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目黒区大橋にある軍事遺跡、陸軍第一師団輜重兵第一連隊跡を歩いてきました。
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現在地は玉川通りの大橋交差点直近にある神社、上目黒氷川神社前です。
最寄り駅は東急田園都市線の池尻大橋駅で、鳥居のすぐ隣には警視庁目黒警察署の大橋交番があります。
玉川通りに面する神社の入り口は、こう配の急な石段になっています。
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参道の石段を登り切ると、正面に上目黒氷川神社の社殿があります。
上目黒氷川神社は旧上目黒村の鎮守で、天正年間(1573~1592)に上目黒村の旧家加藤氏が甲斐国・上野村の産土神をこの地に迎えたのが始まりといわれています。
現社殿は昭和39(1964)年に再建されたもので、昔の社殿は昭和20(1945)年5月の山手大空襲で焼失してしまったそうです。
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社殿左には稲荷神社が鎮座しています。
今回上目黒神社を訪れた目的は、この稲荷神社の左側奥にあります。
ちょっと境内でとるには怪しい行動ですが、ささっと木陰に紛れて稲荷神社の裏側に回ります。
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稲荷神社の裏側には神社の敷地と他の私有地を隔てるブロック塀とトタン板があり、その隙間の向こうに「陸軍」とまで読める軍用地境界標石が見えます。
この境界標石は上目黒氷川神社北側にある民家の敷地内にあるものです。
ということはつまり、上目黒氷川神社の北側はかつて軍用地であったということになりますが、ここにあった軍事施設というのは何だったのでしょうか。
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上目黒氷川神社から玉川通りに戻り、大橋交差点から西へ100メートルほど歩いたところにある大橋病院入口交差点を右に曲がります。
曲がった先は緩やかな坂道になっています。
正面に見える宮下児童遊園の左にある坂道を進んでいきます。
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坂道を進んでいくと右手に東京都立駒場高等学校のテニスコートとグラウンドが見えてきます。
こちらは坂道を登ってきたため、高台から見下ろすような形になっています。
グラウンドの向こうには、駒場高等学校の校舎や目黒区立第一中学校の校舎が見えます。
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その高台の木陰に、巨大な石碑が建っていました。
碑の表面には「天覽臺 陸軍中将畑英太郎書」と書かれています。
これは「天覧台記念碑」とよばれる石碑です。
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天覧台記念碑の傍らには由来記もあります。
明治時代この地にあった陸軍乗馬学校(後の陸軍騎兵学校)の卒業馬術を明治天皇が明治25(1892)年この台上から天覧され、その後も明治天皇・大正天皇が行幸されたことを記念する碑と書かれています。
今ある駒場高等学校のグラウンドは、明治時代は陸軍乗馬学校の馬術場だったのですね。
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天覧台記念碑の裏。
この碑は昭和3(1928)年11月14日陸軍輜重兵第一大隊によって建立された、と書かれています。
陸軍輜重兵第一大隊(のち連隊)は、陸軍騎兵学校が大正5(1916)年に習志野へ移転すると、信濃町から目黒の騎兵学校跡地へ移転してきた兵站担当の部隊でした。
当時は兵站つまり軍需物資の輸送のために馬を使っていたから、輜重兵部隊の騎兵学校跡地への移転は馬の運用という面でちょうどよかったのかもしれません。
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天覧台記念碑の側面には、輜重兵第一連隊の建物配置図がありました。
右下方にある鳥居のマーク(要拡大)はおそらく、上目黒氷川神社のことを示していると思われます。
先ほどの上目黒氷川神社裏の軍用地境界標石は、陸軍騎兵学校もしくは輜重兵第一連隊の軍用地境界標石というわけですね。
鳥居のマークのすぐ近くには「注意ヲ要ス」との記載もありますが、これはなんのことでしょうか。
またこの地図によれば、上目黒氷川神社の前、つまり今の警視庁目黒警察署大橋交番の辺りは馬糞捨場だったようです。
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昭和6(1931)年ころの池尻・大橋周辺の地図です。
右側黄色のマーカーで塗った鳥居のマークは、上目黒氷川神社を指します。
駒場野と呼ばれたこの辺りには江戸時代、鷹狩りの休憩所として使われた幕府の広大な御用屋敷がありましたが、明治以降は陸軍の施設が多数置かれました。
地図上では右から輜一(輜重兵第一大隊、のち連隊)、近輜(近衛輜重兵大隊、のち連隊)、騎一(騎兵第一連隊)と陸軍施設が三つ並んでいます。
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参考に、こちらは太平洋戦争中の同地の空中写真です。
地図写真いずれも国土地理院のホームページから抜粋しています。
玉川通りの北側に巨大な軍事施設が林立しており、練兵場まである駒場野は一大軍事基地となっていました。
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陸軍第一師団に所属する輜重兵第一連隊に対し、近衛師団に所属する近衛輜重兵連隊。
輜重兵第一連隊のお隣にあった近衛輜重兵連隊の跡地は、今は警視庁第三方面本部や第三機動隊といった警察機関と、駒場東邦中学校・高等学校になっています。
三年前にこの辺りを歩いた際は、写真のとおり近衛輜重兵大隊屋内射撃場跡の建物がまだ残っていたのですが…
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今ではすっかり解体されてしまい、跡地は有料駐車場タイムズ目黒大橋第5になっていました。
駐車場の奥に見える真新しい建物は、2016年に竣工した警視庁大橋庁舎です。
この辺りには軍用地を転用した様々な警察機関があり、大橋庁舎の向こうには警視庁の白バイ隊・第三方面交通機動隊もあります。
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タイムズ目黒大橋第5の先は駒場東邦中学校・高等学校のグラウンドがあり、さらにその先は工事現場になっていて高いフェンスで覆われていました。
工事現場はこれから何が作られるのかはわかりませんが、かつては駒場住宅という公務員住宅があり、ここは明治24(1891)年に外桜田から移転してきた騎兵第一連隊の跡地でした。
この近衛輜重兵連隊跡、騎兵第一連隊跡の前に延びている直線道路を西へ歩いていきます。
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道路の突き当りの擁壁の上には騎兵第一連隊の戦病没軍馬の慰霊碑「馬神碑」が建っており、誰が置いたのか馬神碑の前には、馬の補給物資である新鮮なニンジン二本が供えられていました。
駒場野という地名は「馬」にちなんだ地名で、古来よりこの辺りには馬の放牧場があったといわれ、ここで産出された良馬は軍馬として重用されたという。
大日本帝国においても駒場野の地は、輜重兵部隊や騎兵部隊という「軍馬」を扱う軍隊が駐留する馬の地であり、その名残なのか、軍用地の跡地に建つ警視庁第三方面交通機動隊には警視庁唯一の騎馬隊が編成されています。
(訪問月2018年7月)

【以下は、2019年8月追記】
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いただいた情報から、あらたに「陸軍省」と読める、おそらくは陸軍省所轄地と記載のある軍用地境界標石を発見できました。
場所は玉川通りと宮下児童遊園の中間地点にある駐車場直近の土手で、陸軍輜重兵第一連隊もしくは陸軍乗馬学校の敷地南端を示す軍用地境界標石と思われます。
教えていただきありがとうございました。