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文京区千駄木にある近代建築、旧安田楠雄邸と防空壕を歩いてきました。 
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東京メトロ千代田線千駄木駅から徒歩6分のところにある旧安田楠雄邸庭園。
旧安田楠雄邸は、大正8(1919)年に豊島園の開園者である実業家・藤田好三郎によって建てられた和風の近代建築です。
大正12(1923)年、安田財閥の創始者安田善次郎の娘婿善四郎がこの建物を購入し、昭和12(1937)年に長男楠雄が相続したことで、現在では旧安田楠雄邸庭園として一般公開されています。
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連れて行った4歳の娘が「すてきなおうち」と表現した旧安田楠雄邸。
楠雄氏が結婚した際に改造したという当時最新であった「アイランド型」配置のキッチンなど、様々なところにこだわりを感じさせる邸宅です。
旧安田楠雄邸は庭園とあわせ、「大正時代から昭和初期の東京山手の庭園と住宅の雰囲気を今に伝え、貴重な価値がある」として東京都の名勝に指定されています。
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本日はこの旧安田楠雄邸庭園で、邸宅の地下に造られた防空壕の公開をやっていました。
旧安田楠雄邸庭園を管理する公益財団法人日本ナショナルトラストでは、この防空壕の公開を毎年4月と8月に行っています。
旧安田楠雄邸庭園の入館料(大人500円、中高生200円)だけで、防空壕も見学できます。
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旧安田楠雄邸に入る際は、まず正面玄関で靴を脱ぎ、手荷物を預けます。
手荷物は玄関を上がってすぐ左の部屋に預け置く形で、これは建物保護のためだそうです。
また同じ理由で、靴下着用でなければ入れず、忘れた場合は販売もしています。
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玄関を上がってすぐ右側には電話室がありました。
いったいいつごろの電話機でしょうか。
回転盤には「受話器を外してから廻轉盤を右へ指止め迄廻してお放しなさい」とやや命令口調で使い方が書いてあります。
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電話機の上には昔の番号リストも貼ってありました。
自動電話交換機が日本で採用されたのは、関東大震災後の大正15(昭和元・1926)年のこと。
おそらく電話機は戦前のものと思われますが、いったいいつまでこの電話機は使われていたのでしょうか?
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玄関を入って正面にある、邸内唯一の洋間である応接室とサンルーム。
庭園を望むことができる窓ガラスは、歪みのある手作りの板ガラス「大正ガラス」で、割れたら替えの利かないものです。
また壁のクロスやカーテンなどの調度品も当時のままとのことで、平成7年まで居住していたという楠雄氏がこの建物を大切にしていたのだろうということを感じます。
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旧安田楠雄邸庭園の敷地は東西に細長く、建物は雁行式という各住戸を斜めにずらして建てる形式になっています。
こうして斜めにずらして建てることによって、邸内の各部屋に角を多く作り南側の庭園の眺めをよくしているのだという。
応接室の北側にある細長い畳廊下は、この邸宅の奥行きの長さをよく表しており、次の建物にある残月の間へと続いています。
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旧安田楠雄邸のちょうど中央に位置する残月の間。
残月の間西側広間の畳をあげたところに、地下への階段が口を空けています。
ここが今回の目的地である旧安田楠雄邸防空壕への入り口のようです。
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残月の間には防空壕との関係からでしょうか、太平洋戦争中にこの付近で撮影された写真が複数展示されていました。
この写真は太平洋戦争開戦となった真珠湾攻撃の昭和16(1941)年12月8日に道灌山下で撮影された写真です。
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昭和17(1942)年、道灌山下でのシンガポール陥落の祝賀を撮影した写真。
難攻不落とよばれたシンガポール陥落の喜びに沸いていますが、この年の4月には帝都はアメリカ軍による空襲を受けています。
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太平洋の島々で玉砕がはじまり、戦争の敗色が濃くなってきた昭和18(1943)年に撮られた写真。
区内の光源寺における金属供出状況を撮ったもののようです。
戦局の悪化によって武器生産に必要な金属が枯渇した大日本帝国は、昭和18(1943)年9月金属類回収令を出し寺院の梵鐘も数多く供出されました。
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日に日に本土に近づいてくるアメリカ軍による空襲に備えて、帝都では庭の隅や縁の下などに防空壕が掘られるようになりました。
その多くは土を掘り起こしただけの気休めにすぎないものでしたが、安田楠雄邸の防空壕は強固な造りだったようです。
防空壕の壁は大谷石積みで、天井にはコンクリートの板が載っています。
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防空壕の広さは四畳ほどで、奥にはさらに一畳分の空間があります。
防空壕の高さは立って歩けるほどで、壕内に入っても狭さや息苦しさは感じませんでした。
旧安田楠雄邸はエアコンのない邸宅ですが、防空壕内はひんやりしていて心地よかったです。
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奥の一畳の空間には、鉄のハシゴが取り付けられていました。
上にはコンクリートの蓋が載ってましたが、元々はこのハシゴを使って地上に出れたようです。
一畳の空間と四畳の防空壕の間には鉄扉があったとのことで、それで外とを塞ぐつもりだったのだろう。
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防空壕を出た先には、美しい旧安田楠雄邸庭園の主庭が広がっています。
関東大震災や第二次世界大戦の被災も免れ、大正時代から昭和初期の東京山手の庭園と住宅の雰囲気を今に伝える貴重な旧安田楠雄邸庭園。
その邸宅の地下に眠る防空壕は、現在は4月と8月にしか公開されていませんが、当時の混沌とした時代を伝えるひとつの構成資産として、公開日がもう少し増えたらいいなと思います。
(訪問月2018年8月)