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7月下旬から始まった夏休みも、そろそろ終わりが見えてきてしまいました。
私には、1か月以上に及ぶ長大な夏休みなんてものは、はるか昔になくなってしまいましたが、今年は娘がその長い夏休みを経験しています。
娘の幼稚園の宿題に夏休みの思い出帖みたいなものがあって、それを娘と二人で作っていると、自分にも夏休みが戻ってきて、その思い出を作っているように思えて幸せな気分になれています。
さて今回は、足立区西保木間三丁目にかつて設置されていた高射砲陣地、保木間高射砲陣地の跡地を娘と一緒に歩いてきました。
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最近、ストライダーや補助輪付き自転車を乗るようになった娘。
成長するのはいいんですが、まだ周りがよく見えないので交通事故にあわないか心配です。
交通量の多い帝都では、まだまだ一人で外には出せません。
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娘の乗る自転車についていきながら、足立区北部のランドマークタワーともいえる白と橙で塗られた巨大な塔が建つ足立清掃工場前にやってきました。
この塔は足立区のゴミを焼却処分している足立清掃工場の大煙突で、高さは130mほどある煙突です。
余談ですが焼却炉稼動中はステンレス内筒が熱で膨張するので、冷えているときよりも10cmほど煙突が高くなるそうです。
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足立清掃工場の周りには、都営西保木間四丁目アパートの団地が建っています。
都営西保木間四丁目アパートは高度経済成長期の昭和42(1967)年ころに建てられた都営住宅です。
築50年以上が経過した古い団地ですが、まだまだ現役で今のところ各アパートが建て替えられそうな雰囲気はありません。
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団地内は古い都営住宅ゆえ高齢者が多いだろうと思いきや、意外と子供の姿が溢れていて活気があるようでした。
少子高齢化が叫ばれている日本ですが、帝都圏内にいると子供の姿が多く、どこが少子化なんだろうと思ってしまいます。
まあ子供の数以上に、高齢者の数が多いのは疑いのないところでありますが。
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都営西保木間四丁目アパートの西側には、道路を挟んで同じく都営団地の都営西保木間二丁目第2アパートと都営西保木間三丁目アパートがあります。
都営住宅のあるところは、かつて軍用地だった可能性が高いというのがこのブログの持論ですが、実はこの都営住宅があるところも元々軍用地なのです。
太平洋戦争中、足立区には帝都北部方面の防空を担う部隊が配置されており、その部隊はこの西保木間二丁目と三丁目にまたがる地区にも三つの高射砲陣地を設けました。
キャプチャ
写真は昭和22(1947)年、アジア・太平洋戦争の敗戦から二年後の西保木間三丁目付近の空中写真です。
中央を走るのは国道四号線で、その両側には水田もしくは畑が広がっています。
しかしその田畑の中に、10円ハゲのような巨大な円形の構造物が点在しているのがわかるでしょうか。
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なんでしょうか、これは。
落花生の巨大な野積(ぼっち)? それともミステリーサークル?
…ではありませんね。この円形の構造物は、太平洋戦争中ここ保木間に置かれていた高射砲陣地なのです。
この高射砲陣地には、爆風除けの円筒型構造物(土塁?)に守られた三式12cm高射砲が配備されていたという。
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この地で帝都防空の任に当たっていたのは高射砲第百十一連隊第一大隊とされています。
保木間の高射砲陣地は町の人たちから水神の高射砲陣地と呼ばれ親しまれていたという。
水神とはこの近辺の昔の地名のようで、今もバスの停留所などにその名が残っています。
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写真の高層団地は、ツインコリダー型をしている都営西保木間三丁目アパート6号棟です。
地図を見比べるに、国道四号線西側にあった保木間第二、第三高射砲陣地はちょうどこの辺りから同じく都営西保木間三丁目アパート2、3、4、5号棟あたりにかけて置かれてあったようです。
また国道四号線の東側にあった保木間第一高射砲陣地は、現在は日野自動車の駐車場となっています。
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都営西保木間三丁目アパート6号棟隣にある、保木間児童遊園に自転車を乗り入れていく娘。
都営西保木間三丁目アパート6号棟がかつての保木間第三高射砲陣地にあたり、保木間児童遊園は保木間第二高射砲陣地と第三高射砲陣地のちょうど中間地点になります。
あまりこの公園で遊ぶ子供は少ないのか園内は雑草が生え放題になっており、滑り台などの遊具もあまりきれいではありません。
都営住宅の中にあり、人口の絶対数が多いのでこのあたりの子供は少なくなさそうですが…
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保木間児童遊園は都営西保木間三丁目アパート2、3、5号棟とも隣接しており、こちらには保木間第二高射砲陣地が置かれていたようです。
ざっとこの団地内を歩いてみましたが、高射砲陣地時代の遺構を見つけることはできませんでした。
葛飾区白鳥の高射砲陣地のように、コンクリート台座が残っていてもよさそうですけどね。
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ちなみにこちらは敗戦から11年後、昭和31(1956)年に撮影された同地の空中写真です。《国土地理院のHPより出典》
写真上ではこのころもう高射砲陣地は跡形もなく消え去っており、都営住宅の前身のような建物があったようです。
この時代からすでに、高射砲陣地の遺構はすべて失われていたのかもしれません。
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娘と一緒に団地付近の探索を終了して、再び保木間児童遊園に戻ってきました。
雑草が生え放題になっている円形の砂場の台座が、なんだか高射砲陣地のコンクリート台座に見えないこともない。
…いや、見えないか。砂場はしばらく誰にも使われていないようです。
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「これがいい!」
保木間児童遊園は全体的に寂れた感じでしたが、何故かこの遊具だけは新品でした。
娘が乗りたそうだったので、手伝って乗せてやります。
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大日本帝国では数少なかった、一万メートル以上の高高度を飛ぶ戦略爆撃機B-29に対抗できた三式12cm高射砲が配備されていたという保木間高射砲陣地。
保木間高射砲陣地では、大型で高性能だったこの高射砲で5機ほどのB-29を撃墜する戦果を挙げたとされています。
子供もろとも帝都のすべてを焼夷弾で焼き尽くそうとした悪魔の戦略爆撃機、B-29と戦った保木間高射砲陣地。
もうその遺構は、どこにも残っていないようです。
(訪問月2018年6月)