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台東区上野公園にある動物園、恩賜上野動物園を歩いてきました。
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我が家から最も近い動物園として、なんだかんだと一年に一回はやってきている上野動物園。
今回は息子と二人、昨年から入園も可能になった弁天門から入りました。
弁天門は上野動物園の人気スポットであるパンダ舎からも遠く、混雑を避けて入園できます。
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こんな感じで、上野動物園とは思えないくらいがらがらの弁天門付近。
右手の建物は2017年7月11日にリニューアルオープンしたこども動物園ステップのステップ館です。
しかしこども動物園内に子供の姿はほとんど見えませんでした。
訪問したのは七月の夏真っ盛り、暑いからですかね…。
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こども動物園ステップの鳥たちのおうちで、解説をしながらソデグロバトに餌をあげる飼育員のお姉さん。
このソデグロバトはサツマイモが好物らしいです。
観客が私と息子しかいなかったですが、丁寧に解説してくれました。
ただ、鳥たちは必ずしも飼育員さんに協力してくれるわけではないようで、餌やりは難航していました。
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姿の見えない子供に代わって、こども動物園内にたくさんいたのが外国人観光客。
うだるような七月の暑さもなんのそので、こども動物園の動物たちを珍しそうに写真撮影しまくっていました。
この時の上野動物園のお客さんは、半分くらいが外国人観光客だった気がします。
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こども動物園ステップから不忍池沿いに、西園の北側へと歩いていきます。
西園はど真ん中に不忍池があり、その北側に多くの動物舎が集まっている形になっています。
しかし全体的に西園は、人影がまばらで閑散としているようでした。
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西園のケープペンギン舎。
人の少ない西園でしたが、このケープペンギン舎の周りだけは妙に人が多かったです。
厳しい夏の暑さに、みんな涼を求めて集まってきているものと思われます。
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ケープペンギン舎の隣に位置するフラミンゴ舎。
ピンクの色鮮やかなフラミンゴが隅の方に並んでいます。
これはフラミンゴ同士の会話なのか、独特の「ごっごっごっ」という鳴き声を発しており、息子は興味深く観察していました。
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そのフラミンゴ舎の覆いがある、フラミンゴ舎の裏手にあたる場所です。
ちょうど不忍池のほとりにあたるところに、並べられたゴミ箱に隠れるようにして一基の石碑がひっそりと建っています。
なんだろう、あの動物園にふさわしくない石碑のようなものは。
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「これはなんだ~?」
不忍池を背にして立っている石碑で、上部には大きく「栽松記」と書かれています。
どうやらこの碑は、誰かが何かの記念に松を植栽したことを記した「栽松の碑」のようでした。
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記載されている内容は以下の通りです。
今茲資紀祭臺灣澎湖島之役
戦死病没諸子之霊於不忍池
畔因為紀念栽松亦欲諸子烈
操與松不朽於千歳也
      明治廿九年四月廿五日 祭主 伯爵 樺山資紀
      祭典委員 角田秀松  水野遵  山本正脩  宮崎憲之  大久保利武

台湾澎湖島の戦いで戦病死した将兵の霊を不忍池畔で祀り、その記念として松を植える。
諸子の烈操が松とともに長く伝えられることを欲す、という内容のようです。
この碑を建てたのは、初代台湾総督の樺山資紀でした。
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さて、上の絵は上野観光連盟公式サイトから抜粋した日清戦争捕獲品陳列の図です。
明治27(1894)年の日清戦争に勝利し、清から台湾を割譲された大日本帝国。
割譲された台湾の初代台湾総督となった樺山資紀は、明治29(1896)年4月25日台湾の割譲を反対する勢力との間で発生した台湾平定戦(乙未戦争)で出した戦病没者の慰霊祭を不忍池畔で行ったそうです。
慰霊祭で植えられた松と「栽松の碑」がこの図に載っており、その両側に日清戦争で捕獲した清の戦艦「鎮遠」の錨が陳列されています。
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公式サイトではこの図の「鎮遠」の錨があったのは、不忍池旧馬見所跡としています。
不忍池では明治17(1884)年から明治25(1892)年までの間、「上野不忍池競馬」という不忍池を周回コースとする競馬が行われていました。
当時の上野不忍池競馬のメインスタンド・上野不忍池競馬場馬見所は、今の上野動物園西園のフラミンゴ舎付近にあり、馬見所は競馬が終了したのちは戦争捕獲品の陳列場所になっていたといわれています。
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そのことから「栽松の碑」の周辺は、まさしく日清戦争捕獲品陳列の図と重なり合う場所と思われます。
しかしながら現在の「栽松の碑」周辺にすでに松はなく、「鎮遠」の錨もなく、馬見所もありません。
ただ一基の、ゴミ箱の裏にひっそりと残る石碑のみが、100年以上前にここで行われた慰霊祭と、歴史上あまり語られることのなかった台湾平定戦の歴史を今に伝え続けています。
(訪問月2018年7月)