にある赤鳥居、通称「羽田の大鳥居」を見学してきました。
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現在地は羽田空港の出入り口にあたる、京急空港線の天空橋駅前です。
天空橋とはこの駅の西側を流れる海老取川に架かる人道橋の名前で、駅名はこの橋から取られています。
駅周辺は近くに下水道ポンプ場があるためか、若干臭うような気がしました。
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≪昭和22年ころの天空橋付近の空中写真≫
天空橋駅がある海老取川より東側は羽田空港敷地内となっており、民家は存在していません。
これは第二次世界大戦敗北後の昭和20(1945)年9月、進駐軍が羽田にあった国営民間航空専用空港東京飛行場を接収したことに由来しています。
もともとこの地域には三つの町がありましたが、進駐軍(アメリカ軍)は東京飛行場を拡張するため、住んでいた町民を強制退去させてしまったのです。
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天空橋駅から南へ300mほど歩いていくと、多摩川沿いに大きな赤い鳥居がぽつんと建っているのが見えてきました。
近くに神社があるわけでもなく、川沿いという不自然なところにある大鳥居です。
なぜこんなところに鳥居があるのでしょうか。
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この大鳥居は『旧穴守稲荷神社大鳥居』という名の鳥居です。
現在羽田四丁目にある穴守稲荷神社は、昭和20(1945)年9月に東京飛行場と周辺三町(羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)が進駐軍に接収されるまでは、今の羽田空港敷地内にあたる羽田穴守町にありました。
この大鳥居は、その羽田穴守町に鎮座していた旧穴守稲荷神社の大鳥居をこの地に移設してきたものなのです。
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鳥居前には鳥居の経緯を知らせる碑文が設置されています。
旧穴守稲荷神社は進駐軍の退去命令によって羽田穴守町から現在地へと移転し、残された旧神社は米軍に取り壊されましたが、この時この大鳥居だけはなぜか撤去されず、米軍飛行場内に残されていました。
その後大鳥居は、米軍から飛行場が返還された後もやはり撤去されず、長らく羽田空港の旅客ターミナル前面に残されていたという。
1999年の羽田空港新滑走路整備の際に、ついに大鳥居は撤去されることになりましたが、地元住民を中心とする多くの人々の保存運動によりこの場所に移設されることとなった、と鳥居の経緯が記載されています。
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また大鳥居横には『仮の掲示板・東京国際空港記念建造物平和の大鳥居 楽園ひろば』という題名の赤い掲示板が立っています。
誰がつけたのか、この大鳥居は平和の大鳥居という異名がつけられているようです。
『平和』と『楽園』…。
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振り返って大鳥居を見てみると、鳥居には平和の文字の額が掲げられています。
これは二度と戦争をしてはならないという想いが込められて掲げられているのだという。
確かに戦争でいろいろなものを失っただけでなく、敗戦後の接収で住処まで奪われた元住民にとっては、戦争なぞもうコリゴリでしょうね。
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掲示板には米軍に接収され更地にさせられた羽田(旧羽根田)鈴木町、穴守町、江戸見町の地図が貼られていました。
通告から48時間以内の退去を命じられた住民は、リヤカーや舟で家財を運びここから即刻退去することを余儀なくされました。
米軍に銃をつきつけられ拒絶することなどできなかった住民は、海老取川の対岸から米軍のブルドーザー等重機で破壊される町をなすすべなく見守るしかできなかったという。
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人々が住む町を飛行場のためにそのまま接収した進駐軍の行為を、現代にも伝える羽田の大鳥居。
米軍が大鳥居を撤去しなかった理由については諸説あるようですが、その中に「米軍が祟りを怖れて撤去できなかった」というものがありました。
祟りというものが本当にあるかどうかは別にして、そういう噂が当時流れたことは、敗戦国となり進駐軍に無力だった日本人のせめてもの抵抗だったのかもしれません。
(訪問月2018年5月)