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静岡県富士宮市上井出にある軍事遺跡、陸軍少年戦車兵学校跡を歩いてきました。
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現在地は昭和59(1984)年10月に創建された富士宮市の若獅子神社前です。
若獅子神社は大日本帝国陸軍少年戦車兵学校の跡地に建てられた神社です。
太平洋戦争において戦没した同校の教官や生徒六百余を祭神として祀っています。
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昭和14(1939)5月から9月にかけ、満州国とモンゴルの国境線において、大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍の間で大規模な軍事衝突「ノモンハン事件」が発生しました。
この事件によって明らかになった日本陸軍の火力戦能力の低さは、軍に機甲部隊育成の必要性を痛感させ、同年12月1日、千葉陸軍戦車兵学校内に少年戦車兵の生徒隊が創立されました。
太平洋戦争が激化した昭和17(1942)年8月1日、この少年戦車兵生徒隊を独立学校として転営させる形で、富士宮のこの地に陸軍少年戦車兵学校が開校しています。
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若獅子神社の西側には、神社には似つかわしくない石造りの巨大な門柱が立っています。
この門は、陸軍少年戦車兵学校時代、同校の表門として使われていた門柱です。
表門はもともと、現在の富士宮市立上井出小学校の方にあったようですが、若獅子神社創建に際しこの場所に移駐されたようです。
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門柱の右側には「陸軍少年戦車兵学校」と記載のある表札がついています。
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こちらは陸軍少年戦車兵学校当時に撮影された門柱です。
門柱は当時のものと変わらず、そのまま移駐したようですが、表札は違う感じで、今のものは戦後に作られたもののようです。
GHQによる非軍事化政策のため、表札は保存しておけなかったのでしょうか。
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陸軍少年戦車兵学校跡地の一角に建てられた若獅子神社。
陸軍少年戦車兵学校では昭和20(1945)年8月の敗戦まで、延べ四千余名の14歳から19歳までの少年が、2年間かけて戦車技術を学んだとされています。
しかし陸軍少年戦車兵学校から出征した教職員および生徒のうち600余名が戦没し、若獅子神社は戦没者の慰霊・顕彰のために戦後39年経った昭和59(1984)年に創建されました。
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こちらは境内にあった陸軍少年戦車兵学校の構内図です。
これによると陸軍戦車兵学校は約30万坪という、広大な面積を有していたようです。
それのみならず、周囲の隣接地には北演習場、天神山応用操縦場、陸軍病院、校南戦車操縦訓練場、基本射撃場という陸軍施設があり、陸軍少年戦車兵学校周辺は陸軍の一大拠点でした。
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構内図の隣には、陸軍少年戦車兵学校記念碑が建立されています。
記念碑は平成元年4月に建立されたもので、一対の石碑と、その前に陸軍少年戦車兵学校の沿革を記した碑板が置かれています。
右の石碑には「此の地は陸軍少年戦車兵四千有余が志操を練り心技を磨きし不滅の聖域なり」と刻まれています。
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若獅子神社の鳥居の近くには「陸軍」と刻まれた軍用地境界標石らしきものが埋まっていました。
先ほどの構内図から検討すると、こんなところに境界はなかったと思います。
この境界標石も、どこかから移設したものでしょうか。
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境内の中央には、若獅子の塔という昭和40(1965)年に建立された、若獅子神社の基礎となった白い巨大な塔があります。
若獅子神社の名前は、若き情熱をもち勇猛果敢な活躍を遂げた少年戦車兵の愛称であった「若獅子」を由来としています。
格好のいい愛称ですが、この愛称がまだ戦争というものをよくわからなかった少年を戦場に駆り立てた可能性を思うと、複雑な気もします。
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若獅子の塔の西側には、サイパン島からの帰還戦車が安置されています。
この戦車は日中戦争中の昭和12(1937)年ころに完成し、以後第二次世界大戦に至るまで日本陸軍の主力戦車として量産された九七式中戦車「チハ」です。
この九七式中戦車「チハ」は、少年戦車兵四十余名が出征したサイパン島で撃破された、戦車第九連隊所属の戦車とされています。
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昭和19(1944)年6月15日に発生したサイパン島の戦いでは、日本軍は水際撃滅作戦をとり上陸してきたアメリカ軍にすぐさま反撃を開始しました。
その反撃の先陣を務めたのが戦車第九連隊でしたが、アメリカ軍の圧倒的な火力の前にことごとく撃破され、最終的に全滅しています。
この撃破された九七式中戦車「チハ」は、終戦から30年後の昭和50(1975)年、サイパン島の土中深くから引き揚げられたものだという。
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おびただしい数の弾痕が残る九七式中戦車「チハ」。
サイパンの戦い当時すでに旧式化しているとともに、そもそも対戦車用ではなかった九七式中戦車「チハ」では、M4シャーマンなどアメリカ軍の最新鋭戦車に太刀打ちできるはずもありませんでした。
死の淵にて、訓練では埋めることのできない圧倒的な火力、技術力、工業力の差を見せつけられたサイパン島の少年戦車兵は、どれほど悔しかったでしょうか。
無念のうちに亡くなられた少年戦車兵のご冥福を祈ります。
(訪問月2018年7月)